第三話 王子、王太子となる

 私が十二歳になった時に立太式が執り行われた。


 今までは王子と呼ばれていたものが、この日から王太子殿下と呼ばれるようになったのだ。もちろん変わるのは呼び方だけではなく国に対する責任もずっと増えることになる。


 式典の間、この国に仕える魔女達の姿を見ることができた。


 全員が同じ黒いローブを羽織り深くフードをかぶっているので殆どその素顔を見ることは出来ないが、ちらりと横に目をやった時に王座に一番近い場所に立っている魔女のフードから見慣れた白く輝く髪が覗いているのに気がついた。


 その場所に立っているということはつまり、サリアは魔女達の中で最も地位の高い魔女ということになる。いつもは呑気な調子で歌を歌ったり、たまに魔法で失敗をして慌てている彼女の様子からは想像のできないことではあった。



+++



「呼び方が変わるだけで僕の中では何も変わらないんだけどな」


 いつものように花園を訪れるとサリアにこぼした。


「確かにね。だけどこれからは陛下の片腕として公務も増えてくるのでしょう? あまりここに入り浸っていてはダメよ?」

「サリアは僕がここに来なくなっても寂しくないの?」


 普段と何ら変わらない彼女の口調に少しだけ苛立ちを覚えながら尋ねる。


「そりゃあ話し相手がいなくなるのは寂しいわ。だけど公務の方が大事。だから今までのように何かを放り出してくるなんてことは許されないのよ? 分かった?」

「分かってるよ、僕だってそこまで子供じゃないんだから」

「なら良いのだけれど」


 その顔は“本当に分かっているの?”と言いたげなものだった。


「でも!! 僕の代わりの手伝いをここに入れるのはダメだからね?」

「やれやれ。これからも私一人で作業をしろっていうのね」

「だって今は魔法で作業をすることも出来るじゃないか」


 ちょっと拗ねたような口調になってしまった私の頭を撫でながらサリアは微笑んだ。


「本当に我が儘ね、アル。そんな風に貴方が我が儘を言うのが私だけなら良いのだけれど」

「サリアにだけだよ」

「そう? 陛下や大臣に同じような我が儘を言って困らせてはダメよ?」

「でも時間ができたら遊びに来ても良いよね?」

「他の公務に支障が出ないのならね」


 王太子になってからサリアのいる花園に来る回数は格段に減ってしまったが、私が訪れるとサリアはいつもと変わらない微笑みで迎えてくれた。


 そしてハーブを摘みながら様々なことを相談するようになった。王都から遠く離れた農村からの陳情の話、他国から来た使者からの申し出、更には最近の大臣のお小言の数々など。その時の私は気がついていなかったが、いつの間にかハーブの手伝いよりも様々な相談事をする時間の方が増えていたのだ。



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 そして更に月日は流れていき私も十八歳になっていた。


「アル、陛下がぼやいておられたわよ」


 その日は父上に長年仕えている大臣の為のリュウマチの薬作りをしていた。殿下自らがお作りになるなんて勿体ないと恐縮しかりの大臣だったが、私にとってはもう一人の父のような存在であったからどうしても自分で薬を作りたいとサリアに無理を言って作らせてもらっているのだ。


「父上が?」


 葉をすり潰しながらそんなサリアの言葉に顔を上げる。彼女は私の横ですり潰した葉に混ぜる薬を調合していた。


「ええ」

「どんなことを?」

「夜会で貴族の娘達に引き合わせるのに王太子は全く興味を示さないって」

「ああ、そのことか……」


 溜息をついて薬をすり潰す作業に戻った。


「心配しておられたわよ? もしかして女に興味が無いんじゃないかって」

「そんなことないさ。ただ、今は気の合う仲間達と狩りに出かけたり遠乗りする方が楽しいだけだよ」

「本当に?」

「本当さ。その方がずっと気分転換になるし」


 彼女には話していないが信頼できる仲間達と共に各地に出かけては魔女から情報を集めていた。もちろんその情報とは魔女が人間になる方法は無いかというものだ。今のところサリアが以前に言っていた通り魔力を失えば魔女もただの人になることまでは分かってはいたが、彼女ほどの強力な魔力をどうやったら無くすことが出来るのかまでは解明できていなかった。


「毎度毎度そんな風に娘達を連れてくるから何だか種馬にされた気分だよ……」

「結婚して世継ぎをもうけることも王族としての義務なんだから仕方のないことよ?」

「だけど結婚するなら愛している人がいい。だけどそう言うサリアはどうなんだよ」

「私?」


 初めてここで出会った頃の全く変わらない姿の彼女が首を傾げてみせた。


「魔女だってその血を受け継ぐ子孫を残すんだろ? 結婚して愛している人の子供を産みたいとは思わないの?」

「……そんなこと考えもしなかったわ。ほら、私ってものすごく長生きでしょ? なかなか死なないから血筋を残そうって焦る必要が無いというか、そういう義務感も危機感も無いのよね。それに王族でもないし跡継ぎを残す必要なんて無いんだもの」

「えっと、それって今まで恋人はいなかったということ?」

「何だか嬉しそうね、アル。私だってね昔は素敵な殿方に言い寄られたりしたものよ?」


 最近は何故か御無沙汰だけど……と付け足しながら呟いている。


「じゃあ恋人がいたこともあるんだ」

「そりゃ人里離れた場所に隠遁しているわけじゃないのだからそういう人も何人かいたわよ。どうしてそんなに怒った顔をしてるの?」

「怒ってなんかいないさ。ただ意外に思っただけだ」

「ちょっと人とは違った色合いを持ってはいるけど、こんな私でも魅力的だって言ってくれた殿方だって過去にはいたのよ?」


 ほんと、最近は御無沙汰だけどと再び呟いた。


 悲しいことにサリアは気付いていないのだ。私が彼女に好意を寄せていること、そしてそれに気付いた他の男達が私に遠慮して彼女に声をかけないようにしていることを。父上の言葉を借りるなら、稀代の魔女殿も恋にはまったく疎いということが分かった瞬間だった。


「さあ私の恋の話はおしまい。そろそろその葉をこっちに渡しなさい。今度の薬には別の香料を調合したから昔のような鼻の曲がるような臭いにはならない筈よ」


 大臣がなかなか良く効くリュウマチの薬を利用とようとしないのには理由があった。一つ目が私が自ら薬を作っていることと、そしてもう一つはかなりの刺激臭があるということだった。


 国王の近くに立つ者としては陛下に不快な思いはさせられないと言い張り使おうとしない。私の父王も「お前の健康が第一なのだから気にせず使いなさい」と何度も勧めるのだが滅相もないことだと首を頑として縦に振らなかった。そこでサリアに何かいい方法は無いものかと相談を持ち掛けたのだ。


「今度は大丈夫?」


 最初に試したものが頭が痛くなるように甘い臭いになってしまったので警戒しながらすり潰した葉を渡す。


「大丈夫。効能もそのまま、臭いも随分と抑えられたわよ。出来ることなら無臭が理想なんだけどそれはおいおいにね」


 サリアは調合した薬を葉と混ぜた。混ぜた瞬間に黄色い煙が立ち上る。


「本当に大丈夫?」

「だから大丈夫って言ってるでしょ?」

「でもサリアはかなり臭いにおいでも平気で嗅ぐからなあ……」

「失礼ね。私だって臭いモノは臭いって感じるわよ。……うん、これなら頭の固いあの大臣さんも納得するんじゃないかしら」

「本当に?」

「そんなに疑うなら自分で確かめなさい、アル」


 そう言って薬を私の方へと差し出した。思わず顔がのけぞる。そんな私の様子に彼女は鼻にしわを寄せて不機嫌そうな顔をした。


「まったく失礼な子ね。大丈夫だって言ってるでしょ?」

「……だったら」


 恐る恐る薬の入った器に顔を近付ける。失敗作の時はこの時点で部屋中にその臭いが充満してとんでもない状態になったものだが今のところその気配はなかった。


「どう?」

「……オレンジの匂いがする」

「香料は知り合いの魔女が城の外で育てているオレンジの皮で普通のものよりずっと匂いが強いのよ。これなら大丈夫だと思わない?」

「確かに。これなら大臣も気兼ねなく使えると思う」

「良かった。だったら早く瓶に詰めて持っていってあげなさい。きっとお喜びになるわよ」

「ありがとう、サリア」

「どういたしまして。飲み薬の方も忘れないようにね」


 薬を手に花園を後にする私のことを、彼女はいつもの笑顔で見送ってくれた。

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