第二話 魔女殿の年齢

「じゃあ奥宮に行ってくる」


 そう宣言すると大臣が分かりましたとうやうやしく頷いた。


「お約束の時間までにはお戻りになりますように。それとくれぐれも魔女殿の邪魔はなさいませんよう。あの方は酔狂で花園を世話しておられるのではないのですから」

「分かってるって」


 大臣の許可をもらうといつものように奥宮の花園に行く準備を始めた。最近になって自分のあずり知らぬところで大臣とサリアとの間でなにか取り決めがなされたようで、ある程度の時間になると体よく花園から追い出されるようになっていた。なので時間を無駄にしたくないと他の者に呼び止められる前に部屋を飛び出す。


 奥宮へとつながる長い廊下を抜けて庭に出ると、サリアは噴水の横にあるベンチに座り宮廷の女官達の間で流行りだした刺繍というものをしていた。


 ハーブ園では桶達がフワフワと宙を浮いており、魔力によって摘まれている葉を受け止めている。だがしかし、葉は今にも桶から零れ落ちそうなぐらいにまでなっていた。彼女は刺繍に夢中ですっかり桶の存在を忘れているらしかった。


「サリア、そろそろ桶から溢れそうだよ」

「あら、アル、こんにちは」


 私の声に顔を上げるとニッコリと笑い、それから桶を見て慌てて片手で何かを払うような仕草をする。すると桶達は列をなして薬草を保管している小さな小屋の方へと飛んでいった。


「良かったわ声をかけてくれて。ちょっとこっちに夢中になってしまっていて収穫の途中だってことを忘れていたの」


 そう言ってこちらに見せてきたのは丸い木枠にはめ込まれた白い布。その中央には様々な色の模様が縫い込まれている。


 何やら見たことの無いような幾何学模様だ。刺繍と言えば花や鳥などを縫い込めるのが普通だというのに、やはり魔女ともなると少しセンスが人とは違うようだと感じた。


「そうなの? でも他のことをしていても地面に穴は開かなくなったね」

「お蔭様でね」


 それは私が提案した魔力を使っての収穫。最初の頃は力の加減が分からず花園半分を抉るように大穴をあけてしまったことが何度もあった。もちろん庭園の修繕は彼女の魔法であっという間なのだが、サリアが自分の不器用さにげんなりしているのを見ていると、魔女といっても万能ではなく普通の人と大して変わらないのだなと少しだけ安心したのも事実だ。


「ねえ、それ、刺繍しているのは何の模様?」


 彼女の横に座ると布を覗き込む。


「ああ、これはね、魔除けの呪(まじな)いの模様よ。普通は紙に書いたり彫ったりしてその場に置いておくものなんだけれど、ハンカチや服に刺繍として縫い付けても効果はあるのかしらと思って。ちょっとした実験ね」

「へえ。じゃあ僕が試すから出来上がったらくれる?」


 サリアは私の言葉に少し驚いたような表情を見せた。


「まさかダメよ。王子様を実験に付き合わせるなんて出来っこないわ。知り合いの魔女に頼んで試してもらうつもりよ。もし効力があるようなら弓避けや呪い避けの紋章を刺繍したものを作ってあげるから、それまでは待っててちょうだい」

「本当にくれる? サリアが縫ったやつだよ?」

「はいはい。実験が成功したらね」


 そう言ってあと少しだからと言って刺繍の作業に戻った。無言になった彼女の手元の刺繍を見つめる。


「改めて気になったんだけどサリアの魔力ってどんだけ強いの? 刺繍も自分の手でやっているってことは、こういう小さな作業で魔力を使うのは逆に苦手なんだよね?」


 私の問い掛けにサリアは刺繍の手を止めて途方にくれたような顔を浮かべた。


「細かいことをするのは逆に難しいのよ……ハーブの収穫より隣の国といくさになった時に作った街道筋の大滝の方が楽だったかもしれないわね」

「隣の国とのいくさって……確か二百年前だよ?!」


 隣国との争い事が起きたのはおおよそ二百年前。原因は領地を少しでも広げたい隣接する両国の小領主のいがみ合いから始まったものだった。


 そして長く続いた戦いが終わったのはそれから二年ほどしてのこと。なんでも双方を結ぶ街道で水が噴き出して大きな山崩れが起き、兵士どころかネズミ一匹も行き来が出来なくなったからだと聞いていた。そのせいで商人達が困り果て、双方の国王に街道の復旧を嘆願したことがきっかけで争い事が終息したということだった。


「ああ、もうそんなに経ったのね、数ヶ月前の出来事のように感じるわ。……あら、何か御不審な点でも?」


 私が目を丸くしている私を見て、どうしたの?と首を傾げている。


「……あのさ、サリアっていま何歳、なの?」

「あらあら、女性に年齢を聞くのは失礼なことだって教えられなかった?」

「でも、二百年前のいくさでってことは、少なくとも二百歳は超えてるってことだよね?」


 目の前にいる彼女はとてもそんな年齢には見えない。どう見てもその辺にいる若い侍女たちと同年齢程度だ。


「魔女の寿命というのはその魔力に比例しているの。並みの魔女ならそうね、少なくとも五十年とか百年とかは若いままの姿でいられるわよ?」

「じゃあサリアは?」

「私は……あら、私、いま何歳だったかしら。この国を建国した初代の陛下からお仕えしているけどその前は何をしていたかしらね……」


 困ったわ私ちょっと長生きし過ぎたかしら?と少しだけ難しい顔をしながら呟いた。この国が建国されたのは三百五十年前と国史で学んだ。つまりサリアは少なくとも三百五十歳は超えているということだ。


「長生きはできるけど不死ではないってこと?」

「そうよ。年をとると魔女の力も弱まっていくの。そして完全にその魔力が失われたら普通の人と同じで年を取って死ぬ。でも私の場合はどうかしら、当分は死にそうにないわね、この魔力の強さだと」

「寂しくないの?」

「寂しい?」


 私の質問にサリアは首を傾げた。


「だって自分だけがいつまでも若いままで生きていて、友達とか恋人が先に死んじゃって自分だけが残されるのって凄く寂しくない? 僕、母上が死んでしまった時、凄く寂しかったよ? 父上も随分と悲しんでいた」


 サリアは自分の横に座るようにとベンチを軽く叩いた。そこに座ると彼女は私を軽く抱きしめてくる。


「アルは本当に優しい子ね。私だって昔は寂しいと感じていたのかもしれない。けれど長く生き過ぎるとそれが普通になってしまってね、今ではそういうものだと受け入れているわ」

「普通の人になりたいとは思わないの?」

「そうねえ……。たまにこの魔力が無ければって思うこともあるけれど、今はこうやってアルとお喋りしていてもハーブの収穫が出来るのだから、とても便利で手放せないかしら」


 サリアの言葉に花園の方に目を向ければ、東屋に向かった桶が戻ってきていて再びハーブの収穫をしていた。


 彼女には黙ってはいたが、この日から私は密かに魔女が人に戻る為の方法がないものかとその手立てを探すことになる。その時はどうしてそんなことをしようと決心したのか自分でも分からなかったのだが。

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