第一話 出会い

 その人に初めて出会ったのは私がまだ十歳にもならない子供の頃だった。


 武術の稽古をするのが嫌で抜け出して王宮の奥宮にある花園に潜り込んだ時のこと。そこは何代か前の王妃が大事にしていた庭園で、様々な美しい花が咲き乱れる場所ではあったが、何故か私は入ることを禁じられていた。


 生け垣の中を腹這いになって進んでいくと水の音がして、茂みの向こうにひらけた場所と大理石の噴水が見えた。それと同時に歌声も。


 人がいることに驚き暫く身を潜めて様子を伺っていると、歌声はどんどんこちらに近づいてきて目の前に長いスカートの裾と少しばかりくたびれた編み上げのブーツが現れた。


 少し調子の外れた歌に思わず笑い声をあげそうになり自分が隠れていることを思い出し慌てて口を両手で塞ぐ。その気配に気が付いたのか歌声がピタリと止まった。


「やあねぇ……人がせっかく気持ちよく歌っているのに、こそこそ聞き耳を立てるだけならまだしも笑うだなんて」


 そんな言葉と同時にいきなりその場でしゃがみこんだ女性が生け垣の中に身を潜めていた私を覗き込んできた。


 陽の光の加減で水色にも銀色にも見える白い髪と虹色に輝く瞳をした女性。それが私と、雪色の魔女殿と呼ばれていたサリア・リーンとの出会いだった。


「あら、誰かと思えば王子様。いけない子ね、ここに来てはいけないって大臣達には言われていなかったの?」


 私の顔を見て彼女はニッコリと微笑んだ。


「……えっと、実は僕、剣術の稽古から逃げて来たんだ。少しの間ここに匿ってくれる?」

「あらあら、王子様ったら逃亡中なの? 剣術は王子としての嗜みの一つでしょ? どうして逃げ出したりなんかしたの?」

「だって今の先生、凄く怖いんだ。まるで僕を本当に刺そうとしているみたいで」


 私の言葉を聞いて彼女はしばらくの間なにやら考え込む仕草をしてみせる。


「それはちょっと問題ね。なら仕方が無いわ、少しの間だけ匿ってあげる」

「本当?!」

「その代わりと言っちゃなんだけど、ここにいる間は私の仕事の手伝いをするのよ? ハーブを摘む作業なんだけどそろそろ腰が痛くなってきちゃったの」

「うん、手伝うよ!」


 私は生垣から這い出ると彼女の前に立って服についた泥と草を払った。


「そうだ、貴女の名前は? ここで働く庭師?」

「私の名前はサリア。ここはね、王族の皆様方に使っていただく薬の材料を育てている場所なの。魔力では病の症状を軽減することはできても、完全に治すことが出来ないのよね」

「魔力……ということは貴女は王室に仕えている魔女? 魔女でも病気は治せないの?」


 魔女に不可能は無いと思っていた私は彼女の言葉に驚き、そんな私を面白そうに見下ろしている彼女に更に尋ねた。


「そうよ、魔力も万能ではないの。だからこうやって今迄の知識を活かして薬草を育てているってわけ。日々の学習はこういう時に役立つのよ。そうだ、王子様はちゃんと勉強している?」

「うん。勉強は好きだ」

「そう。だったら色々と教えてあげるわ。でも……」


 再び考え込むような素振りを見せた彼女は私を見下ろして首を傾げてみせる。


「なんだか王子様って呼ぶのも堅苦しいわよね、なんて呼べば良いかしら」

「えーっと……」

「ああ、大丈夫よ。本名を知られたからって操られるとか命を食われるなんていうのは作り話だから」


 こちらの心の中を見透かしたように悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「アルベール、です」

「アルベール……じゃあ、二人だけの時はアルって呼んでいい?」


 懐かしい呼び名に胸の中が少しだけシクシクと痛むのを覚える。


「久し振りにその呼び名を聞いたよ。そう呼んでくれるのは亡くなった母上だけだったんだ」

「あら、だったら別の呼び方にしましょうか?」


 私の気持ちを察したのか、彼女は心配そうな顔をした。


「ううん。そう呼んでくれる人がまたできて嬉しいんだ。だからサリアは僕のことをアルって呼んでくれて良いから」

「そう? だったらこれからもよろしくね、アル。じゃあ手始めにこっちのハーブの摘み方から教えるわ。摘んで良い葉とそうでない葉を見分けるのはちょっとしたコツがいるの」


 そう言って彼女は付いてきてと私を手招きしながら歩き出す。


「え、全部抜いちゃ駄目なの?」


 何も考えずに根こそぎ引き抜けば良いと思っていた私は驚きながら彼女の後を追った。


「そんなことをしたらまた種を蒔くことから始めなければいけないでしょう? ちゃんと次の葉が育つようして摘まなきゃダメなのよ」

「僕、根っこから抜いてまた種を蒔くんだと思ってた」

「そんな勿体ないことはしないのよ。芽が出たら枯れないように大事に育てながらできるだけ長く摘むのが大事なの。種からだと摘めるまで時間がかかるでしょ? これは何もハーブだけの話じゃないのよ?」

「そうなの?」

「そうなの。その辺のことはまた改めて話してあげる。だけど今日はまずはハーブの見分け方からね」

「うん!」


 それから私はちょくちょく奥宮の花園を訪れるようになった。


 剣術の稽古を抜け出してくる時もあれば、たまに勉学の時間を抜け出すこともあった。そういう時は少し怖い顔をしてサリアにたしなめられたが、それでも彼女は私を無理に追い出そうとはせずにハーブを摘む作業の手伝いをさせてくれた。


「まったもう。私が陛下に叱られたらアルのせいですからね。ここを追い出されちゃったらどうしようかしら」


 そんなことを言いながら溜息をつく彼女に驚いて薬草の葉を摘む手を止める。


「ここから追い出されてしまうの?!」

「貴方が頻繁に剣術のお稽古や勉学の時間を放り出してここに来るようならね」


 その言葉にそれまでの楽しい気持ちがみるみるしぼんでいくのが自分でも分かった。


「……ごめんなさい」

「勉学も剣術も将来この国を治める為には必要なことなんだから、あまりサボってはダメよ? 何も出来ない国王様が国を治めることになったら皆が困るでしょ? まあ薬草作りの助手がいなくなるのは寂しいけど仕方ないわよね。誰か……」

「ダメだよ!!」

「え?」


 思わず口から飛び出した言葉に一番驚いたのは彼女ではなく私自身だった。


「ここでサリアの手伝いをするのは僕だけなんだから! 他の人達に頼んじゃダメだ」

「そうは言ってもねえ……」

「サボらずに剣術も学問もする。だからその合間の時間にここに来るのは良いよね?」


 自分でも随分なわがままを言っているというのは自覚していた。


 王宮には他にも魔女はいるだろうにここの手入れを任されているのは彼女一人のようで、これだけ広い花園を全て回ってハーブを摘み取るのはなかなか骨の折れる仕事だ。魔女なのだから魔法で一気に摘み取ることは出来ないの?と尋ねてみたことはあるのだが、彼女は笑いながら私がここで魔力を使ったら花園に大穴があいてしまうわと言うだけだった。


「仕方ないわね、分かったわ。その代わり、ここに来る時には必ず陛下にもお許しを貰うのよ? そうしないと本当に陛下に叱られてしまうわ」

「うん、分かった。だからここを他の人に手伝わせるのはダメだからね?」

「はいはい。アルがいない間は私一人で頑張るわ」

「魔法で何とか出来るように練習してみたら? そのう……穴が開かないように……」


 こちらの言葉にふむと考え込むサリア。


「そうね。ここしばらく新しい試みなんて御無沙汰だから少し自分の魔力を制御できるかどうか試してみようかしら」


 そのような次第で花園にはたまに地面が抉れたような大穴が出現することがあったのだが、それは私とサリアだけの秘密だった。

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