1.灰色の邂逅3

 食堂に隣接した運動場で、遙真と唄は向かい合った。

 スカートの下にスパッツを穿き、唄は臨戦態勢となっている。


「私は準備万端です。比奈くんはできました?」


 良人の身支度を確かめる、外出前の妻のような、緊張感のない訊き方だ。喧嘩をしようというのに、強者特有の迫力や威圧感、ひりつきを唄に感じない。


「待てよ。運動場で守鍵魔術を使うのは、校則で禁止じゃなかったか?」


「見かけによらず、真面目なんですね。学内での守鍵の使用は原則、演習場でのみ可能ですが、移動時間がもったいないです。空いてますし、いいでしょう」


「確かに、誰も使ってはないな」


 運動場の端にできた、野次馬の群れを見る。食堂に居合わせた学生たちが、物見高さからついてきたのだ。二人が来るまでの運動場では、持久走や高跳び、素振りなど、基礎鍛練に励む学生がいた。が、彼らも鍛練を中断し、野次馬となっている。

 学生で五指に入る優等生と、実力未知の編入生との一騎討ち。見世物としては申し分ない。制帽の中に金を集めて、勝敗を賭ける輩もいた。


「張った張った。俺は〈灰鬼〉に賭けるぜ」「俺も〈灰鬼〉だ」「〈灰鬼〉が順当」「どいつもこいつも、張り合いがねえな。俺は……〈灰鬼〉で」


(あれじゃ賭けにならないだろ……)


「いやんっ。人気者すぎて、唄ちゃん、困っちゃうよ~」


 唄が愛嬌を振り撒く。野次馬が畏縮し、びくりとのけぞった。

 唄は不満そうにしつつ、遙真に仕合の説明をした。


「形式は対人の模擬戦形式。過度な怪我を与えないよう、とどめは寸止めにすること。決着の判定は公平にしましょう。月乃ちゃん、審判をお願いします」


 二人と野次馬の中間に立つ、憂い顔をした月乃を手招く。付き合いの長さに違いはあれど、彼女にとっては遙真も唄も友人だ。煩雑な心境だろう。

 月乃は言葉に詰まりながら、絞り出すように言った。


「本当に仕合をするのですか? 月乃は三人で……仲良くしたいのです」


「ですよね。私は月乃ちゃんに賛成です。ね?」


「俺に振るなよ。……ごめんな、月乃後輩」


 後輩の頼みであろうとも、唄の思惑が読めないうちに、気を許すわけにはいかない。したがって、この仕合も一切の手を抜かない。全力で臨む。


 遙真は意識を集中させた。魔術の素となる気――魔力を体内で練る。


「お前は知ってるよな。俺が喧嘩で加減しないって」


「奇遇ですね。私もです」


 軽口の叩き合いはそこまで。遙真と唄は鍵を抜いて、練った魔力を流し込む。施された仕掛けが作動。黒い炎が燃え上がり、鍵が刀へ形状を変えた。


「行くぞ」


 月乃と野次馬が見守る中、先に動いたのは遙真だった。

 間合いを詰め、刀を振るう。怪物を両断する一太刀を、唄は半歩と動かずに、真正面から受け止めた。衝突する二振りの刀が、余剰魔力の火花を散らす。


 二の太刀、三の太刀と重ね、鍔迫り合いにもつれ込んだ。

 力比べは遙真に分がある。刀を徐々に押しやり、均衡を崩していく。

 唄は押し合いを嫌い、後方に退いた――と見せかけ、鋭く斬り返した。電光石火の早業だ。音を置き去りにして、遙真の首を刈りにくる。

 だが、それは警戒していた。喉笛ではなく、刀で受ける。事前に駅で目にしていなければ、やられていたかも知れない。唄は追撃せず、今度こそ退いた。


「びっくりしました。よく防ぎましたね」


「今の攻撃、寸止めしようとしたか? 首取ろうとしてたろ」


「とどめは寸止めしますよ。比奈くん、防いだじゃないですか」


「減らず口め」


 遙真が会話に乗じて、呼吸を整える一方、唄の呼吸に乱れはない。直感が告げてくる。ひょっとして、力比べで優勢だったのは、唄が力を抑えたからでは……?


 弱気な考えを追い出し、遙真は果敢に攻めた。斬っては斬り、斬っては斬り、立て続けに斬りつける。消耗度外視の峻烈な連撃。唄を受けに回らせ、高速の斬撃を封じる。唄は左半身を斜めに引いた、独特な歩法で回避している。

 舞踊のように目まぐるしい。野次馬がどっと沸いた。遙真の剣術の技量は、唄に引けを取っていない。大方の下馬評に反し、見応えのある攻防だ。

 しかし、剣の腕が互角であっても、あくまで二人は魔術師である。


「よう、小手調べはやめようぜ」


 遙真は攻撃の手を止め、唄から距離を取った。


「魔術を使えよ。先手はそっちに譲る」


「どんな風の吹き回しです? 手加減なし、と言ってませんでした?」


「加減じゃない。レディファーストだ。英吉利イギリスで習った」


「そうですか。それでは、お言葉に甘えて」


 唄が刀身を指で弾く。凛とした音が響き、魔力の波が伝播する。


「灰燼に帰しちゃってください――〈業火〉解錠」


 かちゃり、と。鍵の回る音がして、唄の刀が黒炎を噴いた。

 炎は妖しい黒色から、唄の髪と同系の灰色へ。細かく分離し、複数の火の玉に。雷神の連太鼓さながら、輪形に連なった火球が、唄の背後の宙を漂う。

 火球は刀で操れるようだ。唄が正眼に構えると、一様に位置を修正し、遙真へ狙いを定める。ひとつが西瓜大はあり、遙真の肌を熱が炙った。


(灰色の人魂……鬼火? それで〈灰鬼〉か)


「行きますよー。えいっ」


 締まりのないかけ声に合わせ、燃え盛る鬼火が殺到する。

 各々が不規則な軌道を描き、四方八方から遙真に迫った。間近の数発を斬り払うが、唄はその間にも残弾を増やす。律儀に処理していては切りがない。

 遙真は駆け出した。強引に間隙を縫い、炎の包囲を抜ける。


「逃がしませーん」


 先読みされていた。唄が鬼火を差し向け、即座に進路を阻んだ。退路も断たれている。鬼火は包囲網を狭め、遙真の動きを制限し、高温の熱で体力を奪う。


「熱っ! ……まさに〈業火〉だな。熱っ、熱っ!」


 地獄の業火は永劫に燃ゆ。罪人を焼き尽くすまで、消えはしないという。


 日の本では守鍵と呼ばれる、魔術式を内蔵せし近代兵装、魔導鍵〈グリモワール〉。其は神仏が為せる御業のごとし。これが当世魔術の主流だ。


 鬼火が押し寄せる。遙真に選択肢は残っていない。魔術に太刀打ちする術は、魔術のほかにないのだ。遙真は刀を振りかぶった。追加の魔力を注ぎ入れ、


「起きろよ――〈天道丸てんとうまる〉解錠」


 呪言とともに振り下ろす。錠が開く音に続いて、変化は起こった。

 強風にでも煽られたように、鬼火が包囲網の並びを乱した。運動場のあちこちへ、散り散りに飛んでいき、次々と自然消滅する。唄の制御下を離れたためか。


「ったく、蒸し焼きになるとこだぞ」


 窮地は脱した。おまけに、鬼火の数が減じている。絶好の攻めどきだ。

 ここぞとばかりに突っ込む。遙真と唄は三度、刀を交えた。


「またびっくりしました。寸止めの用意をしていたのに。ほっ」


 唄が眼前に生んだ鬼火を、遙真は刀で薙ぎ払った。


「それ、何の魔術ですか? 風の操作、剣圧の増幅……は違いますね。そういう類の魔術なら、とっくに私のスカート、捲ろうとしてるでしょうし」


「するか!」


 遙真の叫びに呼応し、不可視の力が爆ぜた。突き飛ばされ、唄の体が泳ぐ。

 決定的な隙だった。唄の力量を考えるに、二度目はないだろう。

 終わらせる。即断した遙真の刀が、唄の刀を弾き飛ば――せない。


「私の勝ちです」


 唄の刀は真っ直ぐ、遙真の喉へ向いていた。一寸先に切っ先があり、実戦であれば、喉を掻き切られている。月乃が「し、勝負あり!」と宣言した。

 勝敗は言わずもがな。決め手は高速の斬り返し。既に見破られた戦術を、唄が繰り返すはずはない――との思い込みが盲点で、そこを突かれてしまった。


 、遙真の全力は唄に及ばなかった。


「比奈くん、聞こえてます? 私の勝ちです」


「……聞こえてる。二回も言わなくていい」


「よろしい。約束は守ってくださいね。反故にしたら、怒りますから」


 唄は満足そうに刀を下ろした。にやついた笑顔が憎たらしい。持ち前の負けん気精神から、沸々と悔しさが込み上げて、遙真は腹いせをしたくなった。


「敗けた。さすがに強えな。だけど、年頃の女子らしくはしとけ」


「人聞きの悪い。私はいつも大和撫子ですが?」


「スカートに気を配れないで、どの口が言っているんだか」


 こちらの言わんとすることを、そのひと言で察したようだ。

 唄がスカートの裾を押さえ、鼻で笑いながら反論する。


「嘘っぱちです。見えるわけがありません。スパッツを穿いてますもん」


「仕合でじゃなく、食堂での話だよ。ぶん投げられたとき、下から見えてたんだ。勘違いするな。お前の下着なんか、俺は見たくはな……どうして守鍵を抜いた? どうして鬼火を出した? 勝負あり……って言われただろおおおおおお!」


 野次馬が巻き添えを恐れ、一目散に逃げ去っていく。月乃が取り成してくれるまで、遙真は能面のように真顔の唄と、無数の鬼火に攻め立てられた。

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