1.灰色の邂逅

 揃いの白線帽、制服姿の学生たちが、校門をくぐり抜けていく。

 彼らが向かう先に建つのは、威風堂々たる構えの講堂群だ。


 校舎と大講堂を中心に据え、三棟の講堂と四棟の学生寮、その他にも食堂や図書館、来賓用の屋敷などが、広大な敷地に整然と並ぶ。外周は塀に囲まれ、警備の配置も万全。部外者の侵入は難しい。圧巻の外観に加え、完璧な防備である。

 完璧な防備である――のだが、これではまるで、


「学校と言うより、軍の基地だな」


「いえいえ、刑務所の方が合ってますよ」


 遙真のぼかした感想に対し、唄が歯に衣着せぬ感想を述べる。

 通学中の学生に混じって、二人は校門前の街路にいた。

 帝都近郊での一件が昨日。あれから待っていた車に乗り、昨夜は道中の旅籠で一泊し、早朝に帝都へ着いたばかり。休む間もなく、ここへ来た。


 帝都第零高等学校。日本が誇る魔術学専門学府だ。


「俺も晴れて学生の身の上か」


 遙真は自らの装いを眺めた。着ているのは周囲の学生と同じ、学校指定の特異な白黒学生服。昨夜の旅籠で唄に渡され、旅装束から着替えていた。

 遙真の呟きを聞き逃さず、唄は意外そうに訊ねた。


「遙真さんはまさか、学校に通った経験なしですか?」


「根なし草だったからな。……てか、昨日の今日で下の名前呼びかよ」


「いけません?」


「昨日のこと、俺はまだ納得してねえ」


「器が小さいですね。同じ屋根の下、ひと晩を過ごした仲なのに」


 後半をわざと大声で言う。遙真はぎょっとした。

 通りすがりの学生(特に女子)がざわめき、奇異の視線を向けてくる。編入前日だというのに、顔が知れ渡りそうだ。言うまでもなく、悪い意味で。


「事実を捻じ曲げるな! 宿が同じってだけで、部屋は別だろうが! しかも、お前はいい部屋で高い飯なのに、俺は素泊まりで質素な飯だったし!」


「あは、そっちも根に持ってましたか。本当に器が小さいとは」


「おちょくりやがって……!」


 苛立つ遙真を無視して、唄が校門へと歩いていく。

 追いかけようとした遙真は、おかしな場面を目撃した。

 彼女の進路上で人波が割れ、学生たちが道を空ける。遠くを歩いていた学生でさえ、わざわざ振り返っている。場の空気があからさまに変わった。

 遙真とのやり取りがなくとも、この学校で唄は注目の的らしい。


「お前、有名人なのな」


「ご冗談を。こーんなに可愛いんですから、当たり前じゃないですか♡」


 雑にはぐらかされる。遙真は耳を澄ましてみた。


「なあ、見ろよ」「〈灰鬼はいおに〉のお出ましだ」「ひぃぃぃっ!」


「めっちゃ怖がられてるぞ」


 冗談では済まない。片手で数えるほどだが、敵意が剥き出しの者もいた。敵地の真ん中を闊歩する感覚だ。それでいて、唄の足取りは飄々としている。


「気にしないでください。いつものことです」


 気にはなったものの、本人が意に介していない。詮索はしなかった。

 素知らぬ顔で嘱目をやり過ごし、門前の守衛に生徒手帳を示して、校門から敷地内に踏み入る。講堂を繋ぐ通りを歩き出すと、唄が手櫛で髪を撫でつけ、


「さてと、私の最後の役目です。校長室に案内しますね」


「校長室? 編入の手続きなら、事務室じゃないのか」


「言ってませんでしたっけ? 私が遙真さんを迎えに行ったのは、そもそも、学校長の言いつけだからです。学校長、遙真さんに会いたがってましたよ」


「初耳だっつの。てか、名前呼びやめろ」


 遙真は顎に手を添えた。学校長が会いたがっているだと?

 以前にどこかで出逢った? 記憶にない。面識はないはず。


(俺は何も聞いてないぞ、師匠)


 きな臭さを感じた。だが、相手は学校長。学府を取り仕切る最高責任者だ。理由もなしに断るわけにも、しらばっくれるわけにもいかない。


「うぐっ!? 急に腹の調子が!」


「…………」じとっ。


「……治った。治った、治った。治りましたよ!」


 結局、適当な理由が思いつかず、遙真は唄の案内に従った。

 二人は通りを南下し、校舎内に入った。階段で最上階へ上がって、突き当たりの部屋に行き着く。部屋の扉は重厚な造りだ。表札は金字で校章が刻まれていた。

 扉の前に人が控えている。若く精悍な男の軍人だった。


「朝比奈遙真さん、お連れしました」


「ご苦労」


 唄の報告に応え、男が扉を開ける。遙真は促されるまま入室した。

 使い込まれた執務机、外国製のソファ、壁一面を埋める書架に、アンティークの掛け時計。執務室と応接間を兼ねた、簡素な内装の部屋である。


 部屋の主らしき淑女は窓際に立ち、厚い書類の束に目を通していた。

 厳かな佇まい。眼差しは知性と気品を併せ持つ。

 それなりに高齢のようで、頭に白髪、頬に皺がちらほら。反面、すらりとした長身であり、背筋は真っ直ぐとしている。老いを上回る若々しさがあった。


「ようこそ、朝比奈さん。わたくしの学校へ」


 淑女が歓迎の挨拶をくれた。ふうわりと香水の匂いが漂う。

 言い草からして、彼女が学校長なのは明白だろう。


「あなたが校長さん?」


「ええ。学校長の座を預かる、西園寺さいおんじです」


 一学生に折り目正しく名乗る。学校長は書類を机に投げ出し、


「欧州からの長旅でお疲れでしょう。長ったらしい世間話はしません。北門きたかどくんのお弟子さんを、わたくし自身で見ておこう――と思いましてね」


 予期せぬ言葉だ。遙真は目を丸くした。その名はよく知っている。


「北門くんって……まさか師匠デスか?」


「わたくしの自慢の教え子です。さあさ、お掛けになって」


 呆気に取られながらも、素直にソファへ身を沈める。学校長は慣れた所作で茶を淹れ、遙真に湯飲みを差し出すと、遙真の対面に腰を下ろした。


「疑問に思いませんでしたか? 正式な編入試験もなしに、なぜ我が校に入学できるか。彼に頼まれたのですよ。どうか、君を入れてやって欲しいと」


「妙だとは思ってマシタ。だけど、裏口入学に当たるんじゃ?」


「高名な北門くんの推薦ですし。彼の持つ卓越した慧眼を、わたくしは信頼しています。裏口入学かと問われれば、勝手口入学くらいかしら」


(裏口なんじゃねえか!)


「……というのは建前。わたくしの内心はきっと、断りたくなかったのね」


 思わせぶりに言う。学校長はどこか嬉しげに茶を啜った。


「教え子の数年ぶりの頼みだもの。無茶も叶えてあげたくなるわ」


 子を慈しむ母のように、遙真へ上品に微笑む。


「君は昔の彼にそっくり。良い魔術師になれるでしょう」


「ありがとうゴザイマス。師匠にそっくりじゃないデスけど」


 ツボだったのか、学校長は噴き出した。彼女からしてみれば、遙真とかつての教え子の心象は、重なっていたのかも知れない。遙真に自覚がないだけで。


 時機を計ったかのごとく、始業を告げる鐘が鳴り響いた。


「愉しい時間は経つのが早いわ」


 学校長が湯飲みを片付け、横目で掛け時計を見やる。


「今日はありがとう。寮長に話は通っています。寮でゆっくり旅の疲れを癒して、明日よりの学業に備えるように。活躍を期待していますよ、朝比奈遙真さん」


「会えてよかったデス。失礼シマス」


 話し合いは和やかに終わった。遙真は退室しようとしたが、


「――ひとつ、訊いていいですかね?」


 出がけに立ち止まって、訝しむ学校長にこう訊ねた。


「俺を入学させてくれた、本当の理由について」


「はて、何のことでしょう」


 遙真の問いかけに、学校長は小首を傾げた。その仕草や声音はあまりに自然で、不自然さの欠片もなく――それゆえに、不自然で白々しかった。

 下手な嘘や揺さぶりは通じない。遙真はいっそ開き直った。


「俺がこの学校に来た目的、実はわかってるんじゃ?」


「学生は学業が本分です。我が学び舎に通うに際して、それに勝る目的があって? けれど、君に果たすべき他の目的があり、仮にわたくしが既知だとして、君は達成を諦めてしまうの? その程度で諦めがつく、理由と覚悟なのかしら」


「それは……」


 ぐうの音も出ずに押し黙る。学校長の言う通りだった。

 知られていようが、知られていまいが、瑣末なことなのだ。誰を敵に回したとしても、為すべきことは変わらない。目的をやり遂げなければならない。


「貴重な助言をどうも」


 遙真は去り際に一礼し、足早に校長室を出た。





 静かになった校長室に佇み、学校長は茶の残りを飲み干した。


「紫遠さん、いらっしゃる?」


 部屋の隅に呼びかける。唄が音もなく姿を現した。

 遙真の入室に乗じていたのか、途中で入ってきていたのか。


「はい、学校長。ご用ですか?」


「あなたの意見を聞かせて。朝比奈さんをどう思います?」


「怪しさ満点ですね。あらゆる点が」


 即答で返す。何を問われるのか、わかっていたようだ。


「人間性をひと言で表せば、向こう見ず正義漢馬鹿。履歴書、編入届けの不備はなく、身上調査に不審点なし。過去の犯罪歴もなし。かてて加えて、かの大魔導師、北門きたかど大和やまとが後ろ盾。怪しんでください、と喧伝するようなものです」


「ふふっ、ひねくれた考え方。わたくしも同意見ですがね」


 学校長は窓の外を見下ろした。ちょうど、遙真が校舎を出ていくところだ。遠ざかる遙真を目で追いながら、唄に次なる用件を依頼する。


「引き続き、彼のをお願いできる?」


「よろしいんですか? 私が役だとは、勘付いてそうですが」


「構いません。ええ、構いませんとも。我が校に在籍している限り、表立った反抗はしないでしょう。彼曰く、目的があるそうですから」


「了解しました。案内役の任を継続します」


「そうだわ。どうせなら、彼と友人になってあげなさい。知己が一人もいないのだし、心細いに違いありません。あなたがよければ、お友達以上でも」


「いやー、友達以上は厳しいです。好みじゃないので」


「あら、色恋の話は久しぶり。紫遠さんの好みの異性像、興味深いわ」


 考え込む素振りもせず、唄はまたしても即答した。


「私の言うことを何でも聞く、馬鹿で愚かな人がいいですかね」

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