7日目の夜

 その晩、部屋に入ってきたスズは賢者の名を呼ばなかった。それだけでなく、これまでと違ってどこか肩の力が抜けた様子を見せていた。

「世話になった」

 それが第一声だった。

「って、まさか見つかったのか!?」

 油揚げと蕎麦の入ったプラスチック容器を手にしたまま俺が驚きの声とともに立ち上がると、スズは首を振った。

「いや。時間切れだ」

「そっか。ペンダントの魔力か。あとどれくらい持つんだ? 1時間くらいか?」

 カップラーメンを作るときに翻訳機が時間の長さもちゃんと訳してることが分かった。賢者の翻訳機、マジ賢者。

「あと10分くらいだと思うが、そういうことではない。元々、私の任務に必要な時間分しか充填してきてないからな」

 そこで、どこまで話したものか迷うかのように逡巡し、あらためて口を開いた。

「言ってなかったが、今回の魔物出没の件は、その中心に賢者の館があると分かった時点で館を破壊する方向で話が進んでいた。異世界との門が開いているとすれば館の中だろう、ではまず館を破壊するのが先ではないか、というのが一致した見解だったからな」

 手順としては、周囲に被害を及ぼさぬよう結界を張った上で跡形もなく爆破する、というもので、とりあえずそれをやってみてもなお魔物の出現が続くようなら次の策を練るということらしい。

「いや、シンプルというか……なんだろう。とりあえず館を破壊したいって気持ちが伝わってくるんだけど……賢者ドラゴッツィ殿って意外と嫌われてたんじゃねーの?」

「どうだろうな。実際、お偉方の心象はあまり良くはなかった。相手の身分の上下で態度を変えない方だったそうだ」

 それはさておき、と話を戻す。

「私はこの作戦には反対だった。確かに周囲には被害が出ないかもしれない。だが門がつながってしまっている向こうの……こっちの世界は大丈夫なんだろうか。そう考えてしまってな」

「え?」

「だから今回のこの探索は私の独断だ。誰に頼まれたわけでもない。結界が張られる前に忍び込んだ。なんとか作戦開始前に賢者殿の行方の手掛かりくらいは見つけられないかと思ったんだが、やはり時間が足りなかった」

「お前、ホントお人好しだな」

 心底呆れたように言う俺に、何匹もの魔物と戦ってボロボロになった鎧姿でスズは首を振った。

「違う。誰かのためではない。私が納得するかしないかだ。結局、破壊による解決は止められなかったしな。だから最後にお主に警告しに来た。明日は出来るだけ外出していることだ」

「そっか。サンクス」

 少し沈黙が流れる。

「その、なんだ」

 どうしたんだ。いつも即断即決なこいつにしては珍しく歯切れが悪い。

「出来ればでいいんだが、まあ、無理にとは言わん」

「だから何をだよ」

 つーか翻訳機……じゃなくて生命維持装置の残り時間は大丈夫なのか。

「その……何かもらえないか。こう、短い時間だが会えたのも何かの縁だ。せっかくだから」

 ああ、そういうことか。確かにもう会うこともないだろうしな。しかし何かあげられるものあるかな。まさかカップラーメンあげるわけにもいかんし。

「じゃあこれとかどうだ? 俺の名前だ」

 部屋の片隅に置いといた表札を持ってくる。俺の持ち物かというと微妙なラインだが、思い出してもらうという意味では一番ふさわしい気がする。スズはそれをしげしげと見つめ、どこか戸惑いながら読み上げる。

「ザトバ・ドラゴッツィ・ザイ?」

「ちょっと待て」

 頭を抱える。ツッコミどころが多すぎて追いつかん。

「どうした」

「どういうことだよ。文字まで訳すのか、お前の翻訳機は。いや、つうかなんで名前も訳すんだ。なんで3人分しか登場してない名前のうちでまた2人がカブってるんだ」

 それまでのしんみりした空気が吹っ飛んだ中で、逆に落ち着きを取り戻したらしいスズが淡々と答える。

「会話の中で名前と判断したものはそのままの音で訳すようだな。書かれた文字はそのまま意味を訳す。ドラゴッツィという言葉は『貴重』や『尊敬』という意味があるので比較的名前に使われやすい。おそらくだがお主の名前にもそういった意味が含まれているのだろう」

「確かに含まれてるけどさあ」

 なんか思い切り力が抜けてしまった俺に表札を向けてスズが微笑んだ。

「いい名前だ」

 つられて笑ってしまう。なんかその笑顔で何もかも許せる気がした。

「ついでだから最後に教えてくれよ、ヴィソカヤ・クラコリチク。なんでスズなんだ、お前の愛称」

「そのままだが」

「どこがだよ」

「クラコリチクだからスズだ。説明のしようがない」

 スズの憮然とした表情を見ていて、やっと気づく。

「あー、もしかしてクラコリチクって小さな金属製の楽器か? こう、金属と金属がぶつかる感じの」

「よく知ってるな。その通りだ」

 なるほどなあ。鈴か。女の子の愛称としてだから、音じゃなくてより雰囲気に沿った意味のほうで訳したのか。

 高性能な翻訳機というより、もうなんつうか……通訳だな。通訳。多分だけど、スズとしては「クラコリチクだからクラコリチクだ」と言っているつもりなのだろう。そりゃ話が通じんわ。

「賢者ドラゴッツィ殿、マジすげえわ」

 何度目か忘れたが、また呟く。

 そこで思い出した。

「おい、残り時間大丈夫なのか」

 その言葉にスズが慌ててペンダントを引き出す。ペンダントは螺旋の先端に今にも消えそうな淡い輝きをわずかに残すだけだった。

「まずいな。そろそろ本当にお別れだ」

「つーか、日をまたいで来てるなら充電しろよ。そんなに曇り続きだったのか、お前の世界は」

「何を言っているんだ。私が館に忍び込めたのは爆破の前日で、探索に使えたのはたった一夜だ。もちろんとても屋敷全体を調査することなど出来ないと分かってはいた。だが納得はできた」

「……おい、ちょっと待て」

 スズが玄関へと歩み寄り、扉に手をかけた。反対側の手に持った表札を軽く振る。

「この夜のことは忘れない。明日は忘れずにちゃんと外出を……」

「待てって!」

 表札を持った手をつかむ。

「どういうことだ? 俺がお前と初めて会ったのは6日前だ」

「何を言っているんだ? 私がお主と初めて会ったのは6時間前だ」

 そういうことか。

「1つだけ教えてくれ。クラコリチク・ドレボ・ドラゴッツィのドレボの意味はもしかして『樹木』か?」

「え? ああ、その通りだ。『安定』や『信頼』という意味もあるが」

 いきなりの質問にスズがとまどいつつも教えてくれた。なるほど。これで全部つながった。

「……分かった。多分、分かった」

 俺は押入れに向かった。スズが後ろで何か言っているが時間がないので無視する。えーと、確か日干ししてたものは天袋のほうだった気がする。押入れを開けると上の段に足をかけて天袋の中を覗く。面倒なので手が届く範囲の箱や包みを全て床に放り、畳に飛び降りる。

「おい、すまんが本当にもう時間が……」

 焦るスズを放っておいて、片端から箱を開けてみる。

 ああ、これかな。

「よし。とりあえず今日はこれを持って帰れ」

 子供の背丈ほどの細長い箱の中には、スズのペンダントと同じ青い色に淡く光る杖が、ほんの少し宙に浮きながら収まっていた。

「何か分かったらまた来い。ああ、でも出来る限り早く来てくれよ。1年以上かかったら俺は40代のおっさんになってるからな」

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