6日目の朝
大して睡眠時間も確保できなかったのにもかかわらず、体の痛みに目が覚めてしまった。時計を見ると朝の6時半。どうやら3時間くらい寝てたらしい。起き上がろうとして全身の痛みにうめく。筋肉痛というよりも筋を痛めた感じだ。
「やっぱ鍛えてないと無理な動きだったよなあ……あれは……」
十代の小柄な女性とはいえ、全身鎧を着た人間を抱えて立ち回ったことを思い出す。そうか。あの動きは腕だけじゃなくて全身を使う作業なのか。でもそうしなければ狼男のかぎ爪がスズを貫いていただろうし、まあ、しょうがない。
痛みを訴える体をなだめつつ起き上がり、顔を洗うために外へ出る。何しろ俺の部屋には洗面台すらないのだ。
共同トイレの洗面台で顔と手を洗ってから、俺の名の書かれた表札のかかっている部屋の玄関に向かって中庭を横切っていると、ちょうど朝の庭掃除のために武緒さんが外に出てきたところだった。武緒さんが俺のぎごちない動きを見て表情を曇らせる。
「まあまあ。どうかされたんですか?」
「あー、いえ……ちょっと重い荷物を動かしまして」
まさか鎧を着た女騎士を狼男からかばったからです、とは言えずに適当な言葉で誤魔化す。荷物扱いしてすまんと脳内のスズには謝っておいた。まあ、その程度で怒る奴じゃないか。
「あらあら……もしかして押入れの中の物が邪魔でしたか? 本当にごめんなさい。言ってくれれば動かしますから次は任せて下さいね!」
ぐっと細い腕でガッツポーズを見せる。可愛い。
しかし、そうか。確かにあの部屋にある重い荷物といえば押入れの中の品々ってことになるな。俺の荷物なんて衣類とカップラーメンくらいだし。
勝手に大家さんの持ち物に触ったと思われるのもなんかさみしいけど、否定すると今度は何を動かしたんだということになる。しょうがない。
「いえ、いい運動になりましたから」
大丈夫ですと手を振ろうとして、体に走った痛みに顔をゆがめる。その様子を心配そうに見ていた武緒さんが、何かを思い出したらしく少しだけ表情を和らげた。
「そうそう。前も手伝ってもらったあと、貴志さんが筋肉痛になってましたね」
「先週のアレですね」
母屋から俺の部屋の収納スペースに色々と移した先週の重労働を思い出す。
「それもそうですけど、うちの古い荷物の日干しとかも手伝ってもらったじゃないですか」
「そんなことありましたっけ……」
「去年の夏ですね」
「……ああ、あれっすか。まあ手伝ったの俺だけじゃないですけどね」
武緒さんの点数を稼ごうと下宿の住人が総出でガラクタの整理やら掃除やらずっとしまわれていたものの日干しやらに精を出した日を思い出す。掃除を手伝おうとする側の人数が多すぎて、しまいには大家の家の奥から半世紀近くしまいっぱなしだったものまで持ち出されてきてたのはさすがにやり過ぎだと思った。
あれももう1年前か。そういえばこの下宿先の住人たちのバラエティに富んだ顔ぶれを初めて知ったのもあの日だった。自称正義の味方(実際はただのフリーター)とか、漫画家志望のおっさんとか、改造バイクを乗り回す無職とか……
「ホント、ここの下宿って変人ぞろいですよね。普通の下宿だったら契約交渉の時点で断ってますよ」
俺のこの言葉に暖かい微笑みを向けてくれる武緒さんのまなざしは「ええ、貴志さんを含めてそうですよね」と言っているように感じられたが、断じて気のせいだ。
「まあまあ、もう築40年か50年くらい経ちますし、入ってもらえるだけで嬉しいくらいです。それにこの下宿を始めた祖父も相当変わった人だったって聞いてます。だからこそどんな人でも分け隔てなく受け入れることが苦でなかったのかもしれませんね」
なんでもいい話に着地させるな、この人。さすがだ。
ところで祖父というと武緒さんが名前をあやかったとかいう例の尊さんか。武緒さんが誰にでも優しいのはそのおじいちゃんに似たのかもしれないな……とか言えるほどこの人のことを知っているわけでもないか。やめやめ。
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