4日目の夜
「失礼する。賢者ドラゴッツィ殿はいらっしゃるか」
もう聞きなれてしまった声が玄関から聞こえた。
「だから俺しかいねえって言ってんだろうが」
「ああ、貴志殿か。また会ったな」
「またっつうか、もう4回目だぞ、騎士ヴィソカヤ・クラコリチク」
この発音しづらい名前をスラスラ言える程度の回数は会ってるのだ、と遠回しに伝えてみる。しかし相手は疲れた様子にも関わらず、俺のそんな皮肉にも礼儀正しさを崩すことはなかった。
「前も伝えたが堅苦しいのは苦手だ。親しいものはスズと呼ぶ。お主もそれで構わん」
そういえばそんなこと言ってたな。つーか、どうしてヴィソカヤ・クラコリチクの愛称がスズなんだろう。まあ、そんなんこっちの世界でもよくあることか。
「それほど年も離れていないことだし、気を遣う必要もあるまい」
そうそう、相手の落ち着き具合から勝手に年上かと思っていたがどうやら同い年くらいらしい。見た目が西洋人っぽいというのも年が上に見えた理由の1つかもしれないが、何より厳しく躾けられてきたんだろうなあ、と思わせる何かがある。
しかしその物腰の優雅さとは裏腹に、身につけた鎧もそれと同じ色の豊かな赤毛も、見るたびにどんどん薄汚れていってる気がする。せっかく夜をまたがずに日帰りで来てるんだから着替えてくればいいのに、と思わないでもないが、余計なお世話な気もするので言わないことにした。俺にだってそれくらいのデリカシーはある。
「いい加減、諦めろよ。この部屋には俺しかいない。何度も何度も同じ部屋にきといて、なんで別の人間がいると思うんだよ」
「確かにお主からすればそう感じるだろうな。だがこちらの世界では毎回違う扉から訪れている。そう考えれば、今度こそ賢者殿がいらっしゃる扉かもしれぬと期待する私の気持ちも少しは分かってもらえないだろうか」
なおスズが賢者と呼んでいるのは、彼女が向こうの世界で探索している館の持ち主だ。
スズの世界でも指折りの魔術の使い手らしいが、あまり社交的でなく、彼の名声を目当てに寄ってくる連中に嫌気がさしたのか、2年前にどこへともなく姿を消したらしい。
それで終われば何の問題もなかったが、空き家となった賢者の館の周辺で2週間ほど前から魔物が出没するようになり、しかもその魔物たちが異世界(俺の住んでるこの世界のことだ)から召喚されてきたものらしいと判明したことで放置できなくなった。
確かに初見のモンスター相手に戦うのはきついよな。
そんなわけでスズに与えられた任務は、館の中を探索し「異世界に立ち去った賢者の行方の手掛かり」もしくは「異世界とのつながりを閉じる手段」を見つけることらしい。もちろんベストは賢者本人の発見だろう。
ちなみに賢者のフルネームは、クラコリチク・ドレボ・ドラゴッツィだ。最初にスズと会ったときに、何度も何度も本当に違うのか念を押された上に、その後も会うたびに確認されたから覚えてしまった。こんなことに記憶力を割いてるから昼日中に大事なことが思い出せなくなるんだ。
なお賢者のフルネームとスズの本名であるヴィソカヤ・クラコリチクは微妙に似ているが「偶然だ」の一言であっさり済まされた。
異世界の人間を2人ランダムに集めて同じ名前とかありえねーだろ、と初対面のときに全力でツッコミを入れたら「申し訳ないが、あり得るとしか言えぬ。クラコリチクという名は、賢者殿や私に限らず、多くの人々の一族の名にも個人の名にも使われているものなのだ」と本当に申し訳なさそうに言われて、むしろこっちが謝りたくなった。
考えてみたら日本人の名前だって「村」だの「木」だのが腐るほどに出現するし、そういうものなのかもしれない。うん。
そんなことを回想していると、スズが心配そうに俺を見ている。どうでもいいけどなんか俺いつも誰かに心配されてる気がする。そんなダメ人間に見えるのか。
「お主、いつ来ても食事中だが……大丈夫か。たくさん食べれば育つというものではないぞ」
どうやら俺の手にあるカップ焼きそばを見ていたらしい。余計なお世話だ。毎晩来てるのはお前だろうが、と言い返そうかとも思ったがやめた。めんどくさかったからとか、食事に専念したかったから、というのもあるけど、明らかに本気で心配してくれている様子だったというのが一番の理由だ。
まさか食いたいだけってことはないよな、と思いつつも、試しに部屋の隅に積んであるカップ麺を勧めてみた。
「スズも食う? こないだと同じシーフード味もあるし、違うのもあるぞ」
「いや、申し出はありがたいが先ほど食事したばかりなので結構だ」
俺の申し出を困惑した顔で断るスズ。
えー、そんな困らせるような申し出をしたか、俺? なんか飯を勧めて断られるとちょっとさみしい。でもちゃんと食事してるのな。それはそれで安心する。
ここでふと気づいた。
「あれ? 今日は1人か?」
「今日はというか、ずっと1人だが」
そもそもこの探索は私が無理を言って続けさせてもらっているもので他の仲間を巻き込むことは、とかなんとか続けるが、そういうことじゃないんだ。
「いや、そういう話じゃなくて今日は魔物引き連れて来なかったのな、ってこと」
毎晩、俺の世界ではそこそこメジャーなモンスターを引き連れて登場するので、それが普通かと思ってたが、俺の言葉にスズが首を振った。豊かな赤毛が大きく揺れる。
「さっきもお主の世界の魔物に襲われたが、安心しろ、大丈夫だ。心を読む化け物だったらしいのだが、言葉が違うせいかうろたえるばかりでな。剣をかざしたら逃げていった」
ああ、悟りの化け物か。確かに心を読めないんじゃマウントのとりようもないもんな。可哀想に。
あれ? ちょっと待てよ。
「その翻訳機は効かなかったのか?」
相手の胸元を指す。スズは俺の言葉に鎧の胸元から紐で首にぶら下げた螺旋状の貝殻のペンダントを引き出した。
「ああ、これか。魔力を節約するためにこちらの世界に来るときしか用いないようにしているだけだ。向こうでも発動させ続けていたらとても探索の期限まで魔力が持ちそうにもないのでな。そういう意味では怪我の功名だった」
見ると、初めて見たときにはその螺旋の半ばまで満ちていた青い輝きが今はさらにその半分程度まで減っていた。
「それが尽きたら言葉が通じなくなるのか。困るな」
俺がそう言うと珍しくスズが厳しい表情を見せる。
「ただ翻訳しているだけではない。お主の世界はマナに乏しすぎて私たちに生きていける環境ではないのだ。これは実質的に生命維持装置に等しい」
「うーん、お前のその言葉を聞いてると、やっぱその翻訳機すげえわって感想しかわいてこねえんだけど」
なんだよ、生命維持装置って……本当にお前の世界の言葉にあるのか、それ。
「そういえばこの品も賢者ドラゴッツィ殿の研究成果の1つだぞ」
「賢者すげえな」
「ちなみに日光に当てるだけで魔力が回復する」
スズの話によるとそれまでは魔力を使い果たしたら廃棄するのが普通で、充填し直せるものも動物の生き血や長い儀式を要するものが普通らしい。マジかよ。すごいな、賢者ドラゴッツィ殿。ようやっと凄さが伝わってきたぞ、賢者ドラゴッツィ殿。
「ではそろそろ失礼させて頂く。たびたび邪魔してしまって申し訳ない」
「おう。じゃあな」
翻訳機の淡い輝きが扉の向こうに消えて、閉じられた扉がすぐにこっちの世界のなんのへんてつもないドアに戻るのを見届けたところで、ふと(あれ? そういえば丸1日経ってから来てるのになんで昨日より魔力を消耗した状態のままなんだ?)という疑問が浮かんだが、すぐに気づいた。
「あー。曇ってると回復しないからか」
あっちの世界は今頃が梅雨時なのかもしれない。不便な気もするけど、それでも動物の生き血よりか便利なのは間違いないか。
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