4日目の朝

 朝起きて、とりあえず昨晩の夕飯の後始末をしようと周囲を見回したらすでにカップラーメンの容器類はビニール袋に詰め込まれ、ちゃんと口も縛ってあった。帰る前に後片付けしてくれてたのか。気づかんかったわ。あいつも時間に余裕がないだろうに、なかなか律儀な奴だ。

 座ってゴミ袋を眺めていてもしょうがない。大学の授業まではまだ時間があるが太陽の光を浴びたくなったので部屋の外に出てみた。

 残暑もまだ厳しい9月半ばとはいえ、朝はひんやりと気持ちの良い空気が流れている。目の前には大家の自宅の庭にも落ち葉が目立ち始めた。

 ちなみに俺が今出てきたのは大家の自宅に併設されている離れだ。人に貸し出す前に母屋との通路は封鎖したらしく、玄関は外にしか通じていない。中には四畳半と押入れしかない。扉に「刈田貴志かりたたかし」という手書きの表札がついて無ければ人が住んでるとは思わないだろう。なおトイレと風呂は同じ大家が管理している隣のアパート内にある共同のものを利用している。

 快適とは程遠いが、東京で家賃2万円の部屋を探そうとすれば、これが限界だ。それに正直なところ、俺はここが気に入っていた。

「あらあら、貴志たかしさん。おはようございます」

 中庭で朝の掃き掃除をしようと母屋から出てきた大家の娘さんと目が合った。

 昨日、安藤との会話で話題にあがった武緒さんだ。俺より1つしか上じゃないはずなのにめっちゃ大人びて見える。ちなみに見た目はハーフかクォーターぽい感じの美人だが、祖父母は父方も母方も日本人らしい。なんでも祖父が外国人っぽい外見だったとかなんとか……という諸々の情報は武緒さんファンであるアパートの住人たちから歓迎会という名の家飲みの最中に得たものだ。

 さらに言うと見た目が外国人っぽい割には達筆な方で、俺の部屋の表札も武緒さんの手書きだ。あまりに見事なので部屋の中に飾る用にもう1つ作ってもらった。頼む方も頼む方だが、快く受けてくれた武緒さんも俺を甘やかし過ぎだと思う。

「どうかしましたか?」

 心配そうに相手が小首をかしげる。しまった、思わずガン見してた。寝不足で判断力が鈍ってるな。えーと、なんか話題にできそうなこと。

「……ああ、そうそう、銀食器ありがとうございました」

 おかげで昨晩は吸血鬼が倒せました、とは言わない。

 言えるわけがない。

「洗って返しますんで、もう少し待ってください」

「いえいえ。役に立ちましたか。良かった。そうそう、こちらこそ先日はありがとうございました」

 どの件だ? 最近あまり寝てないせいで記憶力が鈍ってる。思い出せない様子の俺を見て武緒さんがもどかしげに箒を振る。

「ほらほら、片付け手伝ってもらったじゃないですか。押入れ使わせてもらって申し訳ないですけど」

 ……ああ、あれか。いつだっけ。1週間くらい前に片付けというか大掃除というか、何かを手伝ったな。

 俺の借りている離れはそもそも賃貸用の部屋ではなく、大家の母屋の一部で使う人もなく倉庫同然に使われていたものである。どうせなら貧乏学生用に貸し出してみるかと不動産屋を通じて募集してみたら俺が釣れたというわけだ。

 ただ格安で借りられる反面、押入れや天袋の優先権は大家側にあり、つい先日もそろそろ使わなくなりそうな夏物や、しばらく使うあてのない大家の両親の遺品やらが離れの収納スペースに運び込まれた。

 片付けの間は部屋を出ていてもらえないかと頼まれたが、どうせ行く場所もないので手伝ってみたところ夕食をごちそうになれた。そもそも俺のわずかな枚数の衣類で押入れや天袋を埋め尽くせるわけもなく、武緒さんの手料理が食えた分むしろ得した気がする。まあ、その後の数日はえらい筋肉痛に悩まされた。

 ホント、体を鍛えたほうがいいぞ、俺。

「いえ、大したことしてませんし」

 そう答えたあと、話が続かない。

 武緒さんはにこにこと笑顔で立っているが、会話がないとなんとなく居心地悪い。何とか話題をひねりだそうとする。そういえば大学で武緒さんの話をしたな。なんの話だっけ。

「あー、そういえば友人に武緒さんのこと話したんですよ」

 つい口をついて出てしまったその言葉に武緒さんは少し驚いた顔をする。

「まあまあ。何をですか?」

 しまった。大家の娘さんが可愛いって話です、とか面と向かって言うのはさすがに恥ずかしいぞ。そもそも失礼じゃないか? えーと、外見以外に何の話をしたっけ。

「いえ、武緒さんって名前がなんか男っぽい名前だなあ、とかそんな話です」

 待て、これも失礼じゃないか。落とし穴を避けて別に穴に落ちてどうする。内心で焦りまくりの俺だったが、武緒さんは気にした風もなくクスクスと笑った。

「はいはい、よく言われますね。祖父の名前からちょっと拝借したらしいです。漢字は違うんですけどね。なんかすごい頭が良かったらしくて、父がそれにあやかろうって思ったそうです」

 ちなみにおじいさんの名前はたけるさんらしい。

「へえ」

 自分で振った話題からここまで広げてもらったのに、大した反応が出来ない自分が情けない。そのまま話題を広げることもできずにそそくさと別れてしまった。

 こんなんだから彼女も出来ないんだよなあ、と部屋でゴロゴロしながら反省する。

 俺も自分の名前の由来とか話せば良かったなあ、とか、名前が尊さんだけに尊敬されてたんですね、とか後から色々思いついてさらに気分が落ち込む。そうこうしてるうちに授業の時間が近づいてきたので出かけた。中庭には誰もいなかった。空高く上がった太陽が暑いくらいなのに、心が寒い。

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