⑦
「小夜子ちゃん」
『先生』は、小夜子に会いに来た。
傍らには、『音楽』担当の生徒数人が寄り添っている。
小夜子は、しゃがみこんだ状態で、自分の膝の上に、ぐったりとしたレイの身体を乗せていた。
先生の傍らで、生徒達が息を呑む――。
「……綺麗」
ひとりが、そう言った。
先生が言葉を続けようとした時、小夜子はゆっくりと顔を上げた。
「危ないですよ。はやく逃げたほうがいいです」
――先生は、ぞっとした。
小夜子の言葉が、この場にそぐわぬほどに冷静で、かつ、穏やかだった。
伏せられた目は慈悲深く、それは膝上で静かに目を閉じている『ナンバー・ゼロ』に注がれている。
……いったい彼女は、どうなったのか。何を決めたのか。
――分かっているはずだ。
なぜなら、それを織り込み済みでここに来たのだから。
先生は自らのエゴを恥じ、先に進めなかった。
……そして、また轟音が響いた。
外では、絶え間ない砲火。
火の粉がここにも入り込んできそうだ。
そんな中にあって、小夜子は不気味なほどに動じていない。
生徒の一人、髪をサイドで括った一年生が、つんのめるかのように前に進んで、小夜子のところに駆け寄った。
「……せんぱいっ」
顔を上げる。
生徒は思いつめた表情で、胸元で手をぐっと握っている。
何から言えばいいのかわからない様子だった。
けれど小夜子は……続きを待っている。
「私……先輩に憧れて、奏者になろうと思ってて。でも、憧れてるだけじゃなくって。だんだん、妬ましく思えてきて。それで、おかしくなっていく先輩見てて、自分の番が来るような気がして。嬉しい筈だったんですけど。でも、なんか……それも違って。あたし、訳わかんなく、なっちゃって」
「……」
「それで私っ……どうすればいいか分かんなかった。自分で本当に良かったのかって」
「なんで……泣いてるの」
言い当てられて、後輩生徒はびくっと身体を震わせる。
「分かってるよ。何も言わなくていい」
「そうじゃないんです、先輩……あたし、やっぱり思ったんです。あれを弾くのは、先輩じゃないと、駄目なんだって」
小夜子は、顔を真赤にして涙をぼろぼろ零している、その小柄な後輩をじっと見て、何かを考えている表情をとった。
外の戦いの音が、まるで野外の雨音のように聞こえる。
「……私、離れて長いよ。今なら、君たちのほうが良く弾けると思うけど」
「違う、違うんです」
そこで先生が前に出て、話した。
「小夜子ちゃん。聞いて」
泣いている生徒は後ろに下がった。
「オートコフィンはね。この戦いの影響でいくつかの機能を喪失したの。それで、この子達には弾けなくなってしまった」
先生の言葉は歯切れが悪く、一語一語を選んでいるかのようだった。
「でもね。それでも動作はするの……『手動』で、音を奏でる根幹部分は、無事だった」
「何が、言いたいんですか。先生」
「……小夜子ちゃん」
先生はそこで、吐き出すように言い切る。
「貴女にもう一度、演奏をお願いしたいの。今度は、貴女自身の指で、貴女自身の音楽を」
同時に、小夜子の眼前に差し出されたのは、数冊のテキストだった。
それはホコリで汚れて、わずかに血がこびりついている。
――楽譜だ。
小夜子の部屋の中にあった、楽譜。
あの老人が、小夜子が撃ったあの老人が、ずっと持っていたもの。
「……必要だと思ったの。貴方には、絶対に」
「……」
「だからお願い……ごめんなさい。本当に」
先程とは違う生徒の一人が前に進んで、遮るように言った。
レイに寄り添う小夜子の肩を揺すって、泣きはらした顔で訴える。
「先輩、ごめんなさい、今までずっと……勝手だって、分かってます。だけど。私の家族、逃げ遅れて、それで、家の中でっ……」
もう涙は止まらず言葉にならなかった。
他の生徒に支えられながら、少女は下がった。
先生は小夜子の言葉を待った。下唇を噛み、全身を震わせている。
「――小夜子ちゃ、」
……大きな音がひびく。
つづいて、白い閃光がばっと閃いて、その後に強烈な熱い風が彼女たちのところに流れ込んできた。
悲鳴。
とっさに生徒たちを覆うようにかばって引き下がる。
小夜子は光に包まれて見えない。
衝撃がやんだ。
先生は咳き込みながら目を開ける。身体に煤が付いている。
フロアの一角が焼け焦げて、大きな穴が広がっていた。
爆撃で空いた穴のよう。いよいよ、ここも限界が来ているようだった。
その前に、小夜子は居た。
炎のチリが舞う中で、赤い光を背中から受けながら、鈍く輝いている。
レイを膝に抱えながら、彫像のように動かなかった。
皆が息を呑んで、彼女を見つめた。
小夜子は、ゆっくりと口を開く。
「先生。楽譜を」
その声とともに、先生は絶望的な罪悪感に襲われた。
これからこの子はどうなるのだろうか。
無事では済まないかもしれない。
戦いが終わった後はどうなる。
様々な思いが渦を巻いた。
引き返すなら今だ、今しかない……。
「お願いです。私に、もう一度演奏を」
「……!」
だが、その瞳を、凪のような表情のなかで、ほんの僅かに、心を押し殺すかのように揺れる、若くてか細い瞳を見た時、逡巡は立ち消えた。
とうに彼女は、決意しているのだ。
ならば、自分がなすべきことは。
歩み寄り、楽譜を渡す。
小夜子は手にとって、腕の中で目を閉じるレイにそっと語った。
「……起きなさい、レイ」
ナンバー・ゼロは、ゆっくりと目を開けた。
その状態で腕を伸ばして、彼女の頬を、髪をなでた。
小夜子は、そっと笑う。
先生は後ろに下がって、二人の姿を見た。
後方を彩る闇と紅蓮の中、静止画のように触れ合っている。
「先生……」
不安げな生徒たちが、すぐそばでささやく。
「小夜子ちゃん」
先生は、言葉を投げかける。少しずつ引き下がりながら。
「生きて。何があっても、絶対に。生き続けて」
顔を上げた小夜子は、笑って言った。
「必ず。先生」
生徒たちを連れて、先生は去っていった。
持ち場に向かうのだ。
その姿が消えるのを確認すると、腕の中にあるぬくもりと、しわくちゃの楽譜を確認した。
ここから先、信じられるのは、自分の指先だけになる。
心臓が高鳴って、不安とも高揚とも取れない感情で頭の中がいっぱいになった。
これまで味わったことのない気持ち。
「私の……『音楽』」
「そうだ、お前の音楽だ」
レイが、微笑んだ。細くて白い指が這って、彼女のそれを絡め取る。
「行こうぜ。二人で……一緒に」
小夜子は、何もかもを諒解したような、染み渡るような笑みを彼に向けた。
魔道士が、焼け焦げた大穴にさらなる一撃を浴びせて、フロアの半分を焼失させた時。
そこに改造翔機はなく、乗り手も奏者も、既にそれぞれの場所で準備を始めていた。
◇
おそらく『彼ら』は、自分たちに何が起きたのかを理解する暇もなかっただろう。
数十秒前のこと。
街は炎に包まれていき、絶えず倒壊の足音が聞こえていく。
その中にあって、翔機たちはそちら側にとどまり、迎撃を余儀なくされていた。
傍らで次々と撃墜されて、ビルの群れの中に突っ込み、爆散していく。
繋がっている同胞たちの気配が消えて、寒気が駆け巡る。
そうして戦慄する――今や、機体数は二十を切っている。
そんな中、翔機のうち複数体が、勇気を出して行動を起こした。
街の前方を真横に覆う黒雲のように集っているのは十数の敵。
彼らにも『指揮者』がいると考えたのだ。
ゆえに、街を同胞に任せ、彼らは敵の暗雲の中へ突っ込んでいた。
近づいていくうちに、その群れの強大さが鮮明になっていく。
絶望が背中を駆け巡る。
翼竜たちが、棘翼竜たちが、まさに空を埋め尽くすように前方で待ち構えている。
こんな奴らに勝てるのか――。
一瞬でも頭にちらついたその考えを振り切って、彼らは駆けた。
嵐の中に突っ込むような所業。
その渦中で、仲間が、ひとり、ふたりと消えた。
どのようにして死んだのかもわからない。
ただ彼らは嵐に呑まれて、ずたずたになって、死んだ。
……そして、生き残ったのは二人。
彼らは、嵐を超えた先、静かな、凪のような、夜の空のなかにぼんやりと浮かぶ、一機の異形を見た。
かたわらに、見覚えのある敵もいたが、彼らは動かなかった。
――みつけた。こいつだ。
そう思った生き残りは、その見覚えのない『敵』に、果敢に突っ込んだ。
それが、数秒前。
いま、その二体は、戦乙女の眼前で爆散し、黒焦げになりながら真下へとぼろぼろ落ちていった。
乾いた墨の欠片に成り果てた哀れな姿。
はるか真下の地面へ。
彼らは戦乙女の『攻撃』で死んだ。一瞬で。
その懸命な思いも何もかも、まるで届かずに。
◇
戦乙女は彼らに何の感慨も思うこと無く、ただその先を見ていた。
街を膜のように覆っている紅蓮を、爆撃を。
……ビルの群れと、その周囲に群がるような町並み。
そこに向けて、傍らを通って向かっていく仲間たち。
空の上に、綿のような爆発の光と、一瞬遅れて、ばつばつという音が広がっていく。
遠雷のように、サイレンアラートが響いている。
まるで、児童が黒のインクで白い紙に描いた書割の街だった。
がらんどうになった、曲がった鉄骨だけになった焼け焦げた建物の中に突っ込んで死んでいる翔機がみえる。
中からパイロットだったらしい、禿頭の青年の肉が飛び出ている。
そのすぐそばに、卵の黄身を落としたように潰れた翼竜の残骸がへばりついていて、内蔵物のことごとくを広げて果てている。
死。炎。煙。
目の間で断続的に繰り広げられていくそれらを、彼はただじっと見ていた。
傍らに控えていた法術士が、自分の行く道を尋ねるようにこちらを見る。
『・・・――………・(まだ動かないのか)』
問いかけに、戦乙女は答える。
『・・・・・・―――………―――――・・・・(奴が来ないなら意味はない。無意味な戦いだ)』
戦乙女は、やりきれない思いを抱えている。
我が国と、いま炎に巻かれているこの国の双方によって仕組まれたゲーム。
そして、こちらが一方的にその座席から降りたゲーム。
誰も彼もが、その遊戯のために死んでいく。このまま終わっていくのか。
それが、彼に虚しさを感じさせようとしたそのとき。
彼は、全身が総毛立つのを感じ取った。
『・・・・・・・・・――……!』
震えが止まらなくなる。
突然すぎる感覚。
外部の装甲が取り払われて、彼は今炎の街の只中に浮かんでいるようだった。寒気すら感じる。
一体どうしたというのか。
周囲を見る。変わらない。
パノラマが広がっている。
炎、煙、廃墟。
その中で探す――『気配』。
確かにある。なにかを、いま、感じた。
ここにやってくる何かを。
その時、彼の周囲から一切の音が消えた。
脳裏に、浮かんだ。姿……何者かの。
大きな存在だった。
とてつもなく奇妙で、いびつな。
それがこちらに向かってくる。
どこからか分からない、だが確実に、こちらに向けて。
『・・・(なんだ)……?』
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