⑥
ひとつの翔機が、空を駆けている。
その背後から迫るのは、二体の『翼竜』。
翔機はその追跡に気付くと加速した。
下層市民の灰色の街を越えた先に、摩天楼が林立する区画。
そこに入り込んで、構造物の狭間を縫いながら逃走する。
何度も左右にぶれながら、後方から気配を感じながら、逃げる、逃げる。
だが、終わる。アラート。
翼竜が、口を開いた。その奥から、炎の弾丸が射出された。
橙色のチリを撒き散らしながら、まっすぐに翔機の背中へ。
『兵士』は、当然避けようと、機体を斜めに傾けようとしたが――気付く。
今自分が逃げれば、ビルに当たる。街の一角が、破壊される。
翔機はそこで、自身に急制動をかけてその場で反転した。
その勢いのまま、前方へいくつもミサイルを吐き出す。
炎とミサイルは空中でぶち当たり、彼らの中間点で激しい爆発の光を咲かせる。
翔機は、かたわらを見た。
いま、別のビルディングに、同胞の身体が叩きつけられていた。
そこに伸びる光の線が、彼を真正面から穿つのが見える。
ずっと左に目を凝らすと、フードをかぶったような姿の魔道士が見える。
爆発。炎の中へ。また一人――彼らの細胞の一人が、死んだ。
その事実が翔機の動きを少しの間停止させ。
僅かな隙間を見つけて、上空から、棘翼竜が襲いかかってくる。
気付かれていない。その牙が、黒い円錐の身体に食い込もうとした。
その時。
呆然とする翔機をかばうように、同胞が一機、棘翼竜の前方に躍り出て加速。突然の襲来に驚いた敵はとっさに炎を吐き出した。
翔機は炎に包まれて全身を焦がしながら翼を傾け、その鋭い切っ先とともに、棘翼竜に突っ込んだ。 また一人、死んだ。
至るところで、生命の明滅が繰り返されていた。
編隊を失い、ばらばらに散った翔機たちが、街の中をジグザグに逃げ惑っていく。
なんとか反撃の機会を伺うが、数は圧倒的に敵のほうが多かった。
翔機が翼竜の追跡を振り切ったと思うと、その先に別の敵が待ち構えている。
彼らの牙。炎。翔機を焼き焦がし、切り刻み……直接かじりついて、その内部の兵士を押しつぶし、鳥が餌をついばむようにして破壊していく。
残骸が錐揉み回転しながら街の只中に落ちる。トタンのあばら家の群れが炎上する。
魔道士の放ったレーザー光がビルディングに大穴を穿ち、粉砕、倒壊させていく。
――火が。ひろがっていく。街が、もえている。
その光景を目の当たりにしながらも、戦乙女が動く気配はなかった。
彼は炎の街の只中から少し離れた場所で滞留していた。
傍らでは、数体の法術士がジャミングをばらまき続けている。
戦乙女は待ち続けている。爛々と光る瞳の奥で、『やつ』の到来を。
◇
地下の人々は困惑していた。
中継の映像は、ただ映像があるだけだった。
ナレーションもキャプションもなく、ただ現実を見せているだけだった。
異様だった。自分たちを鼓舞するものが、何もない。
「おい、何にもないのか、音楽も」
「どうなってる、街が」
「くそっあいつら、俺たちの……」
シェルターは街の地下に蜘蛛の巣のように張り巡らされていて、廊下でつなぎ合わされる形でいくつものホールに分かれていた。
そのそれぞれにモニターがあり、その前に大勢の人々が、下層市民たちが群がっている。
誰もが疲弊していた。
廊下にもはみ出していた。非常灯が絶えず配管の巡る低い天井からぶら下がって点灯している。
その下を、座り込んでいる市民たちを押しのけながら、負傷者を乗せた担架が通っていく。
小さな子供が泣いていた。
母親はただ抱きしめて、泣き止むのを待っている。
「どうなってしまうんだ……」
街は燃えている。翔機たちは次々と撃墜されていく。
人々は、緩慢だが確実に、消沈し始めていた。そんなことは初めてだった。
その時、別室でモニターを見ていたらしい市民の一人が、廊下で叫んだ。
「おいみんな、大変だ。こっちの部屋に来てくれ」
別の市民がやってきて、息を荒げる彼に問う。
「何があったんだ」
相手は、答える。
「大変だ! 彼が――蘇った!」
声を聞いて、部屋になだれ込んできた人々を出迎えたのはやはりモニターだった。
しかし、投影された映像は、明らかに異なっていた。
それは、翔機の格納庫を俯瞰で映し出したものだった。
カメラが混線したらしい。
異形の機体が映っている。
なにより、彼らの目はハッキリととらえた。
ナンバー・ゼロの姿を。
「彼は……死んだはずじゃ」
「それに彼女も居るぞ……『女神』も」
「なんだあれは、新しい翔機なのか」
互いを見て、口々に語り合う。
そのうちの一人が、小さく呟く。
「……もしかしたら。音楽は蘇るんじゃないのか」
それは、思ってもみないことだった。
皆が、彼のほうを向いた。
「どうやって」
「緊急連絡用の端末が各部屋にある。そこから声援を送るんだ。そうすればきっと彼らに届く。彼らは、戦ってくれる――向かってくれる」
沈黙……。
「そうかっ」
間もなく彼らは、その提案に乗ることにした、雪崩れるようにして、市民たちは各部屋に戻った。
それからすぐ、行動に出始めた。
確かに端末はあって、代表者が起動。
色々と操作するうちに、とうとう『広域拡散モード』に接続された。
これで声は、『彼ら』に伝わる。
市民たちは……声を、送り始める。
「お願いです。私達の街を守って」
「そうだ、頼む」
始めは静かに、やがて大きく。
「……皇国、万歳」
「奴らに、死を」
互いに、互いの声を聞きながら、大きく、大きく。
「ナンバー・ゼロ!」「ナンバー・ゼロ!」
「ナンバー・ゼロ!」「ナンバー・ゼロ!」
「ナンバー・ゼロ!」「ナンバー・ゼロ!」
「ナンバー・ゼロ!」「ナンバー・ゼロ!」
拳を突き出して、集団が一つになる。
互いの肩を組んで、声の違いがわからない程に混ざり合っていく。
地下全ての血脈に、ひとつの同じ声が流れて、浸透していく。
子供は泣き止んでいた。母親は、その小さな手を、ぎゅっと握る。
画面の中では、翔機が戦い続けている。
◇
声。声。
無数に降り注いでくる。
突然のことに小夜子は耳をふさいだ。
しかしレイは、それを受け止めた。全身で。
足元から影が伸びて、全身を縛り付ける。今ここに。
背中からザワザワと実感がのぼってきて、語りかけてくる。
やるべきことが、ちりちりと喉を焼くかのように彼の中に食い込む。
拳を握ると痛い。それは生の実感だった。
「俺は生きてる。生かされている。あいつらに、みんなに」
レイは顔を上げて、ドクターを見た。
その声は震えていて、表情もこわばっていた。
彼が恐怖や重圧に耐えていることがひと目見て分かるようだった。
それでも、もはや自分が逃げるべき場所など、どこにだってありはしないことを、今この瞬間になって了解したのだ。
――隠れるのは、もうじゅうぶん味わったはずなのだから。
「ドクター……俺は、戦う。乗るよ、その怪物に。あんたの望み通りに」
「レイ……」
その言葉を受けた時、ドクターは全身がこわばったような動きをした。
望んでいた言葉を聞いたはずなのに、その仕草は矛盾していた。
どこかで、それを求めていなかったかのような。
しかし彼は、ドクターだった。
しばらくして、レイの言葉に黙って頷く。
――霧崎はそんな彼を見た。
そして、彼はきっと今後、机上の家族の写真を見ることは二度とないのだろうな、ということを考えた。
再びの、震動。
足元が大きく揺れて、レイはふらつく。
彼はまた、少しだけ血を吐いた。
小夜子の手がそれを受け止めた。両肩を包むようにして。
ひどく手慣れた動作。
ぜいぜいと息をする彼をさする彼女の目は薄く閉じられて、まつげが妙に光っているように見えた。
「戦況は悪くなる一方のようだな」
「ええ、ここも長くない。ドクター、こいつを再び地下へ。準備に入るべきでしょう」
ドクターは頷き。レイを一瞥してから立ち去る。
霧崎は彼を見送ってから、小夜子の方を向く。
その時、端末に連絡が入った。
誰かがこの基地にアクセスを求めている。
今更どういうことか。
皆避難しているはずではないのか。
そう思ったが、相手が名乗ったことで、その疑問は氷解した。
『彼女』らをここに招き入れた時、霧崎はその場を離れた。
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