自分を呼ぶ声がして、レイは目を覚ます。


 あたたかい水の中から浮上して身体を起こす。

 タンクに満たされたメディカルウォーターが、肌にまとわりつく感覚。

 入り込んでいる最中は気持ちが良くて、そのままずっと眠ってしまいたいと思えるぐらいなのに、終わりの時のこの不快感はいかんともしがたかった。


「今日はよく眠っていたな。アドリブが長かったから、その影響だろう」


 ぼんやりした頭で、うつるものを見る。

 ゆっくりと像が結ばれて、話しているそれが、マグカップを持ったドクターであるとわかった。


 寝起きのまま何も言えず、受け取って中の合成ホットミルクを啜る。

 メンテナンスのためのスリープ後は、絶対にこれを飲まなきゃならないらしい。

 その理由はドクターも知らない。

 まどろみが遠のいて、タオルで身体を拭き、タンクから出る。

 すると今日の戦いで負った微妙なダメージや疲労はすっかりなくなっている……生傷以外は。


 お決まりの服装に戻った後は、検査後の面談だ。

 レイはあらためてドクターの部屋を見る。

 そこは診察室というよりは清潔な書斎という趣で、机の周りの医療器具や、真ん中のタンク以外はほぼほぼ、この白衣の老人の私室だった。権限と、微妙なその濫用を感じさせる。


「今回の戦い……翼竜ワイバーンが十に、棘翼竜ワイバーンリーダーが一か。まずまずだな。蛮国やつらも程よい戦力を持ってくることを覚えたらしい。下層の連中は随分と盛り上がっていたよ」


 返事をせず、ミルクをすする。

 このあたりは聞き流していい部分だ。

 高待遇の理由の三割ぐらいは、今現在の他愛のない話であるから。

 本題は、この後に来るのだ。


「小夜子くんのアドリブは、譜面に組み込まれていたものだった。何パターンかあるものを選んで、組み合わせたのだな。結果として観客……失礼、市民たちは、知らない部分にも既視感をおぼえることで、安心を得る。『安心』……この国の定義する『音楽』で、『興奮』と同じぐらい重要な部分だ。レイ、お前はどう思った」


「どうって……小夜子が、どんぱちやってる先にひときわ強いやつが居たのを教えてくれたから。俺はそれに従っただけだよ。その役目が俺ってのも、決まってた。三ヶ月前の出撃でも、同じ状況があった」

「流石だ、レイ……その通り、アドリブパートに突入した後も、お前のバイタルは極めて安定していた。予想外の事など、何一つなかったということだ。お前の心は、揺らがなかった」


 そこで、窓の外を見た。

 診察室は中二階についているから、そこからは施設の様子が一望できるのだ。


「そうかな。俺は……本当にそうだったのかな」


 四辺を、高純度コンクリートの灰色で覆われた広大な閉鎖空間、そのなかで無数の『彼ら』がうごめいているのが見える。

 その数は膨大で、ゆうに百人を超える。


 床の上で、一対一、あるいは複数人でチームを組み、模擬戦闘をひたすらに繰り返していた。

 取っ組み合い、つかみ合い、殴り合い。咆哮を上げながら戦っていた。

 一角ではシミュレーションマシンを利用した翔機の訓練も行われている。

 レイの視点から俯瞰すると、それはまるで無数のマーブル模様が、液体の上で盛んに不定期に模様をかえているようだった。

彼らは互いの服――上下黒の貫頭衣を、時に互いの肌をつきあわせて叫ぶ。

 暴れているようにしか見えないが、これこそが彼らの戦いのために欠かせない習慣だった。

 戦闘の技巧が重要なのではなく、そこに必要なのはモチベーション、常に戦いに向けた意思を保つことが大事なのだった。

 それは、一斉に与えられる食事、入浴、睡眠と同じぐらいの興奮を彼らに与える。

 そして、そのままずっと彼らは興奮を続ける――短い生を終えるまで。


「みんな、聞けっ」


 声がとどろいた。

 彼らが一斉に、正面側の壁を見る。そこには大きなスクリーンがあった。

 前に立っているのは彼らのうち一人。

 貫頭衣には、ナンバー二十七とあった。確か、最年長だった記憶がある。

 彼は、ざっと正面を向いた。

 同じスキンヘッドにバーコード模様の男たちを一望し、告げる。


「きょう、俺たちの細胞のうち、三つが消えた。もう戻ってこない」


 そしてスクリーンに、映像が投射される。

 映し出されたのは、機体のうち一人がとらえたらしい、撃墜されていく仲間の姿だった。

 火を噴いて狂い悶えながら海中に突っ込んでいく。

 同時に、そこには奴らも切り取られていた。


 翼竜ワイバーン

 蛮国の主要戦力。

 心のない鋼鉄の怪物。

 映像は、そんな奴らが翔機に食らいつき、容赦なく蹂躙していく姿もあますことなくとらえきっていた。黒煙の隅に、血まみれになった乗り手が見える……自分たちのひとかけらが。

 彼らは皆、唾を飲み込んで見終えて、それから爆発した。


「奴らを許すことが出来るか? 出来るわけがない。奴らは最悪のばけものどもだ」


 ナンバー二十七のアジテーションと同時に、スキンヘッド達は湧き上がる。


「そうだ、許せるもんか」「奴らをみなごろしだ」


 興奮は破裂し、怒りとともに、互いの身体をぶつけあったり、罵り合ったりしながら気持ちを高めていく。

 皇国万歳、皇国万歳。怪物たちに死の報いを。


「奴らを殺すんだ、それこそが、散っていった三つの欠片のとむらいになる。彼らは一足先に英雄になった。俺たちも、それに続くんだっ」


 そう、これこそが、彼らが『一つ』である理由。

 同じ意思のもとに戦うことが出来るから、何一つ恐れを知らない。

 そして、ヒーローとして市民に讃えられ、喜び勇んで死んでいく。

 怒りは彼らにとって、必要不可欠な栄養素だった。

 それこそが彼らを彼らとして連帯させる。

 その証拠に、レイには見えていた。

 彼らは、笑っていた。

 歯をむき出しにして、目をぎらぎらと光らせて。

 そこには、むき出しの、彼らの『生命』があった。


「……」

 だが、そこにはレイは居ない。

 どこか冷めた目で見つめることしか出来ない。

 彼の双眸は、同じものを映していたはずなのだが、モニターの中の景色はまるで違ったふうに感じられた。

 リフレインする、何度も何度も。

 『彼ら』の死が。断末魔の悲鳴。

 迫りくる炎から身を守ろうと、両腕で身体を抱こうとする行為。

 それらがスローモーションのように繰り返し流れていくように感じられる。


 それだけじゃない。目から腕に伝わってくる感覚。

 びりびりとしびれるそれは、奴らを殺した時の感覚。

 ただの機械であるはずなのに。機械でなくても、そいつは怪物だ。

 自分たちと違う憎むべき敵。

 なのに、翼で横腹を切り裂く感触も、ビームが直撃した時に感じる焦げたにおいも、決して気持ちのいいものではない。

 むしろ、掻いても掻いても現れる炎症のように肌にまとわりついて離れない、不愉快すぎるものだった。


 そうだ。自分にとって敵は憎い。

 戦いたくないとも言わない。

 しかし、そこに興奮はない。

 あっても戦闘中だけで、その後は何もかもが冷めてしまう。

 だから、眼下の彼らと気持ちを共有することはできない。

 猛烈な、疎外感をおぼえる。


「……また、考えておるのか。自分について。哲学は、ここじゃあ禁止だ」

「わかってる。わかってるよ、ドクター。だけど、考えてしまうんだ」


 答えが欲しいわけではない。

 しかし、もやもやを言語化出来る相手は、ドクター以外には居なかった。


「自分がどうして、こんな事を考えるのか。おかしいだろ……破綻が来れば、兵器としても役に立たなくなって捨てられる。そもそもなんで、俺はこうして『考える』ことが出来るんだ。無駄な機能じゃないのか。悩まずに飛べるのが、一番いいはずだろ、どうして……」


 すると、ドクターの年輪の極まれた手が、肩に置かれた。顔を見上げる。


「それはお前が、私にとって……」

「『死んだ息子に似てる』ってのは、もうナシだぜ……何度目か分からない」


 苦笑して言ってみると、彼は首を振って続ける。


「違う、違う。私にとって、お前は希望なんだ」

「希望……?」

「そうとも。ひいては、この国にとっての希望かもしれない……硬直し、停滞するこの国の在り方に、新たな芽を開かせることになるかもしれない」

「大袈裟だ。それに、硬直なんてしちゃいないだろ。戦争はずっと続いてるし、人口は増え続けてる……偉い人は、そう言ってるじゃないか」


「それを、地球が滅亡する日まで続けられるならな。だが、いつかは終わりが来る。一つの輪のように完結した在り方は、予想外の出来事にはとことん弱いのだ。ちょうど、ガラスが脆いように。お前達のような『兵器』も同じだ。永遠に続き、永遠に戦い続けられる『システム』。だが戦いとはそうでないはずだ。戦争とはそうでないはずだ。主体は今を生きる人間。機械じゃあない……だとしたら、敵を撃つのは、自らの戦意でなくちゃならない」


「今のあいつらは、違うのかい……」

「私にとっては、少し惜しいんだ……一点の迷いもない殺意など、滅びに向かうだけだ。悩み、苦しんだ先で、ようやく同じ結論に至ることこそが素晴らしいと、私はそう思っている」

「科学者の意見とは思えないけどな」


「科学など。この国の科学など……工場での労働と何が違う。決まりきった演奏を繰り返すだけだ。だがお前は違う。お前は悩み、苦しむ事ができる。そうしてその先で、新たな思考形態を確立しうる存在だ。それは新たな何かをもたらすかもしれない。新たな……」


 ドクターは、興奮しすぎているように思えた。

 腕が震えて、息が荒かった。

 そして、そんな彼の手をそっと肩から払う前に、制止がくだった。


「ドクター、そこまでです」


 後ろから声がした。振り返る。

 あの男だ。ポニーテイルの監視役。そばに数人の部下も居た。


「君か。本当に嗅覚が鋭いな」

「仕事ですので」


 彼らがやってきたのは、ドクターの言動が度を越していたからだろう。

 それ以上続ければ当局に捕らえられますよ、と。

 それを告げに彼らはやってきたようなものなのだ。


 そんなわけで、ドクターはこの国で、極めて特異な存在だった。

 それがゆえに、自分に目をかけてくれている。

 レイにとっては嬉しい反面、罪悪感もあった。こんな自分のために。


「じゃあ俺、行くわ。あんたがこれ以上怒られるのを見たくない。ミルクごちそうさん」


 マグカップをドクターの胸に押し付けて立ち上がる。

 それから、ポニーテイルの男に一瞥をくれて、部屋から出ようとする。

 彼らは一瞬レイを見たが、それ以上は何もなく道を開けた。


「じゃあな、ドクター……気を張りすぎないでくれよ。マジで、死んじゃうぜ」


 心からの言葉だった。

 ドクターはなんだか困ったような笑みを浮かべていた。


 レイは、部屋を出た。

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