銀細工とセレナーデ

緑茶

序曲-overture-

 遠い未来。

 その国は、音楽を戦争につかっていた。



 海面のはるか上空を、翼を広げて飛翔する者たちがいる。

 彼ら――翼竜ワイバーン

 爛々と光る双眸に、裂けた口腔に並ぶ牙。シェアリングのような咽喉。

 不規則なリズムで羽ばたく一対の大きな翼。

 膜の狭間から、赤い血脈が光っては消える。

 くぐもった唸りを口内から漏らしながら、灰色の空の向こう側を狙っていた。


 まもなく、倒すべき敵の姿が見えてくる。

 前列に構えた翼竜の一体が見たのは、黒い影だった。

 接近するに従い、それが十三の群れであることがわかる。


 見えた。

 彼らとは対照的な、無機質な姿。

 黒い弾丸に、二対の薄い羽が貼りついたような。

 『飛翔』するには、あまりにも異様な。

 後方の円錐状のエンジンからは燐光が漏れ。

 後方の空気を切り裂きながら青い帯をたなびかせている。


 ――見つけた。あれが、『皇国』の、『翔機』だ。


 翼竜は口を広げて、喉の奥から、炎の塊を吐き出した。



 その瞬間、黒の群れは散開する。

 すべてを予期していたかのように。

 二対の翼がひらめいて角度を変え、傾きの方向へ機体を引っ張り込む。

 炎は彼らの真下を通り過ぎて行った。


 翼竜たちはわずかに隊列を乱す。

 動きが読まれている。

 いや、違う。


 続けざまに放たれた数発の炎を、『皇国』の連中は、またも回避した。

 風と、翼に任せた飛行。すべてを流れにゆだねるような。


 ――あれは、読まれているんじゃない。

 ――知っているのだ。戦いの流れを。こちらの動きを。


 ――まるで。



 その時、遠く離れた皇国の地。

 演壇に登った奏者が、巨大な楽器の前に座り、鍵盤の上に指を滑らせていた。


 スポットライトを浴びた彼女。

 連なる音を音楽として、鑑賞する賓客や、あるいは、ラジオやモニタを通じて趨勢を見守る市民たちに届ける。

 そして何よりも、その音楽は――彼女自身も知らないルートを辿って、彼らに。

 翔機の胎内にうずくまる『兵士メトセラ』たちにたどり着き、その動きを統御し、戦場をひとつの楽曲としてコントロールしようとしていた。



 兵士メトセラたちは音楽を聴いた。感じた。

 自分たちがどう動くべきかを、モニター壁に囲まれた翔機の胎内で理解する。


 四肢を包む拘束具も口元の呼吸器も感じなくなり、そり上げた頭の後部から伸びるケーブルが伝えてくれる音楽に身をゆだねれば、戦場の恐怖も、あの翼竜たちのおそろしい牙も、まるで予定された楽譜の一部のように感じる。

 今まさに……彼らの戦場舞踏会がはじまる。



 彼らは、翼竜たちに向けて、一斉に動いた。

 ボディの側面がスライドし、ミサイルをせり出す。

 放つ。

 連続して弾き鳴らされる白鍵のリズムが聞こえる。


 

 向かってくるミサイルを見て、翼竜たちは 再び口を開く。

 ……放つ。


 時間が。

 一瞬、緩慢に。


 直後。

 ミサイルと炎の塊。灰色の空の真ん中で衝突。大きな炎の花が咲く。

 一瞬、互いが見えなくなる。

 目の前を不快な煙が覆う。

 だが知っている。打ち払った次の瞬間には。

 『牽制』の、次の段階には、もう。


 敵が見えた。目の前だった。

 音楽が、次の段階に移行する。


 翼竜と翔機。

 彼らは至近距離で、互いを喰い合いはじめた。



 音楽――アルペジオ。連続して弾かれることで下降していく音階。

 焦燥、激化。まさに今、彼女が灰色の空に色付けはじめる。


 空中でそれぞれ散開し、接敵。

 乱れるように飛び回りながらもつれあう。

 互いを追う中で、ミサイルと炎が放物線を描きながらせめぎあう。

 いくつもの爆発。

 くぐり抜けながら、追いかけ合いからみあい、殺意に満ちたダンスを踊る。

 今や空と海のはざま、すべてが舞踏会場だった。

 何かを失うまで続く舞踏。


 翔機のひとつが、逃げていく翼竜の後部に追いついた。

 嘴のような先端が、砲塔のようなものを露出する。

 気配を感じたらしい翼竜が海面へ急降下。


 逃さない。怪物の身体に、シュッという音と共に光の線を発射。

 直撃。翼竜の身体が、焼き尽くされる。


 黒焦げになって錐揉みに回転しながら墜落し――海中へ没する。

 殺した。一匹。

 確認する。


 後方から、別の敵が迫っている。身体を大きくターン、再び空中へ。

 十以上の翼竜が、今や空間すべてをズタズタに切りつけている。


 ミサイルが乱舞し。

 炎が迎撃し。

 爆発が花開き。

 レーザーの光条がまばゆく彼らを照らす。


 いのちが明滅し、死んでいく。

 焼き尽くされる、煤同然となって墜落する、跡形もなく吹き飛ぶ。


 その混沌を、彼女は鍵盤を通して描いていく。

 すべては譜面通り。彼女は知っている。

 神の如き滑らかな指が音色を奏で、人々が恍惚する。

 いずこから聞こえてくる、怒号する下層市民たちの声すら、音符のひとつだ。



 思考し、相手を追う。加速して先に進む。

 ミサイルをばらまき、レーザーの光条で竜を穿つ。

 すべては音楽が教えてくれる通りだ。

 七色の光が進むべき道を教えてくれる。兵士たちは笑う。

 おれたちは負けない。

 数多の光と軌道で先が見えなくても、敵を追いかけさえすればいい。

 だから負けない。


 ……だが。

 いま、彼らのうち一人の真上をとった翼竜が居た。

 完全に死角だった。

 しまった――その思考が閃いた瞬間には、機体を、爪が完全にとらえていた。

 必死の抵抗。左右に機体を振るが離れない。

 翼竜は殺意の咆哮を上げる。


 今……羽根の一つを咥え込み、その牙でぶちりと引きちぎった。

 連動する痛覚。悲鳴、絶叫。


 兵士たちの全員に伝わってくる。

 制御を失い、回転しながら降下していく翔機。

 翼竜はやめなかった。


 そのままぶちぶちと他の羽根を引きちぎっていく。

 憎悪を込めて。

 そして最後に。

 翼竜は機体の真上から噛み付いたまま、その内部に直接炎を流し込んだ。


 いま、ひとつの爆発。

 絶叫は轟音にかき消され、彼らのうち一人が死を迎えた。

 翼竜は羽ばたいて、別の獲物に踊りかかっていく。


 音楽は更に変わる。

 勇壮さに、凄惨な調子が加わり始める。

 鍵盤が不安定に乱れていく。聴衆をざわつかせる。


 次々と、次々と。

 翼竜たちと同じくらいに、彼らもまた、死んでいく。

 命の花が咲いては消える。

 自分ごと噛みちぎられて。

 炎を流し込まれて。ミサイルの軌道に誘導され撃ち落とされて。

 いくつもの翼が羽根が天より墜ちていく。


 しかしそれでも『彼ら』は戦うことをやめない。

 まだ数はある。それに音楽がある。


 自分たちを鼓舞し、生きる理由を確認させてくれる旋律が頭の中に流れてくれる。

 だから、自分たちは――何も怖くない。

 何も、疑問に持つことは、ない。



 そして今。

 翔機のうち一体が、敵の群れから外れて飛んでいく。遠くへ遠くへ。


 逃げているのか、と、市民の声。

 だが、違う。


 彼女は知っている。

 演奏はその姿を追うように一度停まった。刹那にも満たない時間。


 再開。旋律はメインテーマに回帰していた。

 彼女の指先は、ひとり飛んでいく一体を追う。


 その進む先に、一体。翼竜。

 仲間からずっと離れた場所。

 鈍色の羽根に金色の装飾。過剰にさかだった全身の鱗。

 ――司令塔だ。

 翼を広げて威嚇してくる。だが、加速し――両者は激突した。




 『司令塔』ともつれ合いながら、その翔機は急降下している。

 互いの羽根をぶつけ合いながらの接近戦。

 オイルが血のようにたなびく。

 炎を吐き出そうとすると、ミサイルでそれを防ぐ。

 砲塔を向ける。慌てたように離れる、距離を取る。

 ――逃さない。加速。向かう。


 鍵盤の連弾も加速する。クライマックスに向けて。

 炎が連続して放たれる。やめろ、来るな。

 そんな思いを乗せるように。

 金色の身体には既にダメージ。空中での有利は奪い去られた。

 口腔から悲鳴を上げて。

 もはや後部を相手に晒す事もできず、真正面に向き合うだけ。


 ――更に加速。単調な炎。冷静さを失った。

 明確に、金の翼竜は恐怖する。

 だがいま、相対する翔機に、その胎内の兵士メトセラに、それはない。


 ――おれには音楽がある。そうだよな。


 思いが呼応するように。

 鍵盤が、終結に向けたメロディを奏でた。

 彼は、二対の羽根、その鋭い切っ先を敵に向けて、突っ込んでいった。



 数秒後。

 翼竜は、胴体を四枚の羽根で斬り裂かれていた。

 どどめ色の血が噴き出して、完全に力を失い。

 糸が切れたようにゆっくりと海中へと落下していく頃。

 既に『彼』は空中で宙返りして、『彼ら』のもとへと、帰還していた。



 拍手と、遠い歓声。

 演奏終了の合図は、たった数秒の、メインテーマのリフレイン。

 その頃には、生き残った翔機たちが、戦場を去り始めている。


 あの、突出したひとりの兵士を思う。

 彼女は、拍手が鳴り止まないうちに舞台袖へと去る。

 指先は震えていて、クライマックスに向けた連弾を繰り返し続けていた。



 灯りのない部屋、老人がモニターの前から立ち上がり、ため息をつく。

 画面にはこうあった。

 損害数――全壊三、半壊四。


 人々の、戦勝の歓喜のなか。

 遠く離れた海上には、機体の残骸と共に、無残に焦げ、四肢のちぎれた若者たちのなきがらが浮かんでいる。

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