銀細工とセレナーデ
緑茶
序曲-overture-
遠い未来。
その国は、音楽を戦争につかっていた。
◇
海面のはるか上空を、翼を広げて飛翔する者たちがいる。
彼ら――
爛々と光る双眸に、裂けた口腔に並ぶ牙。シェアリングのような咽喉。
不規則なリズムで羽ばたく一対の大きな翼。
膜の狭間から、赤い血脈が光っては消える。
くぐもった唸りを口内から漏らしながら、灰色の空の向こう側を狙っていた。
まもなく、倒すべき敵の姿が見えてくる。
前列に構えた翼竜の一体が見たのは、黒い影だった。
接近するに従い、それが十三の群れであることがわかる。
見えた。
彼らとは対照的な、無機質な姿。
黒い弾丸に、二対の薄い羽が貼りついたような。
『飛翔』するには、あまりにも異様な。
後方の円錐状のエンジンからは燐光が漏れ。
後方の空気を切り裂きながら青い帯をたなびかせている。
――見つけた。あれが、『皇国』の、『翔機』だ。
翼竜は口を広げて、喉の奥から、炎の塊を吐き出した。
◇
その瞬間、黒の群れは散開する。
すべてを予期していたかのように。
二対の翼がひらめいて角度を変え、傾きの方向へ機体を引っ張り込む。
炎は彼らの真下を通り過ぎて行った。
翼竜たちはわずかに隊列を乱す。
動きが読まれている。
いや、違う。
続けざまに放たれた数発の炎を、『皇国』の連中は、またも回避した。
風と、翼に任せた飛行。すべてを流れにゆだねるような。
――あれは、読まれているんじゃない。
――知っているのだ。戦いの流れを。こちらの動きを。
――まるで。楽譜にあわせて演奏するように。
◇
その時、遠く離れた皇国の地。
演壇に登った奏者が、巨大な楽器の前に座り、鍵盤の上に指を滑らせていた。
スポットライトを浴びた彼女。
連なる音を音楽として、鑑賞する賓客や、あるいは、ラジオやモニタを通じて趨勢を見守る市民たちに届ける。
そして何よりも、その音楽は――彼女自身も知らないルートを辿って、彼らに。
翔機の胎内にうずくまる『
◇
自分たちがどう動くべきかを、モニター壁に囲まれた翔機の胎内で理解する。
四肢を包む拘束具も口元の呼吸器も感じなくなり、そり上げた頭の後部から伸びるケーブルが伝えてくれる音楽に身をゆだねれば、戦場の恐怖も、あの翼竜たちのおそろしい牙も、まるで予定された楽譜の一部のように感じる。
今まさに……彼らの戦場舞踏会がはじまる。
◇
彼らは、翼竜たちに向けて、一斉に動いた。
ボディの側面がスライドし、ミサイルをせり出す。
放つ。
連続して弾き鳴らされる白鍵のリズムが聞こえる。
向かってくるミサイルを見て、翼竜たちは 再び口を開く。
……放つ。
時間が。
一瞬、緩慢に。
直後。
ミサイルと炎の塊。灰色の空の真ん中で衝突。大きな炎の花が咲く。
一瞬、互いが見えなくなる。
目の前を不快な煙が覆う。
だが知っている。打ち払った次の瞬間には。
『牽制』の、次の段階には、もう。
敵が見えた。目の前だった。
音楽が、次の段階に移行する。
翼竜と翔機。
彼らは至近距離で、互いを喰い合いはじめた。
◇
音楽――アルペジオ。連続して弾かれることで下降していく音階。
焦燥、激化。まさに今、彼女が灰色の空に色付けはじめる。
空中でそれぞれ散開し、接敵。
乱れるように飛び回りながらもつれあう。
互いを追う中で、ミサイルと炎が放物線を描きながらせめぎあう。
いくつもの爆発。
くぐり抜けながら、追いかけ合いからみあい、殺意に満ちたダンスを踊る。
今や空と海のはざま、すべてが舞踏会場だった。
何かを失うまで続く舞踏。
翔機のひとつが、逃げていく翼竜の後部に追いついた。
嘴のような先端が、砲塔のようなものを露出する。
気配を感じたらしい翼竜が海面へ急降下。
逃さない。怪物の身体に、シュッという音と共に光の線を発射。
直撃。翼竜の身体が、焼き尽くされる。
黒焦げになって錐揉みに回転しながら墜落し――海中へ没する。
殺した。一匹。
確認する。
後方から、別の敵が迫っている。身体を大きくターン、再び空中へ。
十以上の翼竜が、今や空間すべてをズタズタに切りつけている。
ミサイルが乱舞し。
炎が迎撃し。
爆発が花開き。
レーザーの光条がまばゆく彼らを照らす。
いのちが明滅し、死んでいく。
焼き尽くされる、煤同然となって墜落する、跡形もなく吹き飛ぶ。
その混沌を、彼女は鍵盤を通して描いていく。
すべては譜面通り。彼女は知っている。
神の如き滑らかな指が音色を奏で、人々が恍惚する。
いずこから聞こえてくる、怒号する下層市民たちの声すら、音符のひとつだ。
◇
思考し、相手を追う。加速して先に進む。
ミサイルをばらまき、レーザーの光条で竜を穿つ。
すべては音楽が教えてくれる通りだ。
七色の光が進むべき道を教えてくれる。兵士たちは笑う。
おれたちは負けない。
数多の光と軌道で先が見えなくても、敵を追いかけさえすればいい。
だから負けない。
……だが。
いま、彼らのうち一人の真上をとった翼竜が居た。
完全に死角だった。
しまった――その思考が閃いた瞬間には、機体を、爪が完全にとらえていた。
必死の抵抗。左右に機体を振るが離れない。
翼竜は殺意の咆哮を上げる。
今……羽根の一つを咥え込み、その牙でぶちりと引きちぎった。
連動する痛覚。悲鳴、絶叫。
兵士たちの全員に伝わってくる。
制御を失い、回転しながら降下していく翔機。
翼竜はやめなかった。
そのままぶちぶちと他の羽根を引きちぎっていく。
憎悪を込めて。
そして最後に。
翼竜は機体の真上から噛み付いたまま、その内部に直接炎を流し込んだ。
いま、ひとつの爆発。
絶叫は轟音にかき消され、彼らのうち一人が死を迎えた。
翼竜は羽ばたいて、別の獲物に踊りかかっていく。
音楽は更に変わる。
勇壮さに、凄惨な調子が加わり始める。
鍵盤が不安定に乱れていく。聴衆をざわつかせる。
次々と、次々と。
翼竜たちと同じくらいに、彼らもまた、死んでいく。
命の花が咲いては消える。
自分ごと噛みちぎられて。
炎を流し込まれて。ミサイルの軌道に誘導され撃ち落とされて。
いくつもの翼が羽根が天より墜ちていく。
しかしそれでも『彼ら』は戦うことをやめない。
まだ数はある。それに音楽がある。
自分たちを鼓舞し、生きる理由を確認させてくれる旋律が頭の中に流れてくれる。
だから、自分たちは――何も怖くない。
何も、疑問に持つことは、ない。
◇
そして今。
翔機のうち一体が、敵の群れから外れて飛んでいく。遠くへ遠くへ。
逃げているのか、と、市民の声。
だが、違う。
彼女は知っている。
演奏はその姿を追うように一度停まった。刹那にも満たない時間。
再開。旋律はメインテーマに回帰していた。
彼女の指先は、ひとり飛んでいく一体を追う。
その進む先に、一体。翼竜。
仲間からずっと離れた場所。
鈍色の羽根に金色の装飾。過剰にさかだった全身の鱗。
――司令塔だ。
翼を広げて威嚇してくる。だが、加速し――両者は激突した。
◇
『司令塔』ともつれ合いながら、その翔機は急降下している。
互いの羽根をぶつけ合いながらの接近戦。
オイルが血のようにたなびく。
炎を吐き出そうとすると、ミサイルでそれを防ぐ。
砲塔を向ける。慌てたように離れる、距離を取る。
――逃さない。加速。向かう。
鍵盤の連弾も加速する。クライマックスに向けて。
炎が連続して放たれる。やめろ、来るな。
そんな思いを乗せるように。
金色の身体には既にダメージ。空中での有利は奪い去られた。
口腔から悲鳴を上げて。
もはや後部を相手に晒す事もできず、真正面に向き合うだけ。
――更に加速。単調な炎。冷静さを失った。
明確に、金の翼竜は恐怖する。
だがいま、相対する翔機に、その胎内の
――おれには音楽がある。そうだよな。
思いが呼応するように。
鍵盤が、終結に向けたメロディを奏でた。
彼は、二対の羽根、その鋭い切っ先を敵に向けて、突っ込んでいった。
◇
数秒後。
翼竜は、胴体を四枚の羽根で斬り裂かれていた。
どどめ色の血が噴き出して、完全に力を失い。
糸が切れたようにゆっくりと海中へと落下していく頃。
既に『彼』は空中で宙返りして、『彼ら』のもとへと、帰還していた。
◇
拍手と、遠い歓声。
演奏終了の合図は、たった数秒の、メインテーマのリフレイン。
その頃には、生き残った翔機たちが、戦場を去り始めている。
あの、突出したひとりの兵士を思う。
彼女は、拍手が鳴り止まないうちに舞台袖へと去る。
指先は震えていて、クライマックスに向けた連弾を繰り返し続けていた。
◇
灯りのない部屋、老人がモニターの前から立ち上がり、ため息をつく。
画面にはこうあった。
損害数――全壊三、半壊四。
人々の、戦勝の歓喜のなか。
遠く離れた海上には、機体の残骸と共に、無残に焦げ、四肢のちぎれた若者たちのなきがらが浮かんでいる。
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