after school

hiyu

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 初めて好きと告げたのは、放課後の教室だった。

 開いた窓からふわりと風が入り込み、あなたの髪の毛が揺れた。少し薄い、茶色の細い髪。

 あなたは私の言葉に小さく息を飲み、その瞬間風に揺れた髪があなたの唇の端に吸い込まれた。一筋の髪の毛をかみ込んだあなたが、ゆっくりと頬を染めていくのを、私は見た。

 そっと手を伸ばして、その髪に触れた。

 唇の端にあったそれを外すフリをして、私はあなたの唇に指先を触れさせた。

 柔らかい、と思った。

 その指を引いたとき、あなたがまた息を吸い込んだのが分かった。

 だから私は笑って見せた。

 そして、もう一度、あなたが好き、とつぶやいた。

 あなたの顔色は変わらなかった。多分、限界まで赤いのだろう、と私は思った。


 制服のスカートの短さを、はしたない、と担任の教師が言った。

 私はウエストのところでぐるぐるとスカートを巻き込み、膝の上まで足をさらしていた。おしゃれとか、人の目を意識してやっていたわけではなく、単純に暑かったから。女の子しかいない教室で生足をさらしたところで、何があるというのか。

 放課後、担任に呼び出されてしっかり叱られ、私は教室に戻ってきた。

 教室にはあなたがいた。どうやら私を待っていてくれたらしい。窓際の席、あなたはイヤーフォンで音楽を聴きながら窓の外を眺めていた。風が吹いてあなたの細くて軽そうな髪の毛が時々さらりとなびいていた。

 私はあなたの元に駆けていく。

 私の足音に気付いて、イヤーフォンを外すと、あなたは言った。

「お疲れ様」

 どこかからかうような口調だった。だから私もわざと眉間にしわを寄せて、

「もう、ぐったり」

 本当は、担任の説教なんて半分以上聞き流していた。

 私は暑さが得意ではない。夏が終わり、秋になってもまだ厳しい残暑を、私はなんとか耐えるべく試行錯誤していただけだ。今だって、肩まで伸びた髪の毛をひとつに結っている。なるべく首筋にそれが張り付かないように、できるだけ高い位置で。

 セーラー服などという、脱ぐ以外には涼しさを感じられない制服で、なんとかいじれるのはスカートくらい。だから短くしてやった。太ももまで覗くくらいに。

「来週からは、平年並みになるらしいわよ」

 それが気温のことだというのはすぐに気付いた。

「じゃ、今週を乗り切ればいいんだね?」

「そうね。がんばって」

 あなたが笑う。くすくすと。

「うん、がんばる」

 とりあえず今日は、帰りにアイスを食べることに決めた。

 あなたがうなずいて、付き合うよ、と言ってくれる。

 私は大げさなくらいに喜んで見せる。

 多分、そうしていないと、どうかなりそうだったから。


 あなたに告白してから、私たちは恋人になった。

 けれど、今までと何も変わっていないことに、私は気付いていた。

 あなたに好きと告げて。

 あなたがうなずく。

 ただ、それだけ。

 そう、それだけ。

 私たちは今までどおり、何も変わらない友達という関係を続けているだけだった。

 朝、おはようと声をかけ、同じ教室で授業を受ける。

 昼、同じ机で向かい合って、一緒にお弁当を食べる。

 放課後、たまに寄り道して、お喋りして一緒に帰る。

 夜、時々電話して笑い合ったり、悩みを打ち明けたりする。

 休みの日、一緒に出かけて買い物をしたり、ランチをしたり。そして、バイバイ、と手を振ってお互いの家にそれぞれ帰る。

 私たちは、あの日、一体何が変わったのだろう、と、考えてしまう自分がいる。

 あの日、真っ赤になったあなたの顔が、とても愛おしいと思った。

 指先に触れた唇の柔らかさに、はっとした。

 家に帰った私が、その指先をそっと自分の唇に当てたことは、あなたには秘密のままだ。


 夏には定番のソーダアイスを、今年はもう最後かもしれない、と思いながら食べる。

 隣であなたはストロベリーのカップアイスを食べている。

 一口ちょうだい、と言うと、プラスチックのスプーンにのったそれを、こちらに差し出してきた。私はそれをぱくりとくわえた。

「おいしい?」

「うん、おいしい」

 私もソーダアイスを差し出してみた。あなたは少しだけ考えてから、それをかじった。ほんのちょっとだけ。

「冷たいね」

「うん、冷たいね」

 当たり前のことを言い合って、私たちは笑う。

 そんな毎日が、どこまで続くのだろう、と私は思った。

 あの日私たちは恋人になって。

 なのに今も、私たちは友達のままでいる。

 どう変わっていけばいいのか、ちっとも分からなかった。


「暑いよぉ」

 と、弱音を吐いて机にべたりと張り付いたら、向かいであなたがよしよし、と頭を撫でてくれた。

 放課後、窓際のあなたの席。一つ前の席の椅子を借りて、私たちは向き合って座っていた。窓は全開にされている。時々入る風を求めて、私はそこでうなだれている。

 あなたは私に付き合って、さっきからずっとそんなやり取りを繰り返していた。

「来週まで、あと3日だからね」

「うん、がんばるー」

 9月の空は呆れるくらい青く澄んでいて、日差しもかげりを見せない。

 あんなにぬるかった風が多少は涼しく感じるようになったのは、湿度の違いかもしれない。けれど私はとにかく暑さに弱い。おまけに制服のスカートは指定どおりの長さのままだ。

 担任の陰謀により、私は涼しさを奪われたのです。

 などと、物語のようにつぶやくと、あなたがおかしそうに笑った。

「暑いよぉ」

 私はまた、声を漏らす。

 あなたがよしよし、と私の頭を撫でてくれる。

 その手の温もりが嫌じゃないのは、なぜだろう?

「あと3日の辛抱だよ」

「うん、がんばるー」

 同じ台詞の繰り返し。あなたは飽きずにそれに付き合ってくれる。

 窓から風が入ってきた。今までよりも強い風だ。私はぴょこんと顔を上げた。ようやく涼しくなるのかも、と期待した。

 ところがあなたは窓の外を見つめて少し困った顔をしていた。

「通り雨だといいんだけど」

 どうやら強い風の正体は、雨が連れてきたものらしい。

 見れば、空はいつの間にか曇天で、日差しはどこかへ消えていた。

「傘、ないねえ」

「ないねえ」

 そんな風に言いながら、私たちは窓の外を眺める。

 一つの机に頬杖をついて。

 あなたとの距離が縮まって、私は少し、どきどきしていた。

 雨が降ってきた。突然、ざあ、と音を立てて。

 校庭では運動部が部活をしていたらしく、きゃーと黄色い声が上がったのが聞こえてきた。雨の音と、女の子たちの叫び声。

 私たちは顔を見合わせてくすくす笑う。

「大変だねえ」

「そうだねえ」

 少し風が吹いて、あなたの髪が、顔にかかる。また、唇の端に髪の毛が引っかかっていた。

 私は手を伸ばして、その髪を外してあげようと思った。

 けれど、その瞬間、あなたが飛び跳ねるように身体を揺らした。

 私の手は空中で止まったままになってしまった。

 ──ああ、失敗した。

 そう、思った。

 やっぱり私たちはただの友達のままで。

 あなたはあの日のことを、間違いだと思っているのかもしれない。

 私はそっと手を下ろし、頑張って笑顔を作ろうと思った。

「ごめんね」

 そうつぶやいたら、ぐっと喉元に嗚咽がせりあがってきた。なんとかそれを必死で抑える。

 両手で口元を押さえ、ぎゅっと目を閉じた。

 耐えろ、耐えろ。あなたに気遣わせてはいけない。

 耐えろ。

 そう心の中で唱えた。

「──違うの」

 私の向かい側で、あなたが言った。

 私はゆっくりと目を開く。

「違うの。嫌だったんじゃないの」

 そういうあなたの顔は、あの日みたいに真っ赤だった。

「どきどきしているの、ずっと、あの日から」

 結果的に、私はせりあがってきたものを止められなかった。

 ひっく、と喉を鳴らした瞬間、両目から涙がこぼれた。

「違うの」

 あなたがまた、そう言った。そして続ける。

「あなたが好きなの」

 私は涙をこぼしたまま、あなたを見つめる。

 あなたは真っ赤で、その目は少し、潤んでいた。

「だから、ずっと、不安だったの」

 あれからちっとも触れてくれないから。そう言った。

 あの日、私が触れた指先は、あなたにも同じように熱を落とした。

 私がそれを自らの唇に当てたように、あなたもあの日、同じことをしたのだと言った。

「自分の指先が、あなたの指先だったらいい、と思っていたの」

 私はそっと、あなたに手を伸ばす。唇の端、かんだ髪の毛を外す。

 あなたは黙って私を見ていた。

「あなたが好き」

 そう言ったのは、私だったのか、それともあなただったのか。

 雨音が続く放課後の教室で、私はあなたに優しく触れた。

 あなたがゆっくりと目を閉じた。

 廊下をはしゃぎながら駆けていく生徒たちの声が聞こえた。

 私は教室のドアが閉まっていることを確認して、あなたの唇に自分の唇を重ねた。

 窓の外では遠くの空が明るさを取り戻していて、多分、もうすぐこの雨は止むのだろう、と私は思った。


 了

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