クロウェルドに戻ろう(中ボス戦)
知らない花が咲いていた。あの木は見たことがあるけれど、あんなにたくさん生えているのは初めて目にする。今飛び立った鳥はなんという名前なのだろう。そういえば草原だけでなく、空の色までがソカレリルの辺りとは違うような気がする。
たった数時間車を走らせただけで、こんなに景色は違うものなのかと、ディドレは胸を踊らせていた。
「ディドレさん、そろそろ休憩にするって」
優しい声が耳に届き、ディドレは隣に座る夫の存在を全く忘れていたことにやっと気がついた。失敗したと恥ずかしさに顔が熱くなる。
「ずっと黙ってしまっていたわね、ごめんなさい。見慣れない景色が面白くて、つい夢中になってしまったの」
きっと呆れられたことだろう。今は夫となった人とたくさん話をして、お互いをもっと知り合わなければいけないはずなのに。
従者や侍女を連れていっても構わないと言われていたが、ディドレは誰も連れて来ていない。
ディドレが過ごした神殿での生活は長かった。たまにだけ帰る実家にはもちろん専属の侍女がいたけれど、神殿の生活において、自分のことは自分でするものだ。だから、親しみの薄い侍女を連れていくより、ひとりでクロウェルドに向かう方が気楽ではないだろうか、とディドレは考えたので、ひとりでクロウェルドに向かうことにした。
もちろん、神殿の巫女仲間で、侍女になっても構わないと言ってくれた者もいた。しかし、神殿の巫女や神官を減らしてしまえば、大切な聖水が減ってしまう。 ただでさえ、ディドレが抜けたことで、神殿の聖水の生産能力は半分近くにまで落ちてしまっているのだから。
そういう理由で、ディドレは早くレオリールや、レオリールの従者たちと仲良くなりたかった。
それなのに、こんな振る舞いをしてしまったことで、あなたたちには興味がないとでも受け取られたらどうしよう。お高くとまった女だと思われてしまったかもしれない。胃の辺りがきゅっとなって、少々重く感じられるような気がしてくる。そんなディドレに、レオリールは顔をくしゃっとさせて笑いかけてくれた。
「うん、 俺もつい最近までゴルを出たことがなかったし、旅を始めたての頃はそうだったよ」
……きゅんときた!
レオリールの笑顔につられて、ディドレの頬もゆるむ。どうやら、ディドレはまだ、自分が思っていたよりも大きな失敗はしていないらしい。そう思わせてくれたレオリールへの好感がまた増した。
「クロウェルドの辺りも、こういう景色なのですか?」
クロウェルドに『帰る』途中のこの辺りは、ソカレリルよりも木が多く、草の背丈も高いようにディドレは感じている。それが、なんとなく物珍しいような気がしてならない。
「クロウェルドは水路が多いんだ。もっと不思議な景色に感じるかもしれないよ」
「まぁ、それは楽しみです」
「……楽しみに感じてくれて、うれしいな」
すっ、とレオリールから視線を外されてしまったけれども、ディドレは嫌な気分はしなかった。なんとなく、レオリールの表情が何かに照れていたように、はにかんでいたように見えたからだ。
レオリールという人は、非常に誠実な男性だと今のところ、ディドレは考えている。 自分をおろそかにするつもりはないのだろう。書類上の婚姻だからと、他も何人かの妻や女性を囲うことなんて、いくらでも出来ただろうに。
初めて会った日、ディドレはレオリールから、もしも初対面である自分と結婚するのが嫌ならば、はっきり言って欲しいと真剣な眼差しで言われている。もしもクロウェルドに来てくれるのならば、大切にする、けれど、抵抗があるようであれば、この婚姻は無かったことにして構わない、自分はあなたの希望をなるべく汲みたいのだと。
たぶん、ディドレはあの時恋に落ちた。
レオリールは、一言で表すならば『ちょうどいいイケメン』だ。
綺麗過ぎて近寄りがたい美青年でも、優しそうだけれどもふわふわしていて何を考えているかわからない美青年でも、ダンディな色気と危険な色気を漂わせる、ちょっと怖そうなイケメンでもない。
さらりとした髪、整った顔、甘い色を宿した瞳、爽やかな笑顔。たまに精霊様に叱られているらしいけれど、けっこう頼りになりそうな人物だと今のディドレは認識している。
車が止まった。
すぐに護衛の二人が車を降り、周囲を警戒していく。それからパルヴィーン、イスメール、レオリールの順で車を降りていった。
尚、精霊の三人はふわりと窓をすり抜けている。なんと不思議な力を奮う方々なのだろう、とディドレは関心してそれを眺めていた。
ディドレが車を降りたのは最後だ。
イスメールとうらら様がピクニックシートを広げており、ちょっと離れた場所にイスメール、ヤニック、バティストが布を張り、何かの作業をしていた。レオリールは、羽の生えたカピバラ姿の精霊様を手のひらに乗せてそれらを眺めているようだ。
ほんのわずかに強めの風がディドレの頬を撫で、そんな短い時間だけ、ディドレはレオリールに見とれてしまっていた。
「きゅいっ」
アイが可愛らしく鳴き声を上げ、顔をこちらに向けたレオリールと目が合う。レオリールの上着とちょっと長めの前髪が風に揺れていた。
……ものすごく、レオリール様ってば王子様みたいじゃない!?
いえ、この方はもう国王なのです、とディドレは自分に言い聞かせる。レオリールは若いけれど国王で、そして、そして、なんと自分の夫でもあるのだ。
……え? いいの? わたしがこんなにカッコいい人のお嫁さんでいいのかしら?
聞けば、多重婚が一般的なこの国で、レオリールには今までひとりの婚約者もいなかったそうだ。だからまだ、妻は自分一人だと聞いている。
つまり、今のところ、レオリールはディドレが独り占め状態だ。もしかしたら近い将来、常に側にいたというパルヴィーンが第二夫人になることはあるかもしれないが、今は、自分だけが妻だと言ってくれていて、王様というからには跡継ぎが必要で、それはつまり……。
ディドレは、そこで、頭に血が登ってしまったようだ。
「おきて、おーきーってっ」
てちてちと、何かちいさいものが 顔を触ってくる。小さな女の子の声でディドレは意識を取り戻した。
目を開くとそこは休憩のために車を停めた場所のままだった。少し離れたところから、ガンっダンっドバンっと、なんだかものすごい音がする。
「おきたー?」
ディドレを起こそうとしていたのは、アイだった。
「おとーさーん、でぃどれ、起きたよー」
ふわっとアイが羽根を動かし、舌ったらずな話し方でテオを呼ぶ。
テオの足元では何かの魔法陣が光っていた。魔法陣とモンスター達の間にうららが立っていて、更にその向こうで巨大なモンスターとの戦闘が行われている。
それは、鳥に見えた。
見事なまでに白いのだが、清らかな印象は全く持てそうにない白さだ。
あれは野ざらしにされて、白くなっていった骨の持つ色だろう。不吉なものや不穏なものを集めて固めた色だろう。そんな、純白の大きすぎる鳥の形のモンスターと、彼らは戦っていた。
レオリールが水色に輝く剣で切りつけると、バララッと硬い音がする。
イスメールが魔法を放てば、どすん、と重く大地が響く。
パルヴィーンも、バティストも、ヤニックも、恐ろしく巨大なモンスターを相手に、必死になって戦っている。
ディドレは自分が直前まで何を考えていたのかを思い出すと、穴を掘ってそこに埋まりたいような気分になった。
「ぐるるるるぐるぁぁぁぁぁっ!」
「……ひっ!」
三つの目を持つ鳥の、そのうちひとつがぎょろりと動いた。ディドレはこんなにも距離が離れているのに、モンスターと目が合い、睨まれたように感じて身をすくめた。
恐ろしさのあまり、ディドレは攻撃用の呪文を手早く組み立てる。いつでも放てるようにして、護身用の短剣を握りしめた。
「怖がらなくても、ここまでの攻撃はうららさんが通さないから安心していいよ。それより、その呪文を解除してくれないかな。あのモンスターの召喚に、君の魔力を使わせてもらってるんだ」
「なんてことをなさってるんですか!?」
まるで今日はお天気が良いですね、というくらいの軽い口調であまりのことを軽くいってのけたテオに、ディドレは悲鳴をあげたくなった。
「レオリールたちのレベル上げがしたかったし、土地を清めるのにもいいからね」
テオは、綺麗過ぎて、むしろ作り物なのではと思わせる容姿をしていて、何を考えているのかよくわからない。ディドレにはどうしても彼が怖く感じられる。
「ぐるるるるぐるぁぁぁぁぁっ!」
その時、鳥の形のモンスターが咆哮を上げた。モンスターの口から光線のようなものが出て、辺りを薙いでいく。眩しさとものすごい音が周囲にあふれ、一瞬で何も見えなくなった。
わけのわからない声がディドレの口から溢れる。たぶん、悲鳴だったのだと思う。
なんということだ。なんということだろう。あんな大きなモンスターと戦って、あんな強大な攻撃を受けて、無事でいられる訳が無い。まだ、旅は始まったばかりなのに。まだ、恋が始まったばかりなのに。
……っどぉぉ……ん!
パ……シャァ……ン……!
へたり込んだディドレの膝のうえに、アイがどさっと乗っかってきた。
だんだんと、光が引いて、のどかで静かな草原の姿が戻ってくる。……と、うららの声がディドレに届いた。
「倒すの遅すぎっ! 連携がなってないっ! ほら、ディドレが怖がって泣いちゃってんじゃんっ! 女の子泣かしてどうすんのっ!」
そこにいたのは、並んで正座をさせられて、うららにお説教される一行の姿だった。
それを見たとき、ディドレは驚きと安心と混乱でまた泣いてしまった。
「怖かったね、ディドレさん。でも、誰もうららさんには逆らえないんだ」
苦笑いして、ハンカチを差し出してくれたテオを、ディドレはなぜかもう、怖いとは思わなかった。何を考えているのかよくわからないけれど、それなりに優しくはあるらしい。そしてきっと、この人はつがいの精霊を溺愛している。なんとなく、それがわかってしまって、ディドレは笑みをこぼした。。
「もう! レオリールは今すぐかわいい奥さんを抱きしめてあげるのっ!」
「うぇ!? はいっ!」
「え!? あの、うらら様!?」
「ディドレも他人の旦那じゃなくて自分の旦那に甘えなさいっ!」
「……レイ…………っ!」
「ああああそういうんじゃないからぁっ!もうっ!」
その後休憩をとり、もう一度ディドレはあの巨大なモンスターを召喚させられた。
まだ、怖さは無かったと言えば嘘になる。けれどもよく皆の動きを見ていれば、危険なところではうららがサポートに回っていること、時々テオも何かの魔法を追加していて、実は防御などにも配慮がされていることに気づけたので、ディドレは割りきって戦闘するレオリールを素直に応援することに専念した。
……戦うレオリール様ってば、めちゃくちゃカッコよくありません!? やだ、レオリール様ったら、カッコいいっ!
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