俺たちの戦いはこれからだ

「おはよう、レオリール様」


 パルヴィーンが寝台の布を開け、俺を起こしてくれた。


 なんていうか、普通の朝だ。


「朝食は、こちらの城の食堂で食べることになる。我々も同席させていただくことになったそうだ」


 壁紙も、調度品も、全て、幼いときから部屋に置いていたものばかりが目に入ってくる。パルヴィーンが窓を開いたので、さあっと、新鮮な、ひんやりとした朝らしい空気が入ってきた。……いや、なんで全部開けたんだろう。窓を開けるの、俺が着替え終わってからじゃ駄目だったのか?ちょっと寒い。


「レオリール様、おはようございます」


 香炉を持ったパルヴィーンが下がり、今度はイスメールが俺の着替えを持って部屋に入ってくる。その後ろにいたバティストとヤニックが部屋を見回す。


「……着替えるのには、ちょっと寒くないですか?」

「……そうだな。換気はもう充分だろ。閉めるか」


 バティストとヤニックは窓を閉め始めた。


「もう少しだけ部屋が暖まってから、着替えましょうか」


 着替えを置いたイスメールが火の入っている暖炉をチラリと見て、言う。


「ああ、ぜひともそうさせてくれ」

「温かい飲み物でも飲みましょう」


 着替える終わるまでの間に、いくつかの報告を受ける。

 昨日、この部屋……というよりも、護衛のふたりがいた控えの間に襲撃があったとか、俺の扱いに不満を持った精霊のふたりが、データスと母さんのところに文句を言いに行ったとか。襲撃犯はホナヌで、誰の指示だったかなどは、母さんの配下に調べさせているとか。


 着替えを終えたら、食堂に移動だ。うららちゃんがいてくれれば、クロウェルドから食事を取り寄せてもらえるのに、とか、ついつい楽をする方向に思考が向いてしまう。


「レオリール様」


 久しぶりに聞いた、もう一人のいとこの声は、まとわりつくような重苦しさと粘度を持って耳に届いた。耳からなにかに侵食されてくるようだ。

 でも、俺はなるべく紳士的に見えるように気をつけて微笑む。


「久しぶりだね、ハリエット」

「本当にお久しぶりです、レオリール様」


 食堂は天井が高く、天井近くの明かりとりから光が差し込んできている。

 壁には何枚も飾られた、風景などの絵画があるのも以前と変わらない。白いテーブルクロスは、織りかたで花と武器の模様が表現されているもので、これはコルベリ家の朝食の席で使われるモチーフだ。昼食には色違いで薄い緑色、晩餐のテーブルクロスに色の指定はないけど、盾と剣の模様が使われることになっている。


 席につくところだったのか、何かの本能で俺の気配でも察知してわざわざ立ち上がったのか。ハリエットは俺の目の前までずんずんと歩いてきた。胸の前で手を組み合わせると、なんとなく潤んだような目でじぃっと俺を見上げてくる。

 やめてくれ、俺に呪いをかけるな。


「わたくし、なかなか帰って来てくださらないものですから、レオリール様のことが心配で心配で。以前と同じようにこちらで朝食をいただかれるということは、この城で、わたくしのお側にいてくださるのかしら?」

「いや、今日はもう、その、このあとすぐに出発するんだ」


 つけまつげに、俺の記憶よりも濃くなった化粧。むわっと、不自然な臭いがした。


「あら、出発って……また、どちらかへ行ってしまわれるのですか?」


 叔父上たちがいたころよりも朝は遅めになったらしい。母親も、データスも、まだ食堂には来ていない。

 助けてくれ、とイスメールの方を向こうとしたら、ふわっと俺の肩に一匹のカピバラもどきが止まった。羽ばたきで空気が動いたせいで、臭いがマシになる。


 ……うららちゃんかな?


 カピバラもどきを見たハリエットが嫌そうな顔をして、半歩だけ後ろに下がってくれた。

 ハリエットが前に使っていた香水は、良い香りだったのに。趣味が変わったんだろう。彼女とは今まで以上に距離を置きたいからとても助かった。


「きゅいっ」


 あー、これは、さっさと朝食を済ませろってことかな……?


 俺が席に着くと、すぐ隣の席にイスメール、パルヴィーンが着いてくれた。正面の席にはヤニックとバティスト、その隣にうららちゃん。


 ……うららちゃん?


「アタシ達、これから神殿に行くの」


 じゃあ、これは……テオ様?


 うららちゃんを見て、誰だろう?とでも首をかしげているハリエットが、俺とうららちゃんを交互に見ている。


「初めまして、ハリエットさん」


 そこに、データス、母さんご一行様を引き連れたテオ様がやってきた。え、待って。うららちゃんがここにいて、テオ様がそこにいて、


 ……このカピバラもどきは誰だ!?


「私はテオ。こちらは妻のうらら。現在のレオリール君の後見人のようなものをさせてもらっていてね」


 女性なら誰もがうっとりするであろう笑顔で、テオ様はうららちゃんの隣の椅子に腰かける。データスと母さんも席について、ハリエットも椅子に座った。当然、俺の部下以外のみんなのお付きの者たちは、壁際だったり席の近くに立ったままだ。


「神殿までだなんて、そんな……遠いですし危険です」


 ハリエットが悲しそうな声でつぶやく。ゴルの城の給仕役が、俺の前に、それからデータスや母さんを含めたみんなの前に食事をどんどんと置いていく。

 

 今朝のメニューは丸っこいパンと、ナッツの入ったサラダに、コンソメっぽいスープと何かの肉の香草焼き。その常識的なサラダの量でうららちゃんは満足するんだろうか。そしてこの、俺のサラダを勝手に食べ始めたカピバラもどきは一体なんなんだ。


「私たちがついていて、彼を危険な目に合わせると思っているんですか?」


 言いながら、テオ様はスッとうららちゃんにサラダを差し出した。うららちゃんは香草焼きの半分を、テオ様の皿に移す。あー、そういう運用になるのか。

 そして、俺に、新しいサラダを給仕がそっと置いてくれる。ありがとう。カカカカカカカッと、小さい小さい咀嚼音が俺のすぐに隣から聞こえてくる。誰なんだ。なんで誰もこのカピバラもどきに突っ込まないんだろう。


「ですけれど……」

「レオリール様の旅を邪魔しないほうがいいぞ、ハリエット」

「そうですよ、ハリエット。レオリールは王として、やることがあ……おありになるのです」


 なおも不満そうなハリエットに、昨日、うららちゃんにお説教されたふたりが注意する。母さんが言い直した原因?テオ様が微笑んだからです。ああ、俺のサラダがまたカピバラもどきに取られた。


「きゅいっ」


 本当に誰なんだ、これ。


「危険かもしれないけどね。神殿まで行かないと、俺は自分の奥さんにも会えないわけだし」


 モンスターとの戦闘はまだちょっと怖いけど、護衛の二人は強いし。イスメールとパルヴィーンが居てくれるし。精霊の二人だって着いてきてくれる訳だし。

 城の仕事だって、テオ様とうららちゃんと、プロスペリがなんとかしてくれる。

 旅に、不安はない。


「おくさん」


 ハリエットが低い声でぽつり、と漏らした。


「そう。今のところは書類上だけだけど。結婚したんだ、俺。うららちゃんが言うには、なかなかかわいい子らしいよ」

「そう、なの、ですか……」


 ハリエットが静かになり、俺はサラダ以外を完食した。けぷう、と満足そうなカピバラもどきは俺の頭にふわりと飛んで、どすっと乗っかってくる。

 うん、なついてくれてるのはよくわかった。


 でもこれは、誰だ??いや、ただのカピバラか?いやいやただのカピバラに羽は普通、ないはずだ。車に乗ったら、うららちゃんたちにこれがなんなのか、聞いてみないと。


 食事が終わり、さて、そろそろ出発しようと席を立つ。


「……レオリール様!!その婚姻は、レオリール様のご意向を無視された、無理矢理の婚姻ではないのですか!?」

「ハリエットには関係ないことだろ」


 いきなり叫ばれたせいで、つい、ポロっと冷たい言葉で返してしまった。席を立った俺と、固まったハリエットの目が合う。


「わ、わたくし、レオリール様をお助けしたいのです。ヨヌイールチまであなたを連れて行って差し上げられますわ」

「……ハリエット。俺はアテルから出たいとは思わないし、現状に不満はない」


 いや、その、ティドレ、とかいう、俺と無理やり結婚させられた女の子にはちょっとだけ申し訳ないと思ってるよ?でも、ティドレと会ってから、今後のことを決めてもいいと聞いている。

 ヨヌイールチの王子へと嫁ぐことが決まっているハリエットに、俺の婚姻どうこうはもう、関係ないと思うんだ。

 ハリエットがヨヌイールチに行きたくないって言ってくるほうが、まだわかるだけどな。


「それに、街道の柵をさっさと直してしまわないと、みんなが困るだろう。もう、神殿に行かせてくれないかな」

「そう、ですか……」


 ハリエットは、カトラリーを握ったまま、うつむいた。


「出すぎたようです。申し訳、ありませんでした」


 そして僕たちの冒険は始まった。


 神殿への旅と、フィアーナへの旅とは何もかもが違った。

 車での移動が許されたんだし、街道が生きてるって言うし、普通に移動するだけだと思うだろう?違うんだ。

 ……違わないけどまるっきり違うんだ。


 今回の旅ではまず、街道のある程度のところまで、車で進む。そして、どういう基準で土地を選んでいるのかわからないけど、テオ様がここだ、と言うと、そこに車を停める。

 で、街道に杭をヤニックとバティストが刺す。テオ様が呪文の 詠唱を始める。そうすると、驚くほど大量のモンスターがあちらこちらからと湧いてくる。それを必死になって倒していくわけだ。

 俺、イスメール、パルヴィーン、バティスト、ヤニックの五人で。


 戦闘している間、テオ様とうららちゃん、あと更に増えたカピバラもどきが何をしているかと言うと、見ているだけ。他人に向かっては敬えとか言っておきつつ、なかなか精霊から俺への扱いがひどいわけだけれど、この一連の作業をすることでモンスターは出にくくなって、街道が安定する。と聞けばやらざるを得ない。というかあれほどモンスターに湧かれてしまえば、戦わないと生き残れない。


 領主の城や、町、村にたどり着くと、なんだか凄みのある笑顔を浮かべたテオ様が話をつけてくれて、『相談を持ちかけられた』彼らは、喜んでアテル国への帰属を表明してくれる。ちょっとこわばった、ときどき青ざめた笑顔を浮かべる役人もいたけど、まぁ、きっと、体調が悪かったんだと思うことにしておく。


 レオ様がどういう風に話し合ってくるのか、見てみたいような見たくないような。後学のために見ておいたほうがいいような、精神の安定の為にはこのまま知らないほうがいいような、ひどく複雑な気持ちだ。

 ちなみに、俺たちが柵を立てて、モンスターが前よりも少しだけ出現しなくなったり、弱くなったなった街道を、後からクラリッサ率いる有志の方々が整備してくれているらしい。と、書類で報告だけ受けている。


 そして俺は、いや俺たちは、神殿のある町についたのだった。


 カピバラもどきの正体は、うららちゃんも知らないそうです。

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