ゴル城訪問

 クロウェルドっていうのは、街にしてはかなり広い。もし歩いてクロウェルドの端から端まで移動しようとしたら、数日はかかるだろう。

 一方、ゴルは領都だけれどちょっとした街、という程度の広さしかない。なんで、クロウェルドの一部を切り取らないんだろうってくらいにささやかな地域だ。だから、ゴルの城下町はクロウェルドにまで広がってしまっている。


 実は、クロウェルドの城も、ゴルの城も、街の真ん中には立っていない。だから、クロウェルドの城の最上部からゴルの城が見える程度に、二つの城の距離は近い。


「きゅるるるるる」

「くりゅりゅりゅりゅりゅ」


 今日は車での移動だ。

 窓の外には小川が流れていて、野生のカピバラ達がのんきそうに昼寝をしていた。


 クロウェルドでは、モンスターがほとんど現れなくなったことが先日確認された。夜間に時たま街道を離れた場所や森にモンスターが現れることはまだあるらしいけど、夜間にわざわざそんな場所に向かう者は少ない。

 そのせいだろう。クロウェルドの城下はどんどんと人が増えてきている。


 空き地を耕している者たちの姿が見えた。鍬や鋤を持っているのが一人や二人じゃないので、近々ここには畑が広がるのだろう。クロウェルドの城から少し離れた辺りだし、ちょうど良いかもしれない。

 街道には俺たちが乗る車の他にも数台の車、歩いて移動する旅人らしい姿も見える。


「きゅるるるるる」

「くりゅりゅりゅりゅりゅ」


 車を動かしているのはヤニック、その隣に座っているのはバティスト。バティストの膝の上には、二匹のカピバラもどきがいる。


「きゅるるるるる」

「くりゅりゅりゅりゅりゅ」


 ……そう、二匹だ。


 そのうちの一匹が、わさわさと羽を大きく動かした。たぶん、うららちゃんのほうだ。きっと俺たちのいる席の方に逃げようとしたに違いない。もう一匹、たぶんテオ様じゃないかってカピバラもどきのほうにすりすりされて嫌がってたから。


「大人しくしてください」

「……きゅるっきゅいっ」


 それを、バティストがわしっと捕まえて、二匹まとめて自分の膝に再設置した。さりげなく、撫でている。

 一方がまた、もう一方にすりすりとしていた。そっくりすぎて二匹の見分けがつかない。


 人間姿でいちゃつかれるよりは、なんとも目に優しい。


「きゅるるるるる」

「くりゅりゅりゅりゅりゅ」


 ……それにしても、あの二人は人語を忘れてしまったんだろうか。


「きゅいっきゅるっ」

「くりゅっきゅいっ」


 俺としては、下手な言葉では表現できないほどに美しい男性が、あちこちの仕事を手伝ってくれては更に仕事をやりやすくアドバイスをくれる有能な麗しい青年が、優しい物腰で使用人たちの所作から配置から、護衛官たちの訓練や倉庫の整理までも良い方向に改革してくれる優雅な指導者が、うららちゃんが横暴に騒ぎだしたときにその理由を説明してくれ、うららちゃんをさとしてくださる優しくて有能で容姿端麗な大賢者様が、今朝になっていきなり、カピバラもどきになってしまったこの衝撃を誰かにわかってほしい。

 いや、きっとずっと押し黙っているヤニック、イスメール、パルヴィーンはこの、なんとも言えない複雑な気持ちをわかってくれているはずだ。


 ずっとさえずって、すりすりしたり、短い足でてしてししたり、もてもてと移動したりしている二匹の姿を非常にかわいらしいと感じてしまっている俺の感性は、大丈夫なんだろうか。不安で仕方ない。


「お二人とも、その姿だととても仲よしさんなんだな」

「きゅいっ」

「きゅる」

「ええ、とてもお似合いの夫婦です」

「きゅるるるるる」

「くりゅりゅりゅりゅりゅ」

「はい、かわいいです」


 ついに、普段は比較的無口なバティストが会話に混ざり始めた。


 ……そうか、でも、かわいいと思ってしまっても大丈夫なのか……


 空は高く、青い。透けたような薄く白い雲がいくつか浮かんでいて、今日も天気は良さそうだ。この辺りまで来ると小川も水路も見かけなくなる。野生のカピバラは、クロウェルド限定の存在だ。民家が軒を連ねているのを見て、柵も何も無いけど、ゴルに入ったとわかった。


 ゴルに入ってからのほうが、通りを歩く人は多い。ゴルではクロウェルドやウラナミよりも建物の背が高く、密集するように建っているせいで圧迫感がある。


 そう、ウラナミと言えば、改名させることに失敗したと、この間うららちゃんが暴れていた。

 どうやらセイレラスは改名の書類を作成しただけで、公布しなかったようだ。そして、目覚めてすぐにそれを知ったテオ様は即座にウラナミへと町の名前を戻した。あの手際は素晴らしかった。主に、怒って暴れたうららちゃんを静めてくれたという点で。


 ……あんなに怒りっぽい女王がいた時代と、とにかく横暴な精霊がいた時代があったのか。当時の国王は大変だったろうな。


 もう、車はゴルの城の門をくぐり抜ける。

 壮麗な彫刻が施された、頑強そうな門だ。クロウェルドのものよりも馴染みの深いゴルの城の門だけれども、なんだかあっちのに比べると、実は少々迫力に欠けるんだな、と感じてしまった。

 車を降りて城の正面からホールに入る。たまたまそこにいたのだろう使用人たちが壁際に整列し、俺に向かって頭を下げていた。


「レオリール、無事だったのか」


 まだ残っているかわからないけど、城に来てくつろぐのであれば、まずは俺の自室に向かおうと、回廊を歩いているところに声をかけられた。


「データス、久しぶりだな」


 なんだか前よりも、わがままそうな表情が薄くなったみたいだ。ちょっと真面目そうな雰囲気になっている。着ている物は仕事着だろうか?


「ああ、元気そうで何よりだ……ちょっと、話をしないか?君の部屋はきっと、侍女たちが掃除しているところだろうから」


 データスに連れられ、向かったのは応接室のひとつだった。

 カーテンは重厚な赤い、織りの見事なもので、金色の房飾りがついている。床の敷物は濃茶。テーブルは磨き上げられた木製のもので、滑らかに輝きを反射している。確か、マホガニーだったか。同じシリーズの花台には白磁に美しい絵が描かれており、もっさりと重たそうに見事な大輪の薔薇が生けられ咲いている。


「まさか、報告で聞いてはいたけど、レオリールが本当に無事だとは思わなかったな」


 茶器はレトナークの最高級のものだろう。データスは先に茶と茶菓子に口をつけ、笑ってみせる。まるで、仲のよい従兄弟のような表情をしてきた。


「死んでなくて悪かったな」


 ソファに座っているのはデータス、俺、イスメールだけだ。ヤニックとバティストは後ろに控えており、パルヴィーンはデータスが連れてきた侍女と共に壁際に控えている。

 二匹のカピバラは、バティスト手で俺の膝の上に設置された。


「あの時、お前の息の根を止めないようにさせたのは俺だぞ?俺がお前の命を救ったようなもんじゃないか」

「餓死させればいいとか言ってたのは、ちゃんと聞こえてたぞ」

「まさか。翌日にでもこっそり助けるつもりだったさ。なぜだか城に入れなくなったから心配してたんだ」


 ……嘘つけ。


 俺は、並べられた菓子をいくつか、皿に取る。後ろのヤニックとバティストに渡すと、パルヴィーンが二人のために小さなテーブルと椅子を侍女に用意させ、自分は茶を入れ始めた。


「毒見か?さっき俺がして見せただろ?」

「いや、違う」


 俺は、左腕につけている細い腕輪をデータスに見せた。


「毒無効の装飾品を今は持っているから、毒のことはもうなにも心配してないよ。ヤニック……俺の護衛の一人が甘党だから、食べさせてやりたいと思っただけだ」


 俺は日常的に毒を警戒した生活をしていたから、フランツ商会で購入したこのアイテムをとても重宝している。食中毒を警戒したクラリッサが割引してくれて、うららちゃんが一部を負担してくれたおかげで、俺たち全員がこの腕輪を身につけることができた。

 しかも、今はテオ様が効果を最大まで上げてくれている。

 もともとはいくつかの危険な毒物にしか効果がなかったはずのものが、全ての毒物に効果を与えるようになってくれている。このアイテムに『所持者が外そうとしない限り外せない』という親切な効果までついた。残念なことに、この腕輪をつけたままだと何種類かの薬も効果を無くすらしいので、そこだけは要注意だ。


「そうか」


 データスはそこで苦笑した。並べられた菓子をひとつ、口にした。

 再会してからここまで、あのデータスが誰の悪口も、なんの罵りの言葉もせずにいるのが不思議で仕方ない。俺の記憶の中にいる従兄弟はいつも、何かに苛立っていたのに、今はとても穏やかそうな男性に見える。


「ところでレオリール。ゴルの城の状況は知ってるか?」

「……少しくらいなら」

「……なら、改めて言わなくてもいいか。レオリールは、その、王様になったんだって?」

「んあ?ああ。一応そういうことになってる」

「敬語にしたほうがいいのか」

「……公式の場ではそうなるな」

「そっか」


 カチャリ、とほんのわずかに茶器の音がした。


「……悪かったな。そして、すまない」


 こいつは、本当に誰だろう。

 いつも悪態と呪詛の言葉を並べてばかりいたデータスではない。平気で残酷な命令を部下に下す男はどこにいったんだろう?さすがに、親や兄弟が処刑されると、変わるものなんだろうか。


 トントンと、扉がノックされた。

 サッとデータスが扉に向かい、開ける。その姿はまるで、よくできる侍従みたいだ。

 俺も、立ちあがって姿勢を正した。


「久しぶりですね、レオリール」


 俺の視界の隅には、鮮やかな大輪の薔薇が見えている。

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