親と子

 使用人らしいひとりが俺とデータスに向かって頭を下げ、後ろに下がると、母さんが応接室に入ってきた。母さんの取り巻き達と、側近と、使用人もぞろぞろとついてきている。

 かなり広かった部屋は、一気に狭苦しくなった。


 取り巻きのひとりがさっと駆け出しソファを撫で、一度うなずく。母さんが座っても問題ないかを確かめるみたいな行動だった。

 ついさっきまでデータスが座っていたソファだ。異常も何もあるわけがないだろう。


 でも、側近達に混ざるように立ったデータスも、母さんが座るソファをいちいち確認することを、さも当然である、というような顔をしていた。

 安全性に満足したらしい取り巻きは、満面の笑みで母さんの手を取り、母さんを座らせる。


「ありがとう」


 母さんがその取り巻きに礼を言い、ソファに腰を下ろす。と、今度は入れ替わるように別の取り巻きが二人、素早く近寄ってくる。床に広がるドレスの裾を、綺麗に見えるように直して背後の列に戻った。


 その間、使用人は何をしているかというと、飲み物の用意をしている。


 使用人が入れた飲み物を、また別の取り巻きのひとりが受け取り、母さんの前に静かに置いた。飲み物を運んだだけの取り巻きの頭に、母さんが軽く手を置いて、一撫でする。


「いい子」


 頭を撫でて貰った取り巻きは、きっとどうしようもなく嬉しかったんだろう。つい、取りこぼしてしまったような笑顔を浮かべていた。

 それを見ている他の取り巻き達はとても微笑ましい、好ましいものを見たような顔をしている。

 側近達のほうは取り巻き達と同じように微笑んでいるものと、茶番に飽き飽きしていそうな、ちょっと疲れたような顔になった者と、半々くらいか。


 ……母さんが引き連れてきた取り巻き、側近、使用人の数は多い。正直、ここに何人いるのかまでは数えたくない。


 母さんとほんの少しだけ、目が合った気がする。でも、視線はそのまま俺を通り過ぎて、部屋の一ヶ所に止まる。


「あら、あれは私の薔薇かしら」


 側近達の中に立っていたデータスが、したり顔で一歩前に出た。


「お屋敷から移植したものが綺麗に咲きましたので、間引いたものをこちらに活けさせました」

「そう。とても綺麗。ありがとう、データス。あなたはとても気が利く良い子なのね」


 母さんの言葉に、データスがずいぶんと嬉しそうに笑っている。

 ……俺がゴルの城を追い出されてから、今日までの間にこいつも立派な母さんの取り巻きになったらしい。


 どうりで、前と受ける印象が変わるはずだ。母さんの取り巻きも、側近たちも、仕事ぶりだけは鍛えられていく。


 母さんは今度は優雅な仕草で茶を一口飲み、今度は茶が美味しいだの、今年はどこそこの茶葉が良いだのと取り巻きたちとやり取りをしている。


 その間、俺は立ったままだ。座るタイミングがもう、わからない。


 カップをテーブルに置いた母さんが、やっと俺のこと見た。


「久しぶりですね、レオリール」

「久しぶりです、母さん」


 前に会ったのは、いつだったろう?

 半年前に歩いている姿をちらりと見たのは覚えているけど、こうして対面するのは久しぶりだ。


「座ってもいいのよ」

「はい」


 俺の声が震えてなかったのかどうかについては、ちょっと自信が持てない。


 俺がソファに腰を下ろしたら、二匹のカピバラもどきがトンっ、トンっと膝に飛び乗ってきた。小さな重みと温もりだけど、これがけっこう存在感を主張してくる。


 ……そうだ、母さんよりもうららちゃんの方が、よほど強くて怖くて、横暴で、厄介じゃないか。テオ様の方がよっぽど優雅で美しく、貫禄と威厳があるじゃないか。


 俺は深呼吸をする。少し冷めた飲み物を一気に飲み干した。


「母さんは、元気でしたか」

「ええ。でも、あなたが姿を消したと聞いて、とても心配していたのよ」


 母さんは、俺が帰ってこなかった翌日にはこの城に怒鳴り込み、叔父さん達を捕らえさせたと報告を受けている。

 それから、俺を探しに手を尽くしてくれていたらしいとも。


「……でも、母さんの顔色がそんなに悪くなっていないようで良かったです」

「私にはよくしてくれる子がたくさんいますから」


 母さんは、目を細めてから、自分の後ろに控える人の群れをゆっくりと見ていった。取り巻き達が嬉しそうに胸を張り、側近たちは少し照れたように見えた。

 改めて俺を見た母さんが、一番自慢げだった。


「それで、最近はクロウェルドの城を改修していたようだけど、これからはここの城に帰ってきてくれるということで良いのかしら」


 さっき飲み干してしまったのを見ていたパルヴィーンが、新しい茶を茶器に注いでくれる。茶葉をかえたのは見た目ですぐにわかった。香りからすると、どうも、これは最近俺が好きな茶葉だろう。

 俺は茶を一口含む。甘さを仄かに感じる、爽やかな香りが口に広がって、鼻に抜けた。


「いえ……俺の拠点はもう、クロウェルドです」


 動きを少しだけ止めた母さんに、俺は続ける。


「俺はアテルの国王になりました。国の為にあの場所は重要ですから、今後はクロウェルドに住むことにします」

「それでは……アテル領はどうしようと考えているのかしら?」

「アテル領をアテル国に返してもらいます。その為に今日はここに来たんです」


 お母さんの表情がはっきりと強張る。


「そんなことを認めることはできません」

「俺の婚姻の書類は見たんでしょう?俺は、アウルム家の婿になることにします」


 バッと母さんが立ち上がる。


「そのようなことは認められません!レオリール、あなたは私の息子として、このアテルの領主になるのです。クロウェルドが気に入ったのかしら?それなら、フィアーナ領をアテルに併合しましょう。ね?」


 まるで、国王よりも領主でいることを望むような言い方だと思う。いつもよりも感情的に、早口にまくしたてる母親が不思議で仕方ない。


「ヨヌイールチの国力に逆らうなんて無理です!」


 俺は膝の上に入るカピバラもどき達をちらりと見て、顔をあげた。


「俺は国王だ」

「……母である私の言うことに逆らうのですか?あなたは、ゴルの城に帰ってきて、領主になるのです」


 絵本に出てくる、怖い人形ひとがたモンスターのお面みたいな顔してる母さんの気迫が怖い。怖いけど……ごめん、俺、今、すっごいこのカピバラもどきが怖い。母さんごめん、俺、領主にはなれない。


 ……どっちがうららちゃんか、なんとなくわかった。いや、今ならはっきりとわかる。


 ちらりと見た膝の上で、一匹のカピバラもどきが俺を睨んでた。目付きが怖かった。今、投げ出すとか絶対認めないぞ、とか、しっかりしなさい、あなたは国王なんだから、と言ってるような気がした。俺は表情を取り繕うのに必死だ。


 どさり、と音をたてて母さんがソファーに体重を預けた。肩腕を持ち上げ、顔を隠している。

 どうやら俺は、母さんにとって、とてもショッキングなことを言ってしまったらしい。取り巻きたちがおろおろしている。


 ……それもそうだろう。母さんはきっと、俺を領主にするために、わざわざ離宮から出て来て、自分ではなりたくないと言っていた領主の席に収まったんだろうから。


「とりあえずおくさんとやら連れてきなさい。話をするのはそれからにしましょう」


 ……俺だって本当は、今日、母さんとこんな話をするつもりはなかった。今日はこちらの城に来るだけで、これから日程を調整して、心の準備をしてからきちんと話をしたかった。


 退出の挨拶をして、俺は自室に向かう。応接室では、取り巻きたちがわらわらと母さんを文字通り取り巻いていて、データスが母さんの座るソファの肘置きの辺りに座るところだった。

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