雇用契約書とテーブル

「バティスト、ちょっとの間、そこの扉を守っててよ。誰もここから逃げないように」


 うららちゃんがなんだか不穏なことを言い出した。すぐに男がひとり、動く。傭兵だろうか。

 バティストはなんだか、俺の目にはとても強そうに見えた。軍人とは少し違う雰囲気がする。

 彼はひとつしかない扉を塞ぐような場所に立った。


「うらら様は、バティストを以前からご存知だったのですか?」


 イスメールが小さな声でうららちゃんに質問するのが聞こえた。プロスペリの隣に座っている男の目付きがやたらと悪い。


「んー……バティストだからなぁ……」


 うららちゃんは、困ったみたいに部屋を見回した。ヴェール越しだから、本当はそうしたかどうかわからない。けど、見回したように俺は感じたから実際に見回してたんだろう。


「このメンツだったら、誰でもこういうときはバティストを使うんじゃないかなぁ……? アオイもよく使ってたし……」

「『アオイ』?」


 いきなり出てきた聞いたことのない言葉に、俺はつい、口を挟んでしまった。『アオイ』というのは何かの名前だろうか?あまり、聞いたことのない音の響きだった。

 ヴェールの中からは、困ったような気配が伝わってくる。俺だけじゃない、たぶん全員がその聞いたことのない言葉に疑問を感じているに違いない。当のバティストでさえ、軽く首をかしげていた。


「……アタシの都合」


 こほん、とわざとらしい咳払いをしたうららちゃんが、バティストの方を向いた。


「バティストは、この子を王様にするの、手伝ってくれるよね?」

「グエンドリン様とハリエット様から、別々のルートより指示をうけています。レオリール様に会うことがあれば協力するように、と」


 あの母親が?


「なにそれ。それじゃアタシには従ってくれないってことじゃん」


 俺は振り返り、後ろの扉の前に立つバティストという男を見る。

 バティストは俺を見て、微笑んでいた。安心させるような笑みというのは、こういうものなんだろう。

 ぽん、とパルヴィーンが肩を叩いてきた。パルヴィーンも微笑んでいた。


 ちょっとだけ、少しの間だけ、俺は下を向いて呼吸と表情を整えた。


 母さんが、俺にそうやってはっきりわかるように俺を助けてくれたのはいつぶりだろう。

 バティストは、強そうで、優しく笑ってくれて、なんだか、ずいぶん頼りになりそうだ。


「ま、今はそれでいいけどさ」


 うららちゃんの言い方は、なんだかいじけたみたいな、少しだけ不満の色があった。また、俺のしつけの方針が気に入らなかったんだろうか。あんなにかっこいいじゃないか、バティスト。


「ちょっと待て」


 さっきからバティストをやたらと睨んでいた男が、鋭い声をあげた。

 なんなんだ、何かトラブルの気配がする。


「バティストは信用ならねぇ。そいつひとりに、俺がどれだけの被害を受けたと思ってるんだ!」

「……それは俺の台詞だ」


 言われたバティストが吐き捨てるように言って、顔をしかめた。

 この二人は仲が悪い、という程度では済まされない何かがありそうだ。……そういうのはちょっと、裏でやってくれないだろうか。


「ヤニック。あんたのせいで俺の部下も大分被害を受けた。

 ……だが、グエンドリン様から俺は説明を受けてる。お互い、仕事だったってことだ」

「そんな言葉で騙されるかっ!!」


 ばん!と大きな音がして、それからヤニックと呼ばれた男がテーブルを強く叩いたんだとわかった。

 ヤニックは、今にもバティストに飛びかかりそうだ。バティストも、腰に着けた剣に手をかけている。会議室内の空気が硬くなった。

 イスメールが何かの呪文を待機し、パルヴィーンが立ち位置を変えた。何人かがおろおろとして、何人かは腰を浮かせ、止めようとしているのか、手を伸ばそうとしている。


 俺はすっと息を吸った。

 落ち着け、俺。


「イスメール、パルヴィーン。ここに集まっている者たちは、俺に仕えるだけの信用に足る者なんだよな?」


 なるべく、落ち着いた声を意識した。


「ええ、そうです。我々が信頼できる、と判断した者を集めました」

「イスメール、あの時、俺の話を聞いてくれただろ!?アイツはっ!バティストは信用できねぇ!!」


 ヤニックの口調はなんだか、噛みつくみたいだ。


「ああ。そしてあの日からの関係で私はあなたを信頼できると判断しました。

 バティストもです。バティストからも、『ヤニックには気をつけろ』との忠言を受けています。それに、バティストはうらら様からの信用が厚いようなので」

「そんなんで納得いくか!!」


 だん、とヤニックが片足をテーブルに乗せた。

 はっきり言おう。ヤニックは顔が怖い。それは本当にすごい迫力で、びくっとなった。


 べしん!!


 直後、俺のすぐ横にいたはずのうららちゃんが、ヤニックの真裏に立っていて、その頭を手のひらで叩いていた。


「お行儀が悪い!テーブルに足、乗っけちゃダメでしょ!!!」


 いや……そういうことじゃないような……。


「ヤニック」


 きっと、俺の目、今、すごい泳いでるんだろうな……。


 これからお説教を始めかねない、しつけ強化型うららちゃんに、ヤニックが目を見開いて固まっていた。わかる。わかるよ。でもな?うららちゃんのお説教は怖いんだぞ。タイミングだとか、空気とか流れとか読んでくれないんだ。

 打撃とか攻撃とか暴力とかそういうんじゃないんだ。怒ったうららちゃんはとにかく怖いんだ。


 うららちゃんのお説教をさえぎった俺も、実はすごくびびってる。ヤニックがあげた怒声を聞いたときの比じゃない。ってことは内緒だ。

 実は今、手が震えてる。手を握ってくれてありがとう、イスメール。お願いだから俺を睨まないでくださいうらら様。


 ええと、バティストとヤニックの揉め事だ。まずはそこをどうにかしないと、話が進まない。


「ヤニック。俺はヤニックが俺のことを……いや、俺と、ここにいるみんなを思ってくれていることがよくわかったよ。ありがとう、是非ともこれからよろしく頼みたい」

「あ……ああ。よろしく頼む、王様」


 ヤニックが頭を下げ、静かに着席した。うららちゃんのご機嫌はまだ悪そうだ。


 この室内にいる者たちは、将来、俺の国を支えてくれる首脳陣だ。彼ら全員に俺はこれから支えてもらわないといけない。

 うららちゃんのお説教から、俺は彼らを守れるのだろうか……?

 俺は扉の前に待機したままのバティストにも声をかける。


「バティスト」

「ヤニックを取るなら、俺はお払い箱ですか」


 俺の母親と、うららちゃんからの信頼が厚い人だ。俺は、この人も信頼したい。


「いや、やりづらいかもしれないけど、バティストのことは頼りにしたい」

「……ありがとうございます」


 俺は立ち上がり、会議室にいる全員をゆっくり見回した。


「皆、それぞれ背景があるだろう。だから、全員が仲良くとはいかないだろう。

 俺とは初対面の者もここにいる。でも、俺はここに集められた皆を信じ、頼りにするとこの場に誓う。

 ……アテル王国を取り戻すため、皆、俺に協力してくれ」


 打ち合わせでもしてたんじゃないっかてくらい、綺麗な礼が俺に返された。


 領主になる覚悟は持ってたけど、そうか……俺、国主になるのか……いや、もうなってるのか……?できるのかな、俺に。


 それから『テーブルに足を載せない』ということについてのお説教が始まった。俺は涙目になりそうだったし、お説教されてるヤニックは確実に涙目になっていた。うららちゃんからは一番遠い、扉の前に待機していたバティストが部屋から何度も逃げたそうにしてはうららちゃんに睨まれて、かたかたと震えていた。

 全員が青ざめていたし、もしかしてうららちゃんのおかげで連帯感が生まれたかもしれない。


「いい?ヤニック。テーブルに足は?」

「載せません!」

「はい、よろしい。レオリールも、人のお説教さえぎったらだめなんだからね?」

「はい」


 俺もちょっとだけ怒られた。


 うららちゃんはそれから、紙束をモーヤッシュに渡した。モーヤッシュがそれを、一枚ずつその場にいる全員に配り始める。ショクアは部屋の後方で、ペンと魔法のインクを用意していた。


「これだけの人間、さすがに生活に困るでしょ。いったん、みんなをアタシが雇うって形にしようと思うの。今からここに集めたみんなを中心に、このお城で働いてもらうから、自活して」


 紙には『雇用契約書』と書いてある。

 給与、勤務形態、その他諸々について記入してあった。


「ん……?」


 読んでいくと特記事項、と書かれた欄に、ひっかかる。


 ・その他、服務規程を参照とする


 なのに服務規程とやらの記載がない。別の用紙も渡されていない。

 ……これ、まさか、奴隷契約じゃないよな?


 しかも、この書類、雇用主の名前欄が黒く塗りつぶされてる。


 こんな書類に誰がサインするっていうんだろう。


「雇用主はアタシの名前だし、ぜっっったい、悪いようにはしないから。服務規程はこれからみんなで考えてね」


 ……こんな書類に、誰がサインするっていうんだろう。魔法のインクてことは公的に通用する、正式な書類だ。こんなうさんくさい書類……


「さ っ さ と サ イ ン し て」


 サインしたら、きっとうららちゃんの奴隷にされて毎日城の手入れをさせれる未来しか……あれ、おかしいな、ちょっと前までの俺の生活とそんなに変わりがないような気がしてきた。


 結局、全員がサインした。


「はい、うらら様、どうぞ」


 最初にサインしたのはクラリッサだった。


「わたくしどもフランツ商会は、うらら様に奉仕するために存在していますから。お求めであれば、全従業員にも同じものを署名させますわ」


 綺麗な笑顔で、クラリッサはなんだかとんでもないことを言ってるような気がするんだ。


「フランツ商会は、クラリッサだけでいいかな……?

 後で追加で必要そうなら言うね。

 フランツ商会には、アタシが持ってるアイテムの管理、この城で雇う人たちの配置とか給料とかをここが回るようになるまでお願いしたいの」

「かしこまりましたわ」


 俺の護衛にバティストとヤニック。城の警備にアークイワとヅンズィエ。事務を中心とした仕事はプロスペリとソンファ、ベンジー、シェイムが取り仕切り、人事や庶務をクラリッサがブアザに仕込んでいくことになった。

 イスメール、パルヴィーンは今まで通り俺の世話や仕事の補佐。ショクアとモーヤッシュは俺の侍女。


 ……と、そんな風に、うららちゃんとクラリッサが勝手に決めていった。


「で、何日か様子見て、なんとかなりそうだったら、レオリールはアタシとウラナミに行くからね」


 回収した雇用契約書をどこかにしまったうららちゃんが、ふわりと姿をカピパラもどきに変化させた瞬間、がたたっ!と半分くらいの人間がが部屋の隅に逃げた。


 うん、普通、驚くよな……。頑張って慣れて欲しい。


 やっぱりあの書類、奴隷契約か何かだったんじゃ……という不安がすごいんだけど、俺はどうやってうららちゃんから彼らを守ればいいんだろう。

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