見知らぬ部屋


 ヒティーシ村の外でモンスターをかたっぱしから消滅させ、つぎつぎと殲滅していく白い影を見た記憶がうっすらと頭に残っている。

 闇の中で大量に光る、モンスターたちの目。遠くに見える影のような、村の門。その奥でちらちら光るかがり火。ひらひらと風をはらんで揺れる薄い布。鋭く光る、金属的な閃き。どんどん消えていく醜悪な生き物たち。パシャン、パシャァンと硬く高い音が鳴り、美しい光の粒が空気に溶けていく。


 目が覚めたら、俺は知らない部屋のベッドで寝かされていた。


「……どこだ?」


 俺が起きたことに気がついたらしい。すぐに天蓋の布が引かれ、メイドの格好をした女が顔を見せる。……確か、モーヤッシュ、だったか?


「おはようございます、レオリール様。今、イスメール様とパルヴィーン様をお呼びして参りますね」

「……ああ」


 すぐにモーヤッシュは部屋から出ていき、俺は一人になった。

 ベッド近くに置いてあった水差しからコップに水を入れ、毒がないか確認してから飲む。

 

 かなり格が高い、上等そうな部屋だ。

 寝室らしく、ちょっとした椅子やテーブル、飾り棚はあまり派手ではないように整えられているが、艶や質感に高貴さが感じられる。

 すぐ目につく寝台の柱は、胡桃だろうか。暗い色をした、重厚さを感じさせる木製。天蓋の布にはどっしりとした質感がある。

 布団は少しだけくすんだような風合いの青に、緑色や黄色の刺繍が入っていて、これはかなり俺好みの配色だ。枕カバーとシーツは揃いの青みが強い灰色で、並べてあるクッションは青から黄色の間で揃えられていた。

 床には毛足の長い絨毯。これは若葉色に深緑で蔓草と何かの模様が入っている。もしかして、この模様は誰かの紋章の図案から拾ったものかもしれない。

 部屋の端に少しだけ見える床は、色合いの違う木を組み合わせて、タイルのようにしてあるらしい。手が込んでいる。

 壁にはどこかの風景画が数枚。壁紙は爽やかなクリーム色で、深い艶をした、繊細な彫刻の扉が見事な出来栄えだった。この感じだと、あちらは衣装室、向こうは洗面所に繋がっていそうだ。


 この部屋の持ち主は、落ち着いた、青から緑にかけての配色を好んでいるらしい。


「……すごい部屋だな」


 どれもこれも、おそろしく手の込んだ、ずいぶんと価値のあるもので揃えられていることだけはわかった。


 部屋履きが用意してあるのを見つけた。それを履いてから窓辺に行ってみる。

 

 ここは俺にとって初めての、まったく知らない部屋だ。けれど、どうも、雰囲気がクロウェルドの城の中に似ているような気がする。

 あの城で俺が借りていたのは離れの客間だった。本館は特別そうな部屋以外はまだ掃除をしていないせいで、まだ汚い場所ばっかりだったはず。離れのベッドの上からは、寂れたような雰囲気の庭園が見えていたはずなのに、ここからは空しか見えないのがどうにも落ち着かなくて、変な感じだ。


 掃き出し窓になっていて、外は小さなベランダになっていた。


 荒れ果てた、しかし昔はさぞや素晴らしかっただろう、庭園が窓の外に広がっていた。それを確認してやっと、ここがクロウェルドの城、それも本館の一室だと理解できた。

 庭園には何人かの見知らぬ者たちが辺りをきょろきょろと見ながら歩いている。俺が数日寝ていたのでなければ、彼らは今日初めてここに来たことになる。庭園やこの城が珍しいのだろう。


「おはようございます、レオリール様。お召し替えをいたしましょう」


 すぐ近くの部屋にでも控えていたんだろう。イスメールとパルヴィーンがやってきてくれて、朝の支度を手伝ってくれようとする。きちんと整った室内で、身なりを整えた二人を見られたことがうれしい。ここは、安全だ。二人ももう、安全だ。


 ……でも、なんだか不思議な感覚だ。

 ここはうららちゃんが支配する城。

 前みたいに使用人にかしづかれ、手伝ってもらえるのが当たり前の生活がまた、ここでも俺に戻ってくるのか?それともうららちゃんの流儀に従い、みんなで仲良く城の手入れをするような生活が続くのだろうか?


「ほらー!!」


 いきなり怒ったような女の子の声がして、ふわり、と俺の顔のすぐ横で空気が動いた。


「そうやって二人が甘やかすから、この子は着替えすらロクにできないおぼっちゃんになっちゃったんだよ?」


 羽のあるカピバラが窓から入ってきて、椅子の背に着地した。厳しい口調で俺の部下達を叱ろうとしているのは、俺にとって日常になりかけている、女の子の声だ。


「身分があるんだから、いろいろされるのにも慣れてないと困るのは知ってるよ?けどね?でも、そんなんだから、火もつけられない、ぞうきんも絞れない、着替えすらひとりじゃできない子になっちゃったんだよ?わかってる?レオリール、ここに来た一日目はホントひどかったんだから!」


 イスメールは固まっている。

 パルヴィーンは不思議そうに羽のあるカピバラを見ている。

 壁際にいたモーヤッシュが、壁と同一化しようと無駄な努力を開始し始めた。

 わかる。驚くよな。だって、羽の生えたカピバラなんてなかなか見られない生き物だし、人間以外が言葉を操るだなんて、普通は絶対に思わない。


「ちょっと目を離しただけでありえないレベルに部屋を散らかすし、ホンっと何にもできないし、あちこちめちゃくちゃ汚すし、ほんっとなんっっっっっにも!できない子だったんだよ!?」

「う……」


 やめてくれ……なんだか悲しい気持ちになってきた。

 小さなカピバラは前足でタンタンと椅子の背を叩いている。だいぶ、俺の育児方針に対して怒っているみたいだ。


「レオリールも! 何?あのベッド! 起きたらシーツを交換して、布団を整えとけって言わなかった?言ったよね?」

「あ……それは……」

「言い訳しない!!」

「すみませんでしたっ!」


 本当に、なんで、そんな小さな体でそこまで大きな声が出るんだろう……。

 うららちゃんに怒られながら、俺はなんとか朝の身支度を済ませてベッドを整えた。何回もイスメールが手伝ってくれようとして、そのたびうららちゃんの厳しい声で止められる。

 朝の支度がやっと終わって、俺たちは朝食が用意してあると言われた食堂に向かう。


 内向きの領域なんだろう、あまり広くはない、けど王族が使うと言われたら誰もがきっとうなずきたくなるような部屋が、案内された食堂だった。

 俺、イスメール、パルヴィーンが席につき、うららちゃんが空いた椅子の背もたれに止まる。ショクアとモーヤッシュが一礼して、配膳してくれる。明らかに、この場にいる全員が、いつまたうららちゃんのお説教が始まるのかとびくびくしている。


 朝食はポタージュスープにサラダ、何かの魚が入ったサンドイッチにイチゴとオレンジだった。

 使われている食器が毒検分のものでなかった。それで俺は、料理を口にするかためらう。それから、昨日も毒の検査をせずに飲食してしまったことを思い出して、今更だけど手の温度が冷たくなるような気がした。


「まずは、ちゃんと自己紹介してなかった気がするから、そこからね」


 カピバラがちょっと光って、溶けたみたいになった。まばたきをするくらいの間も置かず、椅子に座った少女の姿が現れる。

 フワフワの髪にくりっとした目の、俺よりちょっと年下くらいの女の子だ。着ているものは今までみたいなひらひらした衣装ではなく、普通のシャツだった。下半身がスカートかどうかはテーブルの席の都合で俺にはわからない。


「アタシはうらら。アテル王国の精霊だよ」


 イスメールとパルヴィーン、壁際に立っていたショクアにモーヤッシュが驚いたような顔をして固まっている。うららちゃんは一枚の紙と小瓶、ペンとインク壺を順番にどこかから取り出して、俺に向かって差し出してくる。


「レオリールが寝てる間に、相手はみつくろってきたから、サインして」


 紙には知らない名前と、『婚姻証明書』の文字が書いてある。


「ディドレ・ティ・アウルム……?」

「今の神殿の巫女の筆頭。この紙に名前書いてもらう時に会ったけど、けっこうかわいい子だったよ。それと、これは『毒耐性の薬』。効果は一か月てとこかな。これからしばらくは、毒検分の食器を毎回は使えなくなると思うから」


 待ってくれ。

 俺、こんな簡単な感じでどこのだれともわからない相手と結婚しちゃうのか?しばらく毒検分の食器を使えないってどういう?それに、なんで部屋が変えられていた?あの壁際にいる、ショクアにモーヤッシュって、誰なんだ?えっと、とりあえず、薬を飲んで、書類にサインして、朝食を取ればいいんだよな?


「うららちゃん。ちょっと待って。俺には今の状況がさっぱりわからない」

「うん……?んーと、じゃあ、まずは朝ごはん食べよっか?それからサインして」


 トン、と小瓶が差し出される。まずはこれを飲んでおけってことらしい。

 イスメールが腰を浮かせて、小瓶に手を伸ばそうとした。


「レオリール様、毒見を」

「お薬は、用法、容量をきちんと守って飲みましょう」


 イスメールの言葉は遮られ、トン、トン、と小瓶が更に二本出される。小瓶はイスメールとパルヴィーンの前に置かれた。


「この薬、数があんまりないの。料金はとらせてもらうからね?」


 薬は、甘いのと苦いのとが混じった、変な味がした。量が少なくて本当に良かったと思う。

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