覚悟の指輪
朝食を終え、食後の飲みものを口にしている。
飲んでいるのは、香りの良い何かの茶だ。
茶には、あまり詳しくない。ターポート、カーディッチ、ズーアーナ、リンディジ辺りの茶葉であれば比較的有名だから俺にもわかる。けど、この城でいつも出される茶はそのどれとも違う。前に冷やしたものを出されて飲んだときには、さっぱりしていて美味しかったと記憶している。温かい状態で飲むのも美味しいけれど、冷やして飲んでも美味しいのは素晴らしい。
俺は比較的ズーアーナの茶葉が好きで飲んでいたけど、この茶葉もそう、悪くないと思う。
食堂は妙に緊張した空気が流れ、なんだかやたらと静かだ。
妙に圧を感じさせる笑顔を浮かべたうららちゃんから、無言で書類が差し出された。俺はため息を我慢できない。このうららちゃんに、とても逆らえる気がしない。
「レオリール様、よいのですか?」
イスメールが手を伸ばしてきて、俺がこれから署名しようとしている紙を邪魔するみたいに押さえた。
「ああ。ハリエットよりはきっとマシな相手だと思うし」
普段よりなぜだかペンが持ちにくいと感じるのは、使い慣れない他人の持ち物だからだと心の中だけで呟く。
「別に、そのディドレとかいう娘に問題があれば、離縁してしまうかほかの娘を嫁に迎えれば良いだけじゃないか?」
「パルヴィーン……なんで君はそんな簡単にに割りきれるんだ……」
ずいぶんあっけらかんとした言い方をしてくれる。ディドレとかいう女の子に対しての扱いが雑すぎやしないだろうか。パルヴィーンだって女性として、思うことが全く無いわけじゃないだろう。
少なくとも、俺はただの道具としてパルヴィーンの婚姻が決まるようならもっと反抗する。ダメもとで、母親に泣きついてみても構わない。
「別に、女の扱いなんてそんなものだろ」
「レオリールもイスメールも、そこまで気にしなくていいんじゃない?ディドレは別に嫌がってなかったよ」
当の女性陣の言い分はそんなものらしいけど、やっぱりそれってどうなんだろう。徹底的に趣味や相性が合わないときとかどうするつもりなんだ。
イスメールに手を避けてもらい、俺は書類にサインした。
これで俺は、顔も知らないどこかの女と結婚したことになる。ディドレ・ティ・アウルムさん、ごめんなさい。
魔法のインクはサイン終了と共に光り、黒っぽい、暗い緑色で定着した。
さっと書類が引き抜かれて、うららちゃんの手に回収される。
「結婚おめでとう。じゃ、これすぐ出して来ちゃおっかな……?早いほうがいいもんね?」
ふんふん、とうららちゃんは俺から受け取った書類を眺めている。目が合ったイスメールだけが俺に対して心配そうな顔をしていた。
「レオリールは会議室に行く前にログボ……じゃなくて祈りの間に行っといてね」
そう言ったうららちゃんが、どこかへ行こうと一歩踏み出した。直後、その姿がぱっと消える。まるで、鏡で入り口を工夫した、どこかの部屋に入っていったみたいに。
……!?
お、あ、お、驚かないぞっ!
いくらこれが初めて見た現象でも俺は驚かないぞ……っ!! 姿を動物に変えられるんだから、うららちゃんは精霊なんだから、姿を消すのだってきっと当たり前なんだ、俺は驚かないぞ!
「今のは!?」
「不思議な生き物だな、精霊というのは」
「……っひゃあああああ!?」
俺が衝撃を何とかかみ殺しきったころ、イスメールがガタッと勢いよく立ち上がって驚き、パルヴィーンは冷静に不思議がり、まだ部屋に残っていたショクアは悲鳴を上げた。モーヤッシュはちょうど、室内にいなかった。
……パルヴィーンは落ち着きすぎだと思う。
とりあえずもう一回、お茶を飲んで無理やり心を落ち着け、ショクアには部屋の片付けを任せてから、俺たちは食堂を出た。
内向きの領域だからか、みんな庭にいるのか、長い廊下には誰もいない。内向きとはいっても恐らく王族の住んでいた場所だ。天井の装飾や、絨毯、窓枠、どれをとっても全てが美術品のようだ。
どんな人達が、昔はここを歩いていたんだろう。きっと、これだけ美しい城に住んでいたのだから、汚い身内同士での王位継承争いだなんて起きなかったに違いない、となんとなく思った。
「……なぁ、イスメール。祈りの間への行き方わかるか」
「いえ。まだこの城への理解が完全ではありません」
「パルヴィーンは?」
「私もまだ把握しきれていない」
「……だよな」
そんな気はしてた。
俺以外に祈りの間の場所を知っているものはいないようだ。そんな俺も、この辺りは歩き回ったことがないから、ここからどう向かったら祈りの間に行けるのかわからない。
仕方なく、適当な方向にしばらく歩いてなんとか、前に城の探検をした時に来たことのある辺りまでたどり着くことができた。
「レオリール様がこの城に滞在していたというのは、本当だったんだな」
パルヴィーンが感心したように褒めてくれるけど、さんざん迷ったあとだ。
「いや、俺が滞在してたのは離れのひとつだったから、この本館には詳しくないんだ」
「それではレオリール様に案内できるよう、私たちは城内の把握に努めないといけないな」
「よろしく頼むよ」
迷路みたいに通路が入り組んだ区画になっていく。この辺りは掃除をするときに何度も通っていたからもう、道順に不安はない。やがて、祈りの間に続く長い下り坂にたどり着いた。
「ここが祈りの間になる。 ……二人はここで待っててくれ」
肖像画がずらりと並んだ通路の行き止まりで、俺は着いてきたイスメールとパルヴィーンにそう命令した。たぶん、イスメールは祈りの間に入れる。けど、俺は一人だけで祈りの間の砂の上に進むことにした。
……なんだか、一昨日よりも微妙に水量が増えてる気がする。
二人に無事会うことができたから、今度は何を祈ろうかと悩む。あんまりうららちゃんに怒られませんように、とかでも祈りは通用するのだろうか?
具体的な願いを今は何も思い付かない。だから俺は祭壇の隣に膝をつくと、泉の中央にある白っぽい石でできた、作り物の花の植え込みに向かって『皆が健康でありますように』と祈った。なんだかかなり曖昧だけど仕方ない。
熱いような、冷たいような何かが身体の中を通り抜ける。
今までで一番多い、と思った。多いって言っても、直感だから何が多いのか実はさっぱり分からない。ぶわっ!と身体が膨れ上がって、いつも通りの大きさに戻ったみたいな気がした。その感覚は一瞬だけのものだったけど、めまいがして、しばらく動けなくなってしまった。
なんだ、今の。
不快ではなかった。こんなことは初めてだ。今のはいったい、なんだろう?
なんだか自分がとても強く、万能になったみたいな感覚が湧いてくる。
今なら……うららちゃん………………にはきっと勝てそうにないな。えっと、母さん………………も無理だ。あの人は強すぎる。パルヴィーン………………にもまともにやりあったら勝てないか。イスメール……は魔法を使わないのなら、なんとか?いや、イスメールにも敵わないか?
……俺、もしかして、弱い?
それに気がついたら、途端に万能感がかき消えた。めまいも治まった。 俺は立ち上がって膝の砂を払い、イスメールとパルヴィーンと三人で今度は会議室とやらに移動することにした。
会議室は、妙に通路の入り組んだ、迷路みたいになっているエリアにある。中に入ると、ヒティーシで出会ったクラリッサにプロスペリと、あと数人の男たちが待っていた。
上座に俺が座り、隣はイスメール。パルヴィーンは俺の斜め後ろに立つ。
「今からアテル王戴冠の儀を行うから」
どこからかうららちゃんの声がした。
何もない空間から、いきなり豪華な衣装に身を包んだ女性が姿を表す。
淡い色の布をたくさん重ねたドレスは普段より何倍も豪華なものだ。あちこちに宝石が縫い付けられてキラキラと光っている。表情は頭から被っているヴェールのせいで分からない。 ヴェールの上から、これまた見事な宝石の連なる サークレットのような飾りをつけているのが派手だ。
背には大きな猛禽類のような羽が畳まれていて、マントのよう見えなくもない。一歩進むごとにチラリと見える足はサンダルで、シャラシャラと音の鳴るアンクレットのようなものがつけられていた。
手には、王冠。
「『アテルの王冠』」
俺の頭に、それは載せられた。
続いて、何も無い場所からうららちゃんは指輪を取り出し、俺に差し出してくる。
「『覚悟の指輪』」
何の装飾もない、銀色の輪っかを俺は左手の人差し指につけた。
「『勇ましの腕輪』」
今度差し出されたのは、鷹をモチーフにしたらしい、金色の腕輪だ。俺はよくわからないまま、それも受け取って、腕にはめる。
「『ハナチラシミナモ』」
前に、触ることさえできなかった剣を差し出され、俺はちょっとためらう。こんな、椅子に座ったままほいほい渡されたのを受けとるばっかりじゃあ、カッコつかないってのもある。
「これは、レオリールが国王でいる間、アタシから貸し与えるものです。早く受けとるように」
ぐいっと目の前に、剣がさやごと差し出される。 明らかにうららちゃんの声が苛立ってきていたので、俺は仕方なくそれを受け取った。
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