第12話 再会(プレ戦闘)
「起きて。おーきーてっ」
ゆさゆさと揺さぶられて、もう朝なのかと目を開ける。ベッドの脇には珍しく、人間姿のうららちゃんが立っていた。
「……今日は天気が悪いのかな。窓の外が暗いんだね」
昨日は張りきって草刈りをしたせいだろうか。まだ寝足りない。布団に潜っていたい誘惑と戦いながら、俺は目をこすって上半身を起こした。まぶたがくっつきそうだ。
「うん。そうだろうね。まだ夜明け前だもん」
あっさり返された言葉に、布団の誘惑は更に強くなる。さっと差し出され、つい受け取ってしまった熱いお茶を、仕方なく飲んだら、体がじんわり温まった気がした。
夜明け前って。
なんだって、そんな早い時間に起こされたのかがわからない。暖炉に火が入っていて、部屋は暖めてあり、起きるのに支障はない。隣室にうららちゃんが出て行ったので、俺は服を着替えて軽く畳み、その流れでベッドも簡単に整えた。
窓の外はやっぱり暗い。
今朝の朝食はコンソメスープ、パンにチーズを載せて軽く焼いたもの、スクランブルエッグとサラダにリンゴ。パンとスープは昨夜の食事の使い回しらしく、へえ、こうやって朝食を準備する手間を減らす方法もあったのかと素直に感心する。
うららちゃんも人の姿で、今朝は俺と同じメニューを食べていた。サラダの量が何かおかしいってことだけを除けば、だいたい俺と同じ食事だ。
……そうか…………体の大きさがでかくなると、比例してサラダもたくさん必要になるのか…………そうか……うららちゃんはカピバラだった…………カピバラ思考だからサラダはドレッシングなしに食べるのか……そしてその山盛りサラダだけじゃやっぱり人間サイズになると何かが賄えないから、パンとスープにも葉っぱを載せたくなるんだな……?
緑に溢れたうららちゃんのメニューとは違い、ごく一般的な、常識的な人間用として準備された俺の朝食の味付けは、ほんのちょっとだけ塩味が物足りない。けどそれは本当にちょっとだけ、それこそ、もともと薄味好きなんだろうな、っていうくらいだ。
ドレッシングも塩も無しにひたすら野菜を食むうららちゃんを見て、俺は初めて、今まで自分に出されていた食事の全てがとてもとても人間向けに作られていた素晴らしいものだと知った。
「いつも、おいしい食事をありがとう」
「え?うん。料理は慣れてるし」
カピバラ向けな食事じゃない健康的な朝食に感謝だ。
「お城の地下でログボもらったら、今日はヒティーシに行くからね」
「ログボ?」
「……祈りの間で祈るでしょ。その日の一番最初とそのほかのときで、なにかちょっと違いがあるよね?」
それは、うすうす感じていたことだ。
「その日によって違うけど、なんだか少しだけ体が軽くなったような気がしたり、普段より重いものが持てるようになったり……?」
「そ。それ。地下でのお祈りはね、この国のためになるだけじゃなくて、自分のためにもなるんだよ」
………………カピバラ思考だと、リンゴの芯、残さないんだな……。種は飲まない方がいいと思う。
朝食を済ませたあとは洗濯機と食洗機を稼働させ、急かされながら城の地下で今朝の祈りを済ませた。今日の『ログボ』とやらが何かはちょっとわからなかった。うららちゃんがなんだか喜んでいたから、それなりに良いものだったんだろう。
次に向かった武器庫で、そろそろトウファちゃんとかも使えるんじゃない?と言われながら手渡された武器は、ずっしりとした重さの、剣だかナイフだか悩むデザインの武器だった。
「重い」
「トウファちゃんはコスト五だからね」
「コスト?」
「キュススくんは三だったし。今日はベオリールも帯剣してるから、コストが埋まっちゃったんだよ、きっと」
何を言ってるのか、よく分からない。難しい話のようだ。いつかパルヴィーンに会えたら教えてもらおう。
渡されたナイフは慣れないし重いけど、まあ、なんとかなるだろう、きっと。
武器庫には棚や箱がたくさんある。ついさっき、水を打ったんじゃないかって感じに濡れた床。どれを見ても、手入れの行き届いた武器や防具。祈りの間といい、武器庫といい、ほこりひとつない部屋は、俺が毎日掃除をさせられている部屋とは何かが大きく違っていた。
何が違うんだろうと部屋を見回していたら、つやつや輝く鎧が目に入る。装飾用か、儀式用なんだろう。見事な模様が刻まれていて、ずいぶん立派だ。かっこいい。
「城の外に出てヒティーシに向かうってことは、街道を行くんだよな?」
ゴル以外の土地にはモンスターが出る。いや、ゴルでも夜はモンスターが湧く。ゴルからクロウェルドの間の街道に現れるのは、ごくごく弱いモンスターらしい。馬や、乗り物を使えばそれだけで怯えて出てこないくらいなので、俺でも問題ない。
でも、これから行くのはクロウェルドより先の街道だ。まだ、だいぶ明るくなってはきたけど夜明けではない時間。
「防具は?」
コスト、とかいう何かに問題があったとして、俺はまだモンスターと戦ったことがない。剣の指導を受けたことはある。けど、それは運動のためで、型を身につける程度のものだ。スライムとすら、戦ったことがない。
うららちゃんが戦えるのかどうかもまだ知らないけど、ちょくちょく外へ出ているんだから、彼女はなんとかできるんだろう。うららちゃんが戦ってくれたとして、俺に防具が全くないってどういうことだ。
「だいじょぶだいじょぶ。きょうのログボがダメージカットだったから」
「ダメージカット?」
「うん」
行こう、とうららちゃんは歩きだす。絶対的に説明が足りてない。うららちゃんに説明してくれるつもりがないのなら、いつかイスメールに教えて貰うしかないだろうか。
「ここからヒティーシまでに湧くモンスターは、オドリクサとシビレバナ、あとナグルキにスライムだけなの。今日のログボ、ダメージカット五百があれば、防具なんてなくてもトウファちゃんの防御力だけでなんとかなると思うよ」
空が白み始めている。街道を歩きだしてすぐ、スライムを見かけた。けど、ぷよぷよした小さなスライムは、なぜかすすっと街道の柵の向こうに逃げて行った。
「スライムだけなら、アタシが無効化できるから、今日は無視していいよ」
「スライム無効化……」
カピバラに変身するような女の子なんだから、そんな不思議なことができるってことにしとこう。いや、うららちゃんは精霊だった。精霊だから、神秘の力が奮えるのは当たり前……なのか?
城の敷地を出る少し前に、うららちゃんは薄い布をヴェールのように被った。布越しに向こうが透けるくらい薄いのに、それだけで顔が見えなくなるっていう不思議な布だ。
「その布、精霊モードってこと?」
「これ?」
うららちゃんの歩く速さが予想より早くて、俺も少し早足になる。
気になったことを聞こうとしたのに、ざざっと街道脇の草が揺れて、会話にならなかった。うねうねと動く葉っぱが現れる。
「レオリール、あれ、切っちゃって」
「え?俺!?無理!!」
俺は一歩下がって首を横に振る。モンスターだぞ?スライムですらない、なんだかデカいモンスターだぞ!?
「無理じゃない!昨日までの草刈りと一緒!」
どか、と背中を蹴られて、俺は草のモンスターと対峙するはめになってしまった。昨日までは剣で草を刈らされていたってのに、今俺が握りしめてるのは大振りなナイフで、それだけで勝手があまりにも違いすぎた。
「てやっ」
腰丈の、ススキに似た葉っぱがゆさゆさ揺れているそこに、びくびくしながらナイフをつきたてる。
パ……シャァ……ン……!
オドリクサと思われるモンスターは砕け、光に溶けた。
……あ。
「倒せた」
「うん。がんばったね」
「……俺、モンスター、倒せた」
「うんうん。エライえらい。偉いしすごいから、あと四体湧いたのも倒しちゃおっか」
ちょっと待て、戦うのってもしかして俺だけ!?
「行ってこーい!」
今度はばしんと背中を叩かれ、俺はやけくそな気分で一体のモンスターに狙いを定めてナイフを向けた。ピリ、と傷みを感じたのは、俺が狙ったのと違うモンスターからの攻撃をもらってしまったからだ。思っていたほど痛くはないけど、『モンスターからの攻撃を受けてしまった』ことで焦る。
怖い。
大丈夫なのか?
怖い。
俺みたいのが戦って、本当に大丈夫なのかよっ!?
「ほらほらぁ、落ち着いて」
ちょっと離れた所から届く、のんきな声に苛立つ。
怖い。
死ぬかも知れないんだぞ!?
怖い。
ばん、と打撃をくらった。さっきより痛い。怖い。やみくもにナイフを振り回して、偶然刃が当たったらしい一体が消えてくれる。怖い。あと二体。あと二体だ。怖い。息をしたいのに、うまく呼吸できている気がしない。怖い。
「くそっ」
うららちゃん、見てるんだろ、ちょっとくらいは助けてくれてもいいじゃないかっ!!?
一体を思い切り蹴飛ばし、距離を取った。もう一体のほうは素早く切りつけた。素早く動いたつもりだったけど、動けてたかどうかは正直わからない。
パ……シャァ……ン……!
パ……シャァ……ン……!
二体のモンスターが光になって溶けて消え、俺は早朝と言うには早すぎる、ひんやりとした地面にへたり込んだ。
怖かった。
荒い息で、そこに立っているはずのうららちゃんを見上げた。
パ……シャァ……ン……っ!
うららちゃんは、ちょうど巨大な木のモンスターを消滅させているところだった。
いつの間にそんな大きなモンスターが来ていたんだろう。……ってくらい、俺はオドリクサとの戦闘だけでいっぱいいっぱいだった。
改めて、血の気が引いた。
「なに?もう疲れちゃった?」
たぶん、ナグルキだ。
モンスターとの戦闘を終え、辺りを見回してから、うららちゃんは古びた銀色の剣を鞘に戻した。ぐいっと俺の腕を引っ張った腕は城にいた女の子たちのものとあんまりかわりない。なのに、まるで、なにかのついでみたいに、簡単そうに巨大なモンスターを消していたことに、俺は驚いていた。
「初めての戦闘だったもんね。じゃあ、ちょっとだけの間は歩きながら休憩ってことにしたげる」
そこからしばらく、朝焼けが青空になるくらいまでは、うららちゃんがモンスターを排除、いや消滅してくれた。完全に休ませてくれるつもりは無いらしく、指示されて最後の一体だけは毎回俺が仕留めた。
一体だけなら、オドリクサかシビレバナと一体だけとの戦闘なら、あまり怖いとは思わなくなってきていた。
「もしかして、うららちゃんてば、すごく強い……?」
「これでも武器の精霊だからね」
……精霊様にしてはずいぶん親しみやすいですよね。
太陽が昇り、完全に明るくなると、急にモンスターの出現回数が減る。更にうららちゃんの歩く速さが早まり、昼休憩と言われる頃にはもう、俺はへとへとだった。
「おひるごはん、食べられそう?」
「ムリ……」
「うーん、でも何も食べないのは良くないしなぁ……回復効果……」
ごそごそと、うららちゃんがバックを漁っていた。俺は敷き布の上で寝転ばせてもらっている。
日差しは領主の城でもここでも、廃城でも変わらない。地面は固いけれど、ぽかぽか気持ちよくて、まぶたがだんだん落ちてくる。
「ちょっとー。こんな場所で寝るとか、死ぬ気?」
揺さぶられて、目が覚めた。どうやらこんな場所だってのに、俺は寝てしまったらしい。モンスターに襲われなくてよかった。
「悪い。寝てた」
「五分か十分くらいだよ。……でも寝て、ちょっとは楽になった?お昼、食べちゃってよね」
「あ、うん。ありがとう」
「どうせ寝るなら食べてからにしてくれたらいいのに」
……今の言い方は乳母の次にいなくなった侍従っぽい言い方だったな。
昼食のあと、そんなに疲れてるなら、いっそのこと、また横になってしまえと言われた。
ありがたく、甘えさせてもらうことにする。なにしろ今朝は早かったし、こんなに早足で長距離を歩くことははじめてだったし、モンスターと戦ったのも生まれて初めてだ。
イスメールやパルヴィーンも、こうしてたくさん歩かされて、ウィックトンに向かったのだろうか?ウィックトン辺りのモンスターはこのあたりより強いと聞いた。俺のように、疲れきって街道沿いで昼寝をしたのだろうか。
また起こされて、今度は体がすっきりと軽くなっていた。昼寝、すごい。
「はい、こっからまた、レオリールが戦闘をがんばってね。経験値稼ぎたいし、死にそうになるまでアタシは見てるから」
「死にそうになるまで、て」
午前中、自分があんなにてこずったモンスターとの戦闘を、うららちゃんは枯れ草を払うみたいに簡単にこなしていた。
俺ははなんだか情けなかった。
このままじゃダメだ。
敷き布を畳むのを手伝う。うららちゃんのバッグの収容量には違和感しか感じないけど、そこはなんだか考えたらいけないような気がして、見なかったことにした。
俺も少しは強くならないと。うららちゃんに頼りきりじゃなく、自分で戦えるようになってみたい。
そして、イスメールとパルヴィーンをびっくりさせてやるんだ。
「死にたくはないから、がんばってみるよ」
「うん。応援してる!」
……本当に応援しかしてくれないとか、普通は思わないだろ。
いや、本当にやばいときは助けてくれた。それは認める。でも、午後になったら、カピバラに戻っちゃうとか、戦う気皆無だったろ……?
陽が傾き、だんだん薄暗くなってくるとモンスターの出現率がまた高くなった。
へろへろになりながら、がむしゃらにナイフを振り回し、俺はやっと見えたヒティーシの門に逃げ込んだ。
「レオリール様!?」
助かった、と思う背中でパシャァン、パシャァンとモンスターが消える音が連続で聞こえる。きっとうららちゃんだ。
俺に駆け寄ってきてくれたのは、イスメール。パルヴィーンもいてくれた。
兄のようなイスメールに抱きしめてもらい、やっと安全な場所に来られたんだとほっとした。
「こんなにお怪我を……!?パルヴィーン、急いで手当をしましょう」
頬が緩んだ。イスメールだ。これがイスメールだ。優しい優しいイスメールだ。
「レオリール様、頑張られましたね」
凛々しくうなずき、パルヴィーンが褒めてくれた。でも、そのあとぼそっと呟いたのもはっきり聞こえてきた。
「でも、もう少し鍛えてさしあげるべきだった。ヒティーシに来るだけというのに、ここまでぼろぼろになってしまうだなんて、おいたわしい」
弱くて、悪かったな。
治癒の魔法をかけてもらい、どこかの部屋に案内してもらって寝かされる。腹が減ったし、痛いところは無くなったけどへろへろのままだし、とにかく少し固めのベッドは休憩するのには心地がいい。
そこで、やっと気がついた。
「うららちゃんはどこだ?」
「うららちゃん、ですか?」
不思議そうに聞き返されてしまった。
てっきり知り合いなのかと思っていたけど、違ったのか?
俺が村に入った直後、モンスターが消える音がした。なら、今、うららちゃんは人の姿になってるはずだろう。
パルヴィーンとイスメールが顔を見合せている。
「えっと、白い服を着た女の子と一緒だったんだけど」
「『あの方』のことだろうか?」
「そういえば、さきほど広場にいらしてましたね。クラリッサと話をしてました」
「うららちゃん、お前たちには名乗って無かったのか?」
「ええ、聞くのは失礼かと思ってしまいまして」
「不便ではなかったのか?」
「まぁ、少々……」
うららちゃんが、名前を教えたくらいで気を悪くするタイプには思えない。教えてしまうことになってしまったけど、教えてよかったのか、後で聞いたほうがいいだろう。
部屋の戸がノックされ、一人の女が顔を見せた。
パルヴィーンが侍女らしく、さっと部屋を横切り、そちらに向かう。
「ショクアか。どうした?」
「夕食のご用意が出来たので、皆さまをお連れするように、とあのお方がおっしゃったので呼びに参りました」
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