第11話 森の向こうへ
鍋に水を入れた。
食料となる『ダー』の粉が入った大袋をひとつ、台に用意しておく。
かまどの中に枯れ葉や枯れ草を敷く。
空気の通り道に注意しながら乾いた木、それから小枝や太く切られた木を積み上げる。
種火壺から種火を取り出し、火をつけた。
枯れ葉はさっさと消えてしまうものなので、小枝といえどなかなか火は燃え移ってくれない。面倒になったイスメールはほんの少しだけ魔法を足そうとして、失敗した。
「お貴族さま方ってのはそんなこともできねえのかよ」
イスメールが完全に燃え尽きてしまった木切れに呆然としていると、土間の入口から、馬鹿にしたような声がかけられた。
男達がやってきて、ひとりがぐいとイスメールを押しのける。ぽんぽんと彼は薪をかまどに投げ入れ、手際良く火をつけてくれた。
「こんなもんだろ」
「……ありがとう」
「ああ」
最後にかまどの上に大きな鍋を置いて、彼はイスメールに火の前を譲った。
乾燥した薪は、崩れかけた家から剥いで来たもので、太く切られた木は昨日切り出されたばかりのものだ。自分たちがどの程度ウィックトンに滞在するかは予想がつかない。倒壊しかけた建物には限りがあり、乾燥した材木は大量に得られるものではない。まだ乾燥していない、斬り倒されたばかりの木は、じゅうじゅうと汁のようなものを出しながら燃えている。
領都にいたころのイスメールであれば煮炊きなどしたことがない。何度か覗いたことのある炊事場では魔力で加熱する道具が使われていた。魔法を使わない火がゆらめく様子は不思議で美しく、恐ろしいものに見えた。
「ひどい煙だな」
「かまどが残ってなかったら、俺たちは灰だらけの食事をさせられるところでした」
もう一人の男が会話に入ってくる。この男ならイスメールも知っていた。プロスペリと一緒に仕事をしたことはなかったが、すれ違いざまに挨拶程度は交わしたことがあった。領主の城の気真面目な事務官で、融通が利かなすぎて使えない、と水華会に属していた一人が評していたのを覚えている。
「ヤニックだ」
「プロスペリです」
「イスメールと申します」
誰かが見つけてきた大なべには、井戸から汲んで来た水が張ってある。湯が沸くまで彼らはここにいるつもりなのだろうか、そうであればこのまま手伝って貰いたい、とイスメールは横眼でちらりと二人を見た。
「……イスメール様は、その」
プロスペリはずいぶんと気が弱そうな人物に見える。城の中で何回か見かけたときも、彼は今と同じようにうつむき加減でいた。
これが職務中はどんな脅しにも誘惑にも屈せず、生真面目な頑固者と評された人物だというのだから、興味深い。
きっと、帳簿の不正にどうしてもうなづかないのであちこちから煙たがられ、結果いい加減な理由を水華会に捏造されてここに送られたのだろう。今回ウィックトンに向かわされた者の中にはイスメールが知る限り、とても不正や犯罪に手を染めそうにないものが複数いる。
ぱちぱちと、かまどの中で木がはぜる。まだまだ煙たいが、先ほどよりはだいぶましになってきた。湯はまだ沸きそうにない。
いまだに呼び方さえ教えられていない、白い衣装を着た不思議な少女のおかげで、今のところこの土地ではモンスターの心配が要らなくなっている。それに伴い、集団で寝泊りしていたこの宿屋から他の建物へと寝床を移すものが出てきている。疲れを取ることも必要だろうとイスメールはそれを黙認している。
この元宿屋らしい建物には、パルヴィーンと他の女性、あとは生き残りの半数ほどと滞在していた。幸いこの建物には立派な炊事場、湯さえ張ることができればまだ使えそうな入浴施設、そしてなにより鍵のかけられる個室がある。
なかなか話しださないプロスペリを、ヤニックはじっと見守っている。この男は短気そうな見た目だが、どうしてなかなか気は長いほうらしい。気真面目で気弱そうなプロスペリと、明らかに粗野な空気をまとうヤニックの組み合わせをイスメールは少々疑問に思ったが、たくましい腕に目をやって、ああ、だから魔法を持たず、武器も扱えないプロスペリはここまで生き延びられたのか、などと考えていた。
「イスメール様は、あの女性騎士様と気安くお話できる関係でらっしゃるのですよね……?」
「ええ、まあ。そうですね。ずっと一緒に働いていますから、多少は砕けた会話などもします」
プロスペリと、ヤニック。この二人は、イスメールの同僚であるパルヴィーンと同じくらいの年頃に見える。『女性騎士』などこの集団にはパルヴィーンしかいない。
パルヴィーンは乙女と称するのにふさわしい外見を持つ女性だ。剣を振ることを好み、今は騎士の様に振舞っているが、彼女はグエンドリンに預けられている貴族令嬢のうちのひとりだ。そこからレオリールを主と慕うようになり、ついには侍女を務めるようになった。
確か、まだ婚約者などはいなかったはずだ。
「ああ、そうじゃない」
イスメールが何を考えているのかに気付いたらしいヤニックが少し笑いながら、ゆっくりと首を横に振った。半歩イスメールに近寄ると、声を落として険しい表情になって続ける。
「あんたならわかってるだろうが、この集団にゃ、こいつや、あんたたちみたいな、清廉潔白なお方ばっかりじゃないって話をしに来たんだ」
イスメールとパルヴィーンは管理官としてここにいる。
「確かにあの騎士様はいい女だが、そんなお楽しみに興じてられるような状況じゃないってことは、おれたちだってわかってる」
ヤニックはそこで肩をすくめた。
プロスペリが小さな声で続ける。
「書類上はイスメール様とパルヴィーン様以外の全員が犯罪者ということになっておりますが、今、ウィックトンにいる者のうち、半数が本当の犯罪者なのです」
イスメールが受け取った書類と持っている情報では、確かに誰が『本物の犯罪者』かまではわからない。しかしプロスペリには誰が『本物の犯罪者』で誰が『厄介ばらい』なのかがわかっているらしかった。
「半数ですか」
一度、大きく辺りを見回したヤニックが更に声をひそめた。
「バティストってやつがわかるか?」
「バティスト……ええ。恰幅のよい、モンスター退治ではだいぶ活躍されている」
「そう、そいつだ。そいつが一番ヤバい。バティストは下町じゃちょっと有名な荒くれ者でな。原因のわからない死体が出てくりゃ、大体そいつのせいだって言っても間違いないくらいだ。それでいて、今までずっと尻尾を掴ませずに逃げおおせてきたような頭があるから性質が悪い」
「その方がどうも馬鹿なことをたくらんでいるらしいのです」
イスメールが知っているバティストは、比較的物腰が柔らかで感じの良い青年だ。腕っぷしがやたらと強く、イスメールの出す指示には素直に従い、必要であれば対モンスター戦について意見や提案をしてくれる。ここに送られた罪状は、窃盗。あまりの戦闘力の高さにおののき、書類を見て安心した記憶があったのでイスメールははっきりと覚えていた。
教育さえ施されていれば上等な傭兵か、兵士として雇われていてもおかしくないという印象があった。
「馬鹿なこと、ですか」
「俺たち四十七人の中に、管理者は二人しかいねえ。そして女は三人だけだ。あの白い服のお方のおかげでここはゴル並みには安全になったが、どうせ領都からは当分、人なんてやってこない」
ふつふつと、鍋の底に小さな気泡ができている。言いながらヤニックは薪を追加した。金属の棒で少しかまどの中をつつき、アイツにはだいぶ煮え湯を飲まされたからな、と呟いた。
「昨日までは俺たち全員が生きることで必死だった。だからアイツだって従順だったし大人しくしていやがった。けど、こうして安全になっただろう?……誰が、どの建物に居ついてるか、誰と誰がつるんでるか、誰が信用できるか、誰が信用ならねぇのを考えとかねぇと、女どもとあんたは真っ先に狙われるぞ」
パチパチと木が燃えている。追加された薪からは、やはり乾いていないためにブスブスと汁が泡立つように出てきている。
「俺も、下町じゃ詐欺まがいの事をしてたクチだからよ。清廉潔白なお貴族様に信用してもらえるとは思っちゃいねぇ。それでも用心しろって言葉くらいは聞いてくれるよな?」
ヤニックはどうだかまだわからないが、城にいた時の評価を踏まえれば、プロスペリの言葉なら信用しても問題がなさそうだ、とイスメールは考えた。
「ええ。聞く耳は持っているつもりですよ」
「ありがとうな。……女どもは常に一緒に行動させた方がいいぞ。あんたもなるべく一人で行動しない方がいい」
プロスペリがダーの袋の口を破り、さらさらとした粉を鍋に入れる。
「イスメール様。ヤニックは確かに犯罪者ですが、信頼できる男です」
イスメールは混ぜ棒で湯と粉がしっかりと混ざるようにかき混ぜた。ダーはそのうちどろどろになり、粥状になっていく。
「ヤニックと私は古い知人でして。実は何度か、彼の罪を誤魔化した事があるんですよ」
プロスペリはそう言って、笑う。生真面目な彼がそんなことをしたのは、役人として下町に赴くとき、何度も命を助けられたからだと教えてくれ、ヤニックは命がどうこうと言うほど大したことは何もしていない、と目を泳がせた。
大鍋は重くてとても運べそうにないので、ほどほどの大きさの鍋に分け、三人で手分けして食堂にしている場所まで運ぶことにした。
「は?警戒?」
ダーの入った器を受け取り、小さい声で話しかけられたパルヴィーンは大きく目を見開いた。ヤニックとプロスペリ、その他の者とは少し離れて座り、イスメールはパルヴィーンに早速その話をした。
「ええ。忠告されたのです」
食堂、と言ってもがたついたテーブルに、椅子が並んだ部屋だ。本来は食堂ではなかったのだろうが、この部屋が一番衛生的に食事がとれそうだとイスメールは判断して、ここを使うことにした。
「警戒だなんてそんなの、ゴルを出たときからとっくにしてるよ……でも、バティストね、紳士ぶってるから油断するところだった」
ふうふうとダーを冷ましながら口に運ぶパルヴィーンの向こうには、疲れた顔の女性が二人いて、パルヴィーンに言われて初めて、イスメールはこの三人がいつも一緒に行動していたような気がしてきた。とっくにパルヴィーンのほうではそういう配慮ができていたらしい。
「女の子ふたりとも、イスメールは枯れてるから安心できるけど、他の男どもは怖いから、夜寝るのも大変みたいだよ」
ならばパルヴィーンはどうなのだ、あなたも女性でしょう、とイスメールは目をすがめたが、乙女の顔をしたこの侍女は相当たくましかったのだと思い出して息を吐いた。恐らく、並の……いや、かなりの手練れであっても寝込みを襲えば返り討ちに合う事は間違いない。
「枯れてはいませんが、レオリール様の名にかけて、あなたたちの安全に配慮すると誓いましょう」
イスメールは少し声を張って、女性たちにそう告げた。幸い、今食堂にいるのは領主の城で共に働いたことのある、イスメールから見て信頼できる者たちばかりだった。
「信頼をいただけるかはわかりませんが、私も協力させてください」
次いで、離れた席にいたプロスペリがそう言って、微笑む。
「これでも堅物、生真面目と評価されてきましたからね。妻以外に手は出しません」
「俺も枯れちゃいねぇし、こんな見た目じゃ信頼してもらえるとは思っちゃいないが、どうか頼ってくれな」
ヤニックがにへ、と笑い、女性たちがほんの少しほっとしたような顔をした、その時のことだ。遠くから不思議な音がした。
ったーぁん!という音が連続で鳴った。そのあとばりばり、ミシミシ、と短く鳴り、最後にどおん!と雷めいた響きがする。
「……なんだ?」
さ、とガラスのない窓の陰に移動したパルヴィーンが外を窺う。
全員が体を低くし、そろそろと一ヶ所に集まった。
「モンスターでしょうか?」
イスメールの知識にそういう轟音を立てるモンスターなどはいない。窓の外では、話題のバティストが柵の手前から森の方を警戒しているのが見えた。
「いや、違うでしょう……だが、わからない」
軍に在籍していて、水華会の尻拭いを何回かさせられ、そのあとお払い箱にされたのだという経歴の男が眉を潜めていた。
しばらく異音は続いたが、そのあとモンスターの襲撃などは一切なく、それでも皆が警戒の糸を張りながら時間が過ぎて夜が来る。
ふわり、と森のほうから純白の衣装をひらめかせた少女が現れたとき、やっと全員が安心の息を吐いたのだった。
「たんたん、みしみし、だーん?」
今日も魔力の籠った薄い布で顔を隠したままの少女は首をかしげた。
「東ウィックトンに人でもいるのかな?」
森で木を何本か切って来た、と言われて早速バティストを筆頭に数人が薪や柵にするため取りにむかっていた。その様子はやはり、献身的な働きものにしか見えない。
「じゃ、ちょっと、見てくるよ」
少女がふわりと衣装を揺らす。
「イスメールも来てくれる?いちお、ここのリーダーなんでしょ?」
しかし、とイスメールは言いかけて、パルヴィーンがうなづいたのを確認する。パルヴィーンがそう言うのであれば、行っても構わないだろう。
モンスターよりも人が怖いとは、ここも領都も変わらない。
森を歩く間は無言だった。時折現れるモンスターは、驚きの素早さで少女が切り消してしまう。三十分かそこら、きっと一時間も経たない距離の先、不意に開けたそこには人が点けた灯りがあった。
「……クラリッサ?」
まるで、自分たちを待っていたような女性と、その護衛らしき男たちが森の向こうに立っていた。
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