第7話祠と祈りの間

 うららちゃんは俺の少し前を飛んでいる。たまに羽を動かしているが、浮いたまま空中を滑っている。やっぱり、鳥とはなにかが違うんだな、とぼんやり思う。


「レオリールを助けてから、敷地のすぐ近くを不審者がけっこうな数、見かけるようになったの。

 今はアタシがいるから入って来られないけど、夜は向こうに行っちゃう分、ちょっとどうなるかわかんないからね。本館と宰想館さいそうかん以外は出歩かないほうがいいと思うよ」


 知らなかった。俺たちが普段使ってるあの建物には宰想館さいそうかんという名前があったのか。


 ……けど、当然か。


 俺は歩きながら、後ろをちらりと振り返る。本館の他に建物はひとつふたつの数じゃない。

 聞けば、うららちゃんが知っている限り、一番多いときには厩舎だけで十六棟あったという。大きい建物の中で区分けするよりも、ぽこぽこ建物を建てしまう時代があったそうだ。


「敷地内全部の建物の名前を覚えてるの?」

「覚えられるわけないじゃん。いくつかの建物は入口にちっちゃく名前が書いてあるから、使うとこだけ覚えることにしてる」

「……だよな」


 城の敷地、本館から離れていくほど、足元は雑草どころか雑木林のようになってしまっている。ここまで来ると、遠くには完全に崩れてしまっている建物も見えた。

 厩舎十六棟の意味がなんとなくわかりかけてきたころ、うららちゃんがはずんだ声をあげた。


「あ、このへんだよ」


 何の変哲もない、ちょっと開けた場所にそれはあった。


 石畳の隙間から雑草が生えているような場所にひとつ、

 雑草のなかに石畳の残骸が残っているような中にあったのがひとつ、

 完全に草原化してしまっている中にひとつ、

 俺の指の太さほどの木立の中にひとつ。


 それらは最初、ただの金属の塊に見えた。


「この四つの祠、あとお城の地下にある祈りの間を毎朝巡って、祈りを捧げてほしいの」


 完全に敷地の端にあるわけではないものの、四つの祠、とやらの距離は相当離れている。こことあと一か所あるのなら、確かに午前中のほとんどがつぶれるだろう。


「祈るって言われても、やり方がわからないんだけど」

「やり方なんてないもん。……んー、じゃあ、大事な大事な部下の安全でも祈ったら?」


 言い方!


 金属の塊……祠と言われたそれは、石のようにも見えなくもない。

 これは何かの残骸だ。はっきり言って小さい。小さな、崩れかけた、黒っぽいつやつやした何かで、大きさは三十センチくらいだろうか。

 触れるとなんだか冷たいような、温かいような不思議な感触だった。


 俺はそれに向かって、イスメールとパルヴィーンに無事に会えますように、と祈っておく。

 直せと言われても、あとこれをどうしたら直せるのかわからない。試しにかけらを持ち上げようとしたら、とても重たい。俺だけではどうしようもなさそうだった。


「はい、次いくよ」

「え、直すんじゃ」

「ちゃんと祈ってたら、勝手に直ってくからいいの」


 そうやって祠をめぐる。三番目の祠ではちょっと……いや、かなり雑草が邪魔だった。草を刈ったほうが良さそうだ。自分の剣もナイフも部屋に置いてきたことを後悔した。


 そして、四番目。細い木が茂っていて、どう頑張っても手が届きそうにない。


「祈りを捧げるときに、こういうのの刈り込みもしといてね」

「そうだな、その必要性を感じる」


 部屋に戻って……いや、何か専用の道具があるんだったかな?庭師はどんな道具を使っていただろうか?


 そんなことを俺が考えている間に、どこから取り出したのか。

 鮮やかな珊瑚色に白色の蔦が絡まった、見事な拵えの鞘に納められた短剣が地面に置いてあった。

 うららちゃんが鼻面でそれをトン、とする。


「これ、貸したげる。とりあえず、その木を払っちゃってよ」

「……ありがとう」


 剣を抜かなくてもわかる。これは非常に良い剣だ。

    

 ありがたく借りようとして、手を伸ばす。………でも、俺はその剣に触れることができなかった。


「あれ?」

「……うそ」


 カピバラと目を合わせてから、俺はもう一回手を伸ばす。


「あれ?え?なんでだ?」


 どうしても、さわれない。いや、指はれられているのに、なぜか持てない。空気の壁があって邪魔されている気分だ。


「……もしかして、コストが足りない?」


 ぼそっとうららちゃんが不思議な言葉を呟いた。


「こすと?」

「だから、ベオリールちゃんを使ってたの……?」


 呆然としたみたいな感じで、うららちゃんがじっと俺を見上げてきてた。

 なんだか、もぞもぞする。ベオリールは確かに初心者向けの剣だけど、そんなに悪い品物じゃないと言い返したい。


「うっそ……まさか、ここからだなんて」


 風が吹いて、さやさやと木の葉が揺れる。

 動物そのものの動きで、うららちゃんがぶるるっと体をふるわせた。


「ここは後回しにしよう!先に、祈りの間に行くよっ!!」


 いきなり、ふわっと羽を動かしたうららちゃんが飛んで行ってしまったから、俺はあわててついていくしかない。


 どんどんとうららちゃんは飛んで行って城の本館、そんなところに?と言いたくなる物陰の通路にひょいっと入っていった。俺は小走りで追いかける。


 通り抜けた通路の入口は階段と置物の陰になっていた。でもそれだけで、鍵どころか扉さえ無い。設計者に隠すつもりがあったのかなかったのか。よくわからない。


「祈りの間では最低でも朝と夜、あと手が空いてたらいつでも祈っておいて」


 アテル王国と呼ばれてい時代のものだろう。

 王様たちの肖像画がずらりとかけられた長い廊下はゆったりしたくだり坂で、たまに曲がり角がある。ずいぶん深い。


「ここは初めて入った」

「封印してたからね」


 面白いのは、並んだ肖像画のどれにもどこかにカピバラが描かれていることだ。

 そういえば、昔は王都だったクロウェルドでは、カピバラが聖なる動物扱いなんだったっけか。こうして見ると、アテル王国があった時代の名残なんだろうな……なんて思っているうち、ずらりと並んだ絵の雰囲気がいつの間にか変わっていたことに気がついた。

 絵のタッチが違う、というか。途中から何かが変わったけど、うららちゃんの移動が早いせいでじっくり鑑賞していられない。


 よくわからないまま、坂道の終点に着く。やはりここにも扉はない。


 だだっ広くて白い部屋だった。


 泉がある。


 白っぽい石でできた、作り物の花の植え込みが中央にある。

 植え込みの中心が泉の水の出元で、泉の周囲は純白の砂だ。

 砂の部分は異様に広い。

 そして、隅に三段ばかりの何かの台。


 天井は高く、飾り彫りは森を表しているようだ。天井のあちこちに照明が埋め込まれていて、星空のようにきらめいている。

 部屋を照らす光源は部屋の中央、こんこんと湧いている水のほうだ。ほんとうは水底が光っているのかもしれないけど、俺には水が光っているのだと思えた。


 水は壁の四方にある水路からどこかへ流れ出している。


「この部屋が一番霊力を吸い上げるから、一番効率がいいと思うんだよね」


 虚ろな部屋特有の声の響きがした。


「祈ってみてよ」


 言われて俺は、砂に膝をつき、目を閉じて祈ってみる。祈ることは今回も同じだ。


 ……イスメールとパルヴィーンが無事でいますように。


「!?」


 何だ?と思った直後、砂についていた膝から頭のほうに向かって、何かが通り抜けたような感覚がぶわりと体の中を通り抜けた。

 熱いような気もしたし、冷たかったような気もする。

 不快じゃない。心地良いかと聞かれてうなずけるものじゃないけど、嫌なものでもなかった。


 一瞬だけ自分が大きく膨れ上がったような感覚、と表現したらいいのか?

 それは本当に短い時間のことで、すぐに違和感は消えてしまった。


 ……いや、なんだか体が軽くなった?


「この部屋ね、王様と王位継承権の数字が小さい人、あとその奥さん旦那さんしか入れない特別な部屋なんだよ」


 今あったことに首を傾げている俺の横で、ちゃぷりと音がした。うららちゃんが水の中に入っていく。

 

 ちょろちょろ水の湧く音と、うららちゃんが水中を移動するせいでするちゃぷちゃぷという波音。

 高い天井、石の壁。


「お付きの人はね、あの入り口近くで絶対はじかれるの」


 王位継承権……なんてものが俺にもあるということだろうか。いや、俺にもアテル王家の血が流れていたんだった。


「王位継承権てね、遺伝じゃないんだよ」


 へえ、そうだったのか。

 領主はだいたい、親子で引き継がれてる。だから国王ってやつもそうなのかと思ってた。


 うららちゃんはちゃぷちゃぷと水中をけっこう深そうなところまで進む。カピバラってやつは水があったらつい、入っていってしまう生き物なんだろうか?

 

 クロウェルドの水路周りにはけっこうな数の野生のカピバラがいた。じっくり観察したことはないけど、俺の中ではカピバラには水路の近くでひなたぼっこしているイメージのほうが強い。


「王様は、アテルの精霊であるアタシが選ぶものなの」


 けっこうな深さまでたどり着いた羽を生やしたカピバラはたぷん、と水中に潜った。


 カピバラの形が溶けて、少女の姿になる。

 前にも見たことがある、ひらひらとした変わった形の衣装を身に付けた、小柄な少女だ。ふわふわした髪の毛をしていて、顔立ちは比較的、整っているほうだと言えなくもない。


 きゅるん、とした目が印象的だ。


「アテル王国が滅んだのはなんとなくわかったけど、アタシは納得いかない。

 レオリール、あなた、王位継承権一位の資格があるんだから、アタシがアテル王国を取り返すの、協力してよね」

「は!?」


 無理だろ。


 おれの反応は無視して、人間の姿になったうららちゃんはさっさと水から上がり、砂に座り込んだ。指で何かを書き始めている。

 覗いてみると、それは俺を含む七つばかりの名前だった。知っている者の名前もあった。イスメール、データス、ハリエット。


「これは……?」

「王位継承権の表。ホントは王格って言うんだけど、王様にしてもいいよランキング」



 ……イスメールはともかく、データスとハリエットに玉座なんてさせられるか。


 手を止めて、何かを悩んでる感じの女の子がうららちゃんだとすんなり受け入れられるのは、目の前で変身されたからだろう。

 

 そういえばこの砂、足跡がつかないな。そういった魔法をかけてあるんだろうか。


「イスメールは俺の血族じゃないぞ」

「だから、遺伝じゃないんだって」


 うららちゃんは優雅な仕草で立ち上がった。さっきまでしっかり濡れていたはずの神秘的な衣装はさらりと乾いている。これも、魔法なのか?


「たぶん今のお祈りでレベルもあがっただろうし、経験値稼ぎやすそうな武器をさがしてみよっか」


 人の形を取ったうららちゃんはなんだか、カピバラの時とは違って偉そうな雰囲気で、声をかけにくい。

 話す声も表情も、姿形もまるっきり人間なのに、どこかが俺とは違って見える。


 ……精霊。

 あ、この人は精霊なんだ。長い時を生き、不思議な力を操る高位の存在。


 翻る衣装の裾。動きに合わせて揺れる髪。

 姿勢のよい背中を追って、ここまで来た道を戻り、今度は城内の迷路じみた通路を歩く。このへんはまだ掃除してないあたりだけど、綺麗に人の手が入っているようだった。

 俺じゃないなら、この精霊がしたんだろう。


 武器庫はかなり広く作られていた。ぎっしりとではないがそこそこにあれこれと武器や防具が保管されている。


「んー、とりあえずは基本で剣……忍耐強くて素直なこ……経験値増加の効果あり……えっと防具は今は考えなくていいんだから……」


 そしてこの部屋も、床が水浸しだ。湿気は大丈夫なのか?

 幸い、俺が閉じ込められていた部屋ほど寒くはないし、この部屋もほこりが積もったりはしていない。


「キュスス。このこなんてどうかな?素直でいいこだよ」


 ぶつぶつと何か言いながら、しばらくあっちこっちの棚をうろうろしていた精霊のうららちゃんが俺に差し出してきたのは、ベオリールよりも少し大きく、重い剣だった。

 剣の銘はキュススと言うらしい。


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