第8話フランツ商会の『クラリッサ』

 旅商人を職業として選ぶ者は、今の時代そんなに多くない。


 今、ヨヌイールチ国の南側、昔はアテル国と呼ばれていた辺りの地域で、モンスターに怯えずに暮らしていけるのは各領都とその周辺、あとは神殿の近くだろうか。

 ただ、そういった地域は人がごった返している。土地は狭く、人同士の問題が多く、治安もあまりよいものとは言えない。ヨヌイールチ本国へ移住する者もいるらしい。


 クラリッサが南側を中心に旅商人などという仕事をしているのは、儲かるからだ。


 先祖が『巫女さま』から賜ったという、無限に塩を生む壺と、モンスター除けの御守りは、代々フランツ家に伝わる宝物だ。

 これらがあるから、フランツ商会は旅商人などというものを続けている。


「ようこそいらっしゃいました、クラリッサ様」


 ほとんど正午の時間、東ウィックトンに到着した馬車は七台。馬車から降りたフランツ商会本店の重役に、半年前からこの村の支店長をしている男は丁寧に頭を下げた。


「久しぶり、ジャコモ。元気そうで何より」


 数ヶ月に一度のこの光景を、東ウィックトンの住人は興味津々で見ている。街道の行き来が難しくなった今、いつものフランツ商会だとわかっていても、やはり彼らにとっては外からの馬車や来客がどうしても珍しいのだ。


「ありがとうございます。クラリッサ様もお元気そうで何よりです。お召しになっているのは今度流行の仕立ての服ですか?」

「そう!とっても気に入ってるんだ、これ」


 クラリッサはその場でくるりと回って見せた。ウィックトンでよく着られているものよりも、はるかに洗練された印象に見える服だ、とジャコモはうなずく。


「通信で絵姿は見ていましたが、やはり現物を目にすると印象が違いますね」

「でしょ!型紙も、出来合いの服も持って来てるよ。型紙だけならかなり安い値段とお客様にも思って貰えるんじゃないかな?」


 そんなことをにこやかに語らいながら、支店長ジャコモと本店所属のクラリッサは店に入っていく。


 フランツ商会の馬車がやって来た翌日は商品が入荷されるだけではない。少々古くなった商品は安売りされるし、流行の品物が追加され、そしてついでに店員の顔ぶれが一部入れ替わる。明日は、特売日だ。


 店内では、これから買い取りで込み合うことを予想した店員が忙しく動いている。窓の外に、一部の住人が急いで歩いている姿が見えた。きっと、今日のうちに明日買い物をするための資金を作ろうとしているのだろう。

 

 若い女性たちが集まって何か話し合っているのは、きっとこの最新の服のことに違いない、とクラリッサはどこの支店でも売り上げに貢献してくれているスカートの裾を軽く揺らし、微笑んだ。

 それからクラリッサとジャコモは店舗の奥、支店長室に向かう。


「ええと、まず、今回の異動は、二人でしたね?」

「うん、そう。一人は本店で三ヶ月、もう一人は領都に八ヶ月勤めていたから、仕事のほうは問題ないと思うよ。挨拶は閉店後にね」


 クラリッサに続いて、他にも馬車から数人が降りていた。

 彼らは誰かの指示を待つ訳でなく、もういつもの作業に取りかかっている。一部の者は店舗で、残りの者は倉庫に入って、在庫や書類の確認をしたり、商品の補充を行ったり、場合によっては接客の手伝いもしたりする。

 異動交代する職員たちのほうは、もともと通信で知らせがあったため、既に引き継ぎ作業を開始していた。


 クラリッサは支店長室の定められた配置の棚から、売り上げなどの資料を取りだし、確認していく。ここで定位置に書類が無かったり、逆に余計な場所に余計な何かしらがあれば、それも査定の対象になる。


 ジャコモは厳しい目をして帳簿をめくるクラリッサに断りを入れてから給湯室に向かい、コンロに魔法の火を灯し、飲み物の支度をした。今頃はきっと、クラリッサが連れてきた料理番が全員分の昼食を作ってくれているだろう。それも、いつもの事だった。


「レトナーク村はどうでしたか」

「うん。一応寄ったけど、やっぱり誰も居なかった。あんまり荒れた感じはしなかったから、早めに移住を決めたって感じなのかな」

「そうみたいですよ。……全く、モンスターに村が襲われるなど、祈りが足りていないからですよ」


 二人分の昼食が運び込まれると、監査途中の帳簿をいったん置き、クラリッサはジャコモに差し出された茶に口をつけた。


 昔は普通の農民にでも、村や町間の移動が可能だったらしい。今よりはるかにモンスターが少なかったのだろう。その頃には神殿への行き来があり、祈りをきちんと捧げる住人はもっと多かったに違いない。


「そうなんだろうけど。レトナークにはどの支店も遠いからね。移動する人が少ないから仕方ないよ。……それで、どう?ウィックトンにレトナーク村の人来てんでしょ?何人か、雇えないかな」

「何人か、希望者が来ていますよ」


 フランツ商会の人間は、朝晩の祈りを欠かさない。それが、旅の安全に直結すると経験で学んでいるからだ。


 しかしこの時代、かなり強力なモンスター避けのお守りを持っているクラリッサでさえ、馬車の周囲を警戒するため連れている護衛たちはかなりの人数になっていた。

 そんな護衛たちは今、馬車の移動、荷物の移動の手伝いに今夜の宿舎の支度や店舗の護衛をしている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る