第4話ウィックトン

 これは、ていの良い処刑代わりなのだと、水華会すいかかいの紋様がしっかり入った指示書を受け取ったときには理解できた。

 カーティス様が病に伏せて以来、レオリール様の立場はどんどん弱くなっている。「お前たちを失えば、もう味方は一人もいないな」と青ざめた顔で言った主人の言葉は胸に突き刺さった。


 崩れた噴水の残骸が見えている。


 昔は『渡り』のための宿場町として栄えていたらしいが、このウィックトンという町は、遺棄された場所だ。

 比較的状態の良い建物の中に、イスメールとパルヴィーンは他の者たちと共に身を隠していた。


 出発の朝、ゴルを出た頃は百人ほどがいた。愚かな集団は無謀にも、数日をかけ、こうしてきちんとウィックトンまでやってきている。ここのモンスターを壊滅し、人々が安心して暮らせる場所にして来い、というのが時の権力者たち、水華会に厭われたこの集団に与えられた命令だ。


 朝になれば、と誰かが言う。朝になればモンスターは落ち着くのだから。夜は身を隠していようと。


 ……そのあとは?

    

 ここは、長く人の居ない町だ。モンスターを除けるための柵は手入れされずに壊れている。昼間にもモンスターがうろついているような場所で、普通、人は暮らしていけない。


 ゴルには戻れない。城に戻らずとも、ゴルに戻ったと知られてしまえばそれはレオリールの罪と数えられてしまうだろう。イスメールとパルヴィーンだけでなく、他の者にも愚直に死地に向かうだけの理由があるのは簡単に想像がつく。


 交代で見張りをやろうと言い出したのはイスメールだ。この建物は宿屋だったらしく、幸いにも中庭にまだ使える井戸があり、部屋の中に布類が残されていた。


 レオリールが、自分たちのいなくなったあの城でうまくやっていけるとは思えないけれど、息子の側近を排除されたと知れば、さすがにあのグエンドリンも動いてくれるだろう。もう、ゴルを離れてしまった二人はそれに賭けるしかない。


「明るくなったら、人のいる村を探しましょう」


 イスメールがそう呟いたので、隣にいたパルヴィーンは小さくうなずいた。昔は、歩いて一日あれば、次の村に辿り着けたのが当たり前だったと聞いている。運が良ければ、どこかに着くかもしれない。


 ……そこが安全な場所で、人がいるかどうかまではわからないが。


 遠くにモンスターの鳴き声が聞こえる。風はあまり強くなく、空はよく晴れている。月が明るい。深夜にはまだ早いうだ。だから、夜が明けるまではまだまだかかる。


「……おい、身を隠しておけよ」


 立ちあがった者がいたので、パルヴィーンは低い声で注意した。その人間は驚いた顔で外を指さしていた。パルヴィーンもその人物が見ている方向を確認するため、そっと傾いたよろい戸の隙間から表を覗いてみる。


 白っぽい人影があった。


 こんな場所で靴音をたて、ゆったりと歩いているのだから、それはきっと恐ろしい存在にちがいない。


「ねぇ」


 白い人影から無垢な女の子の声が放たれた。


「ウィックトンで死にそうになってる人がいるって聞いたんだけど、ホントに誰か、いるーぅ?」


 それがあまりにのんきな口調にに聞こえたので、イスメールとパルヴィーンは顔を見合わせた。


「処刑人……か?」

「そんな手間をかける必要がありますか?」


 ここにいるのはゴルを出た者のうち、残った半数ほどだ。そして、戦闘に長けた者は自分たちを含めても十人に満たない。一日でこうなのだから、水華会も楽な手段を見つけたものだ。


「ねーーえっ!?いないのーー?」


 ひらひらと、白っぽい衣装は白い影の動きに合わせてたなびく。

 それは、小柄な少女に見えた。


 少女の声に反応したらしい、三体のモンスターが走ってきた。素早くて鋭い牙が厄介なモンスターだ。隙間から覗いていた者のうち、数人はそこからあわてて離れたし、数人は凝視した。


 振り返った仕草は優雅だった。


 遠目だし、薄いヴェールのようなものがかかっているから、顔のつくりはわからない。

 くせのある長い髪、ふっくらとした女性らしい丸みのある、それでいて細い手足。


 すらり、と少女は剣を抜いた。瞬間、鞘から蔓のようなものが伸びて、少女の腕に絡みつく。できた盾で、とびかかってきた一体を殴りつけるようにした。見事な踏み込みで、少女の姿勢が低くなる。


 パ……シャァァン……!


 それで、モンスターの一体は砕けて空気に溶けて、消えた。


 続いて少女は剣をぶん、と薙ぐ。流れるような動きに力強さはなく、舞いか何かを連想させられる。


 パ……シャァァン……!

 パ……シャァァン……!


 キラキラと、細かく砕けたモンスターの残骸が、光りながら空気に溶けていく。


 助けなのだろうか?

 ここまで助けを出してくれるような味方に、イスメールもパルヴィーンも心当たりはない。他の者たちの表情を窺うに、同じようなものなのだとわかる。


 ……あれは、誰なのだろう?全員が疑問を抱いていた。


「もうっ。レオリールがなんにもできないおぼっちゃんすぎるから、せっかく使用人を回収に来てあげたのに。疲れただけじゃんっ!」


 イスメールが目を見開き、パルヴィーンは口を覆った。少女は憤ったように、手のひらでばしばしと噴水の残骸をたたきながら、なぜだか剣を水に浸している。

 イスメールとパルヴィーンはたまらず、周囲の制止を振り切り、少女のもとに駆け寄った。


 少女の声に反応したのか、こちらの騒ぎに反応したのか。

 また、モンスターが現れてしまった。


 少女の顔のヴェールは魔法が掛けられていて、とても薄い布に見えるのに、近寄っても顔がわからないようになっていた。イスメールはその布が高度な魔法の道具で、声も認識できないようになっていると気がついた。

 だからハッとしてしまったが、パルヴィーンのほうは不思議な声の持ち主だ、程度にしか思わなかった。

 少女の声だとはわかるのだが、高く澄んだ声なのか、低く優しいのか、甘く落ち着いたものなのかさえ、一瞬後にはわからなくなってしまうのだ。


「ちょっと、なんでこんなにモンスターがいるのかな!?」


 タタッと軽快にステップを踏んで、少女は剣を閃かせる。まるで触れただけで、モンスターが消滅していくような戦い方だった。



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