第3話『ダー』という食べ物

「たぶん、そのへんの扉を開ければ、中の棚にタオルとか着替えとかあるから」


 扉を開いてできた隙間を、スルリとうららちゃんが入っていった。重さを感じさせない、なめらかに動く扉だなと思いながら俺もその生き物の後に続く。

 広い廊下だ。品のよい青緑色をした敷物がまず目に入った。織り模様がずいぶん見事で、王宮の本館に使われていないのが不思議なくらいだ。壁際にはとろりとした風合いの、空色をした花器が設置されていて、黄色い花が飾られていた。これも一目で高級な品だとわかる。


「ちょっと、この部屋で待っててね、お風呂の用意してくるから」


 うららちゃんに案内された部屋は客間だった。きちんと応接室と居間と寝室に別れているのだから、それなりに格の高い部屋なのだろう。レースのかけられた窓からは、先ほどの庭園が蔓性の植物の隙間から見えている。

 景色も、調度も感じの良い部屋だ。

 柔らかそうなソファーに座りたいが、衣類はだいぶ汚れてしまっている。少しだけ気が引けたのでやめておいた。


 さっきまでいた地下室は寒かった。早く着替えたいし、その前にまずは部屋を温めたいと思って俺は壁にある暖炉を見た。さすがにあのカピバラに火をつけることはできないだろう。


 暖炉に薪を置いてみる。


「……」


 そこで俺は困ってしまった。このあとどうしたら火は着いてくれるんだろう?いくら考えてもわからない。

 部屋を暖めることはいったんあきらめて、カピバラもどきに言われた場所からタオルと衣類を見つけて引っ張り出すことにした。着替えてしまえば暖かくなるだろう。


「とりあえず、隣の部屋にあったかいお茶用意し……うっそぉ!?」


 やっと着替えを終えたころ、入口がノックされ、うららちゃんが部屋に入ってきた。体のサイズの割には大きな声が出るのが不思議だ。

 カピバラは部屋を見回して、小さな体に見合った目を、こぼれそうなほど大きく見開いていた。


「もう、なんでもう着替えちゃったの?

 お風呂入ってからでいいじゃん!

 しかも、なんで、こんっっなちょっとの時間でおへやをぐっちゃぐちゃにしちゃったの!?」


 うららちゃんはふわっと羽を動かして、俺の顔の前まで飛んできた。カピバラなので表情は乏しいのだが、文句を言う口調だけでなく、なんとなく空気からも怒っていることがよく伝わってくる。


「……すまない。でも着替えを取れと言われたから」


 うららちゃんの剣幕がすごいので、何が悪かったのかよく分からないままだけど、とりあえず謝っておく。

 使用人でもないのに棚から着替えを出させられたのはこちらだし、暖炉の用意や風呂の支度を先に済ませておかないのが悪いと本当は思っている。


「もう」


 人間のように肩を落としたうららちゃんからはぁ、とため息が聞こえてきた。柔らかそうな羽がふわりと動いて、隣の部屋に飛んでいった。


 ……今の『もう』は乳母の言い方に似ていた。


「お風呂はこっち。まさか、ひとりで入れないとか言わないよね?」


 応接室にあたる部屋に、暖かな茶をカップに一杯と一口大の菓子ひとつが用意してあった。立ったままそれを喉に流し込んで、この部屋にはないという風呂場まで案内してもらう。


「そのくらいならできるよ」


 本当かな?とうららちゃんから疑っているような声が聞こえたけど、声の大きさから独り言だと判断して俺は答えなかった。入浴くらいなら、一人でもできるはずだ、たぶん。

 廊下を進み、突き当たりの扉を開いた部屋の右、さらにいくつかの部屋を通り抜けた奥に、その建物の浴場はあった。


「あんまり散らかさないでよね?洗いものはそこに置いといて。

 今のうちになにか、あったかい食べ物を準備しておくから、お風呂が済んだらさっきの部屋までもどってね。くれぐれも、この建物の中を変に歩き回らないように!」


 うららちゃんの言い方から、ずいぶん迫力を感じた。だから俺はできるだけ丁寧に、散らかさないように、可能な限り入浴前の状態を大きく変えないように注意した。

 花びらが練り込まれた良い香りのする石鹸で体を清め、黒く艶やかな石でできた、彫刻の素晴らしい浴槽に浸かって体を暖めさせてもらう。湯からは果物の香りがした。


 体をぬぐってくれる使用人がいなかったので、自分でタオルを使って水気をぬぐうしかない。新しく用意した、まだ折り目の綺麗な、洗い立ての衣類に袖を通す。疲れと空腹が酷くてめまいがしてきそうだ。


 先ほどの菓子はおいしかったし、気が利いていると感じていたけど、あれっぽっちでは到底足りない。カピバラが用意する料理とはどんなものなのだろう?今なら何でもおいしく食べられそうだ。


「腹が減った」


 つぶやきながら先ほど案内された客間のドアを引く。


 部屋が暖かい、とまず感じた。暖炉に火が入っている。深い艶美しいテーブルには湯気の立つ何かの料理と、入れたてらしい茶が用意してある。さっき衣類やタオルを取り出すとき、床に布類を撒いてしまった棚はきちんと戸が閉じられている。


 誰かが仕事をしたに違いない。


 窓から外を眺めていたらしいうららちゃんが振り返った。


「どうぞ、召し上がれ」

「ああ……ありがとう」


 俺はありがたく席に着く。


 見たことがない、おかゆに似た料理はそこそこおいしかった。見た目よりも食べ応えがあって、これならしっかり空腹が満たされそうだ。

 椅子の背もたれの上にバランスを取るようにして乗ったうららちゃんが、テーブルの向こうから、俺の食事する様子を微笑ましげに見ている。


「ふうん、食べるのはキレイにできるんだ?」


 ……違う、監視されていた。

 カピバラのくせに、うららちゃんはマナーに厳しかった侍従長のような目をしていた。怖い。


……晩餐会のときのマナーを心がけて、丁寧に食事をとることにしよう。


「この料理は初めて口にした」

「そうなの?じゃあ、いまはもう、『ダー』は人気なくなっちゃったんだね」

「『ダー』?」

「その料理。栄養満点なのは間違いないよ」

「そうなのか」

「あんなに部屋を散らかしてくれなかったら、もうちょいまともな何かを用意できたと思うんだけど」


 じっとりとした目付きになったうららちゃんに、また、すまないと一応言っておく。


 スプーンは銀製だ。コップを含めた全ての食器に、模様に隠された飾り石がついている。これは知っている。毒検分の食器だ。毒が混入されていると、変色して知らせてくれるのだ。

 俺が安心して料理を口にできているのは、しれっとうららちゃんがこういう物を使わせてくれるからだ。


 今日は大変だった、とダーに入っているナッツのようなものを噛みながら思う。


 頼りになる側近と引き離され、自分は出られるとはとても思えない場所に閉じ込められた。助けてくれたらしい得体のしれない生き物に説教をされて、今は監視されているような気がして仕方ない。


 それでもこうして、安全だと思える、暖かな場所にいられるのが嘘のようだ。


「イスメール……パルヴィーン……」


 二人のほうは、無事なのだろうか。


「誰?」


 顔を上げるとカピバラが首をかしげている。声に出てしまっていたのか、とはっとする。


「俺の側近だ。……ウィックトンに向かわされた。無事でいてほしいが……」


 きっと、二度と、会うことはもう叶わないだろう。せめて生きていて欲しいと願う。

 こうして一時的にでも庇護を得られた自分は幸運だった。


「ウィックトン?そんなに遠くないよね?何かあるの?」

「あそこは今、モンスターの巣だろう?」

「モンスターの巣???……なんか、もしかして、今って大変なことが起きてるカンジ?」


 ふわ、とカピバラが羽を動かした。とさり、と音を立てずに床に降り立つ。とったった、とったったと、円を描くように床を走りだした。


「んー、なんなんだろうなぁ……」


 ぽて、といきなりうららちゃんが床に転がった。カピバラだ。小さいが、これは確実にカピバラだ。サイズ的になぜモルモットと間違えないのか、自分でも不思議でたまらないが、間違いなくこれはカピバラだ。


 ひょい、と顔を持ち上げて、カピバラがこちらを向く。


「ねぇ、アテル王国って、どうなっちゃったの?」

「アテル王国?」


 ……俺の部下の話をしていたのでは?


 ほんの少し、いやかなり、自分のようにうららが部下のことも助けてくれるのではないかと期待してしまっていたことを自覚する。


 しかし……そうだ、そうだった。

 うららちゃんは精霊を名乗ってはいたが、してくれたのは扉を開けて、安全な場所を提供してくれたことだけだ。それだけでもかなりの恩恵で、それ以上は甘えすぎだろう。


 おそらく、うららちゃんはモンスターの亜種だとか、姿を戻せなくなってしまった低階級の魔法使いだとか、そういう存在なのだ。

 それなら、このカピバラもどきに助けを求めるのは間違っている。


「違う、ちがう。もう、ずいぶんまえにここはヨヌイールチ国になってるよ。旧王都の辺りだけアテル領っていう風に、名前だけが残ってるけど」

「……はぁ!!??」


 冗談のように、見事にうららちゃんが垂直に飛びあがった。だからなんとなく、もう少し驚かせてやろうと思う。俺は笑いながら、明らかに動揺しているうららちゃんに続けてみた。


「それがおじい様の前の代頃の話だったかな?

 今のアテル領主は俺のおじい様で、俺は直系の孫。親父はだいぶ前に死んでるから、俺がおじい様の後継者のはずなんだけど、ヨヌイールチ貴族の血が濃い従兄弟たちに、こうして殺されかけてる」

「……は?なにそれ」


 うららちゃんは呆然としたように、床に伏せの姿勢でへたりこんでいた。


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