Good-Bye World!

三ッ木 葵

第一章「ハロー・ワールド」

第1話「ワーカーズ・ブルース」

 荷馬車というのは、座り続けていると腰が痛くなる。御者台の上で手綱を握る男は、行商人は荷物と腰痛を背負うものだと誰かが言っていたのを思い出していた。当時は不摂生のせいだと馬鹿にしていたが、いざ自分が腰痛を抱えると、行商人という職業そのものが原因なのではないかと思うようになる。年がら年中荷馬車の上で過ごす行商人は、ふかふかのベッドで寝ることも叶わない。そんなものを乗せるより、商品を積んだ方がよっぽど良いのだ。自らの店でも持てればいいのだろうが、あいにくと男は商会にも同盟にも所属していない野良商人だ。夢のまた夢だと男は半ば諦めていた。

「ふぅ・・・・・」

 脇道に入ると、ようやく休憩かと言わんばかりに馬がいなないた。この愛馬も連れ添って長い年寄りだ。男は最近流行りのクルマとやらを買おうかと思案するが、大商人か貴族たちのような金持ちにしか手が出せない代物だ。クルマを買うお金があれば、店を出して定住した方がよっぽどマシというものである。

街道の脇道には、休憩所のようなスペースが整備されている。馬を荷馬車ごと置いておけるのだ。ここで食い物や飲み物を売る商人も多く、酒場に次ぐ行商人同士の交流の場となっている。荷馬車を止めようと進んでゆくと、何やら人だかりが出来ていた。何事かと男が荷馬車の上から覗くと、一台のクルマが停まっているのが見えた。珍しいものを見た、と男は思ったが、よくよく見ると、そのクルマは見たこともないような奇妙な出で立ちだった。まず、木材ではない。クルマというものは、木製の荷馬車に車輪を付け、それをエンジンとやらで回転させることで進む。男の目の前にあるクルマは、荷馬車とはかけ離れていた。周りにいる行商人たちは、このクルマの正体について議論を重ねていた。これは鋼鉄で出来ているのだろう。いやいやだとしたら重すぎて動かせない。ガラスで視界も確保できているし、雨の日なんてお構いなしやもしれんなぁ。ガラスなんてものは高いぞ、しかもここまで透明度が高い!持ち主はどこだ?ぜひ話を聞いてみたい。これを作れる職人がいるのか。設計図を売ってはくれまいか。

男は馬を括り付けると、辺りを見回した。しかし、どこにも持ち主らしき姿は見えない。休憩所は既にちょっとした騒ぎになっていた。男が諦めて厠へ向かうと、ちょうど厠から出てくる人影があった。うんざりとしたその表情が、男にはやけに印象的だった。




行商人のコウタローは群衆をかいくぐって、ようやく運転席へとたどり着いた。未だに奇異の目を向ける群衆に取り囲まれている。地図を広げ、街道を眼でなぞった。

「ポース領のカルサ通りにあるウィンストン商店か。おいワイルド、助手席にいるんだから助手らしくナビゲートしてくれ」

地図を投げて寄越したコウタローに対して、助手席に寝そべるワイルドは面倒くさそうに唸った。

「コウタロー、適材適所という言葉を知っているか」

「何が言いたい」

「犬に頼むな」

コウタローは、うんざりとした表情で助手席を見る。ワイルド・ホースと名乗るその狼は、普段は口数が少ない癖に、文句を言うときだけはやたら饒舌になるのだ。

「いいか、そもそも犬というのは基本的に視力が悪い。そもそもが聴覚と嗅覚メインの犬に地図を見るなんて視力頼りなことは生物学的に―――」

「へーへー、分かりましたよ先生」

こうなったら、相手をするだけ話が長くなる。コウタローは話を遮るように、差し込んだキーを回す。コウタローが威嚇するようにクラクションを鳴らと、流石に驚いたのか商人たちが後ずさった。轢いてしまわないよう、ゆっくりとアクセルを踏む。比較的舗装された街道に沿って、一人と一匹を乗せた車は走っていった。




道半ばに差し掛かった頃、ワイルドが唐突に話し出した。

「ところで、同盟のメンバーは増えたのか?」

嫌なことを聞くな、とコウタローは目を泳がせる。

「その様子だと、増えて無さそうだな」

「・・・・・二人と一匹だ」

コウタローは頬杖をつきながら、片手でハンドルを回す。一般的に、商人は組合に所属する。一人で事業を起こすコウタローのような叩き上げの商売人は絶滅危惧種で、世の商人のほとんどはフランチャイジーだ。組合でいろはを学び組合の看板を掲げて商売をする、いわば支店のようなもの。当然、客はフランチャイジーを贔屓する。素性も知れない野良商人と、組合の看板を掲げる商人、どちらのほうが信頼度が高いかは言うまでもない。だからこそ、野良商人たちは同盟を組んで互いを助け合うのだが―――コウタローの主催の同盟は、辛うじてその体裁を保っている程度だった。

コウタロー自身積極的に勧誘していないというのもあるが、最近は野良商人自体が特に少ない。同盟内で育てられた純粋培養の商人が増えて、一種の派閥のようなものが出来上がっている。同盟そのものがブランド化し、組合へと変化していく例も多い。こうなれば野良だのフランチャイジーだのは関係ない。

「正直、じり貧だよ。大手に流通ルート潰されるわ価格競争で負けるわで散々だ」

「いっそ、どこかに所属するというのはどうだ?お前自身、駆け出しだろう。いくら気に入らないからって背に腹は代えらないんじゃないのか?」

「だから、そういうのはもう懲り懲りなんだって。明日に困ったって、自由に生きていられる方が絶対いいんだ。細々とやっていくしかないさ」

それでも、いつかは限界がくる。そういう時にモノをいうのは、繋がりがあるかどうかだ。商売で築いた信頼関係もいいが、それは酷く脆いものだ。商売人同士、抱える苦労も報酬も同じ。助け合う男の義理ってものがある。少なくとも、コウタローにとって理想的な関係はそういうものだった。

「ただでさえ、余計な食い扶持を抱えてるっていうのに・・・・・」

「ほう。よく吠えた。私がいなければ何度夜盗に殺されていた?」

「へーへー」

コウタローは、車のスピードを落とし始める。その視線の先にある古めかしい建物は、コウタローのように車を扱う行商人にとって生命線ともなる場所だった。




 燃料補給の合間の一服ほど、美味いものはない。コウタローは、懐から一本の手巻煙草を取り出した。手製のそれには一定のリピーターもおり、本人にとっては趣味と実益を兼ねる目玉商品だった。紫煙が揺れるのを遠巻きに、燃料を補給すためのノズルが差し込まれるのを眺める。コウタローの車は、同じ燃料が使えるように改造はしたものの、一般的な車と仕組みも見た目も異なる。一般的な木製の車とは異なるそれに、奇異の目をむける同業者たちに絡まれないよう、一人と一匹は遠くから眺めていた。

時折吹き抜ける風に草木がざわめき、紫煙は空へ溶けてゆく。”生きていた頃”には味わうことの無かった感覚が、コウタローを包み込む。これは夢か、それとも死後の世界か。どちらにせよ、あの一際背の高い雲だけは同じだった。コウタローは、その積乱雲から飛行機雲が飛び出す様を思い出し、意識を過去へと移していった。




夏空に映える飛行機雲が、積乱雲の影から飛び出した。僕はアクセルを踏みつけながら、海岸線を横目にハンドルを切る。岬のヘアピンカーブを抜けると、小さな町が見えた。山と海の狭間の、港町。目的地はそこだ。町に入っても、人の姿は少ない。ちらほらと、縁側で涼むお年寄りがいるぐらい。適当な路肩に寄せて、身だしなみを整える。エンジンを切ると、途端にセミが騒がしくなった。革靴に履き替えて地面を踏みしめる。真夏のアスファルトは60度にも達するらしいが、ここは幾分かマシだ。港町特有の生暖かい潮風が纏わりついて、吹き出るような汗を拭う。なんとなく、自分が乗って来た車を眺める。その横っ腹には、勤め先の名前が描かれていた。いわゆる、営業車。僕ははるばる、田舎の港町に売り込みに来た訳だ。結果としては、当然売れなかった。それどころか門前払いだった。顛末を話し終えると、目の前の男は本気で同情していたようだった。景気の良い野太く声が店内に響く。

「今日もお疲れさん。いつにも増して怒り心頭だったぞ、あのクソ社長」

僕が内緒で若頭と呼ぶ、直属の上司だ。僕はあの港町から会社に戻ったあとの成果報告で、罵詈雑言を受けたのだ。

「・・・・・まさか土下座させられるとは思いませんでしたよ」

「米須さん曰く、土下座は初めてらしいぞ」

「え、マジですか。米須さんって、今の社員では最古参ですよね・・・・・」

「それでも年数は一桁台だけどな」

 僕らが勤めるのは、潰れかけの総合商社。無茶なノルマに売れない商材、それを補う休日出勤と残業のデスマーチ。僕らは倒産へとひた走るタイタニック号の乗組員という訳だ。

「まぁ、奥さんともうまくいってないみたいだしな。さっさと帰宅しても気まずいだけだろうし、それなら残業でもすればいいのになぁ」

「僕らとしては、さっさと帰って頂かないと胃に悪いですよ。というか奥さんいたんですねあの人・・・・・可哀想に」

「どっちが?」

「奥さんに決まってるじゃないですか」

「はは、お前も言うようになったな!」

「・・・・・お酒の力ですよ」

社長の頭の中にある罵詈雑言のボキャブラリーは定時まで途切れず、ふと我に帰った社長はそのまま退社していった。本来なら残業している時間だが、社長さえいなければみんな味方である。先輩に半ば強引に誘われ早々に退勤した僕は、場末の居酒屋で一杯ひっかけていた。

ジョッキをあおると、冷えたビールが心と身体に染み渡っていく。一口目というのは、素晴らしく美味しいものだ。少しは息を吹き返したように感じて、運ばれていた焼き鳥に手を伸ばす。たっぷりタレがかかった鶏皮が美味しそうに見えるが、正直手が進まなかった。

「どうした、手が止まってるぞ」

「いえ、ちょっと考え事してただけですよ」

愚痴と世間話を肴に、締め付けるように痛む胃へアルコールを流し込む。ここのところ、あまり食欲が無い。

「そういえば、明日も僕ら出勤ですよね」

「そうだな。けど、社長が休みな分平日よりは救いがあるよ。どちらにせよ外回りだし、のんびりやるがね」

 正直、会社選びを間違えたと思う。よく考えずに内定に飛びついた結果、毒蜘蛛の巣あるいは蟻地獄に囚われてしまったのだ。入社してからずっと、じっくりと消化されていくような気分が拭えない。

「連休取りたいですねー。三連休ぐらい」

「無茶言うな、俺だってとれたことないんだぞ?あの社長、勤務状況とノルマの管理の仕事が大好きだからな」

「やっぱりあの人の管轄ですか・・・・・」

 有給なんて夢のまた夢なんだろうか。入社してからというものの、旅行と称される行為は一度たりとも経験していない。

「というか、せっかく休み貰っても後回しにした事務作業を片付けるだけだろ。そんなもん休みとは言わん」

「ですよね・・・・・はは」

「まったく、俺たちは消耗品じゃないってのにな。俺はあの人が社長になった年に入社しちまってよ、お前さんと同じように、いきなり外回りに放り出されてよぅ・・・・・!」

「意を決して飛び込んだお宅が、社長の家だったんですよね?」

「そう!そうなんだよ!」

先輩もだいぶ酔いが回ってきている。ここらへんでお開きにしておかないと、明日の出勤すら危ういだろう。そもそも、過労気味の体にアルコールなんて、泥のように眠れと言っているようなものだ。

「先輩、そろそろ帰りましょう。明日に響きますよ」

「あぁくそ、満足に仕事の後のビールすら楽しめないのかチクショウ・・・・・奢ってやるぞと言いたいが、お互い薄給だしなぁチクショウ」

「もちろん割り勘ですって」

結局、先輩の介護をしながら帰る羽目になった。先輩には、飲み過ぎて出社しなかった前科があるので、放っておくわけにもいかない。割を食らうのは自分たちだ。




思い出している間、ずっと視界がぼやけたままだった。焦点を現在に戻すと、ワイルドは車のボンネットの上で、赤く焦げた空を眺めていた。

「終わったか?」

「同業者どもなら追い払っておいたぞ、私に感謝することだな」

「そりゃどうも。この車、よく盗まれないもんだ」

ボンネットを叩いて、コウタローは車に乗り込む。自分の棺桶となった車でも、不思議と愛着は湧くものだ。こうして知らない世界に共に放り出されたのだから、もう一蓮托生と言ってもいいのかもしれない。

「この先のモーテルか?」

「ああいや、少し外れでテントだ。あの様子じゃ、宿は空いてないだろうしな」

積乱雲から飛び出す飛行機雲は、ここにはない。コウタローはアクセルを踏み込んだ。

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