第4話 父さんな、取引先でも全裸になるんだ

Aパート

 結論から言うと、僕は会社内での地位を失わずに済んだ。

 例によってX兵衛が、僕の爆散全裸の件について、その罪をひっちゃぶってくれたからだ。


 突然社内の休憩室に、換気口から侵入した変質者が、係長の服を引き破り、乱暴を働いた。そういうことで社内的に今回の件は落ち着いた。


 再びパトカーに乗せられて、会社を去っていくX兵衛。

 どうしてだろう、そのちょんまげがアイルビーバック、溶鉱炉に沈んでいく未来から来た殺戮マスィーンにだぶって見えて、僕は熱い涙を堪えた。


 X兵衛。

 すまない


 毎度毎度、僕のためにこんなつらい役目を引き受けてくれて。

 万が一を想定して、業務鞄の中に忍ばせておいたジャージに着替えると、僕は、彼を乗せて走っていくパトカーのサイレンが、コンクリートジャングルに吸い込まれて行くのを、いつまでもいつまでも見送るのであった。


 さて。


 なんとか、円香の学校の授業が終わるよりも早く、窓牧商事向けのプレゼン資料を準備した僕。それをさっそくPDFに変換して、相手先へとファイル転送サービスで送付すると、さっさと会社を後にした。


 昼に変身した手前、まさか、放課後にも変身するとは思えないが、何かあってからでは遅い、万全を期すためにも帰れる時に帰らねば。


「それでは、お先に失礼します!!」


「お、おつかれさまです……」


 休憩室で全裸にひん剥かれたというのに、妙に元気な僕に皆困惑しているのだろう。

 少し、引き気味な挨拶を背中に受けながらフロアを出ると、僕はエレベーターで一階に降り、可及的速やかに駅へと向かった。


 ジャージ姿で都営地下鉄が来るのを待つ。

 やれやれ、とんだ一日であった。


 しかし、昼休みに変身するとは、円香の奴は、どんだけ魔法少女になれて浮かれているというのだろう。変身するにしたって、放課後まで待てないものだろうか。

 というか約束したよな。昼休みには変身しないって。


 そも、何のために彼女たちは変身するのか。

 魔法少女ってなに。

 困った人を助けているというのなら、赤の他人を助ける前に、まず、お父さんのことを助けて欲しいよ。円香が節操なく変身するおかげで、こっちは会社での信用を、ここ、二・三日で二回も失いかけているんだ。


 お父さんが会社をクビになったら、円香だって困るだろうに。

 ご飯だって食べれないし、家のローンだって払えない。そうなったら一家離散だ。

 他人の幸福の前に自分の幸福を優先するのは、人間として間違った発想じゃないと思うのだけれど、どうだろうか。


「……まぁ、円香は優しいからな」


 やれやれ。

 口を吐いて出てしまったのは、そんな思考とは反する娘を庇う言葉だった。

 ここに来てもまだ、娘に甘い自分に、ちょっとどうかなと思ってしまった。


 実際、僕との約束を守ってくれなかったことは腹立たしくはあったが、彼女が誰かのためにやむを得ず変身したのだとしたら、それはそれで納得のいくところだった。

 大丈夫だ、少しくらいなら、僕だって我慢できるさ。

 彼女の気が済むくらいまでは、僕も、全裸になるのをなんとか誤魔化してみせる。


 そんなことを思って都営地下鉄で電車を待つこと数分。

 ファァーという音と共に、ホームに銀色の車体をしたそれが入って来た。


 流石に、まだ昼過ぎて数時間。 

 平日ということもあって、車内はすっかりと空いている様子だった。僕と一緒に、駅からそれに乗り込む人影もない。


 これは座れるかな。

 やれやれ、休み明けから大変な一日だったのだ。

 少しくらい、役得と思って、座らせて貰おうか。


 そう思って、電車の中に乗り込むと――。


「……よぉ、久しぶりじゃのう」


 あーらまぁ、立派なイソギンチャク。

 顔に十字瑕の埒外漢が、椅子の真ん中に大股開きになって、座っていた。

 ……よく見てみると、電車に乗っている人々は、ダークなスーツに身を包んだ、堅気じゃない感じの方ばかり。


 げぇ、ヤ〇ザ専用車両!!


 思わず後ろに下がってそのまま、ムーンウォークで電車から降りそうになった。

 だが、それより早く、電車のドアが閉まったから仕方がない。

 なんてことだろう。とんでもない電車に乗り合わせてしまった。


 後悔に、しとどに汗がジャージへと染み出した。


「なんじゃワレェ。人の顔見るなり、そんな青い顔して。娘の友達の親同士、仲良うしようやないか。のう――要友久くぅん?」


「ひぃっ!! 目をつけられてるぅう!!」


 ヤク〇に目をつけられるなんて、もう、僕の人生はお終いである。

 このまま、なし崩し的に、汚い金をプールしておくための、架空口座を作らされたり、高級マンションの購入者にされたり、そして、その協力者ということで、警察にしょっぴかれたり――そういう人生が待っているに違いないのだ。


 マイガ!!

 どうしてだ円香よ!!

 なんでヤクザの娘さんなんかと仲良くなったんだ。


 確かに差別はよくない、よくないけれども、つるむ友達くらいは選んだらどうなの!?


 ほれ、前に座れやぁ、と、ドスの利いた声で僕に言う豪一郎さん。

 おそらく僕と同じく、お昼頃に娘さんが変身したんだろう。エアコンにそよぐ、イソギンチャクを前にして、僕は、おずおずと彼の正面にある椅子に腰かけたのだった。


「……なんじゃァ!! そんなオドオドせんでもええじゃろうがァ!! 別にワシも任侠道に生きとるもんじゃい!! 堅気のリーマンに手なんぞ出さんわい!!」


「本当ですか? 口座開設したりとかアパート借りるのに、名義貸してくれとか、そういうの言い出しませんか?」


「どアホゥ!! んなもん、娘の親友の親に頼まんでも、幾らでもアテがあるわい!! 舐めるなやこんど三一がぁっ!!」


 おぉ、豪一郎さん。

 話の分かるヤク〇でよかった。


 けれど、着替えをちゃんと用意していないあたり、頭の方は残念なようだが。


 はぁ、と、息を吐き出して、豪一郎さんは大股開き――イソギンチャクに息を吐きかけた。ぷるりぷるりと、可愛く揺れる海藻とイソギンチャク。

 ほんと、〇クザの大親分にしては、可愛らしいサイズである。

 本気になると凄いのだろうか。

 イソギンチャクなのに、真珠が入っているのかな。


「おう、幾ら娘の友達の親父やからって、人の股間を凝視するとはどういう了見じゃ」


「……あ、いやぁ。なんというか、目のやり場に困って」


「困ったら普通違う所を見るんとちがうんけぇ」


 まぁいい、と、豪一郎さん。

 パシンと膝を勢いよく叩き、溜息を吐き終えると、彼の鋭い目線が、僕の顔へと向けられた。どうやら、何かを決断したらしいが――ぷるんぷるん揺れるオカイソギンチャクに、僕の意識はそれどころではなかった。


「それより、お前さん、X兵衛から聞いとるか?」


「え?」


「五月一日――メーデーのことじゃぁ」


「メーデー?」


「その様子じゃ、なんも聞かされて居らんようじゃのう。まぁ、お前さんのような、堅気の人間には関係の話じゃけぇ、X兵衛も喋らんかったか」


 なんだそれ。

 どういう意味だ。

 意味深な発言をしないでいただきたい。


 なんなのだメーデーとは。

 あれじゃないのか、労働者の日で、企業によっては休みになったりならなかったりする日じゃないのか。


 ちなみにうちの会社は、一応、ホワイト企業なので、休みになるけれど。


 それが、いったい、なんだというのだろう。


「メーデーは、ヨーロッパでは五月祭りと呼ばれちょる」


「へーへーへー!!」


 僕はジャージに包まれた膝を叩いて、三へーを豪一郎さんに送った。

 ヤク〇なんてお仕事してる割には、意外と博識なんだなこの人。

 僕はメーデーなんて、ちょっとお得な休日くらいにしか思っていなかったよ。


 で、それがいったいぜんたいなんだというのだ。


 その発言に対して、首を傾げる僕に、ここからが重要なんじゃ、と、ばかりに豪一郎さんがギラついた目をこちらに向けてきた。


「そしてのう、厄介なことに、この日の前日の夜は――俗にワルプルギスの夜と呼ばれておるんじゃァ」


「……ワルプルギスの夜」


「その夜は、魔女たちの力が高まってのう、必然、魔法少女たちの魔力も爆発的に高まるんじゃァ」


 へぇ、そうなのか。

 魔法少女にもそんな、年に一回、力が高まる、そんな日があるんだな。


 で、それがなんだというのだろう。


「分からん、ちゅう顔しとるのう」


「はい、そりゃもう、さっぱりと分かりませんね。別に魔法少女の力が高まろうと、高まるまいと、そんなの僕らには関係ないじゃないですか」


「関係大ありじゃァ!!」


 パシーン!!

 膝を叩いて、豪一郎さんが目を剥いてこちらを睨みつけた。


 そんなに睨まなくったっていいじゃないのよ。

 そして、そんなに揺らさなくってもいいじゃないのよ、イソギンチャク。

 仕方ないでしょう、だって僕、つい最近魔法少女のお父さんになったんだから。


 けどまぁ、この様子。

 そしてこの阿修羅のような形相。


 そのワルプルギスの夜というのが、どうやらただ事ではないのは伝わって来た。


「ええかァ、そもそも、なんで魔法少女に変身すると、儂らの服が弾けるのか――そりゃ、魔法少女が起こす奇跡の代償との帳尻合わせのためじゃァ」


「そういえば、そんなことをX兵衛が言っていたような」


「その奇跡を起こす力が、無尽蔵に溢れかえる――そうなったらどうなると思う?」


「……まさか!!」


 そう、と、呟いて、豪一郎さんが瞳を閉じた。

 その厳めしい瞼から、つつと伝ったのは熱い涙。


 ベテラン魔法少女――あけみちゃんのお父さんである彼は、きっと去年のワルプルギスの夜を経験しているのだろう。

 それだけに、その辛さが分かっている。

 根拠はないけれど、そういう気がした。


「基本、常時全裸、ワルプルギスの夜――夕方から翌朝にかけて、儂ら魔法少女の父親は、服を着ることができんくなる」


「……そんな。そんなのって、ないよ!!」


「仕方ないんじゃ!! これがこの世界のシステム!! 魔法少女になった娘が、不幸にならんための、最も冴えたやり方なんじゃから、仕方ないんじゃァ!!」


 もっと他に何かいい方法があったんじゃないだろうか。

 ちくしょう、誰がこんな残酷な世界を考えたって言うんだ。


 そんな話聞きたくなかった。

 いや、聞かなければ、もっと悲惨なことになっただろうけど。

 それでも、聞きたいものではなかった。


 四月も既に半ばを過ぎている。

 運命の五月一日の前夜――四月三十日はもう目前であった。


 ちくしょう、こんなのって、無いよ。


 あんまりだよ。


「泣くな友久!! これも魔法少女の父親のお勤めじゃァ!!」


「けど、けど豪一郎さん!! どうしてこんな残酷なことが、許されるっていうんですか!! 僕は悔しい!! この残酷な世界のシステムが憎い!! 憎くてたまらない!!」


「耐えるんじゃ友久!! 忍耐もまた、男の道というもんじゃ……!!」

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