Bパート
目前に迫っている、五月一日。
その前夜、ワルプルギスの夜について知らされた僕は、気が気でない感じで帰宅した。そして、すぐにコンビニで買って来た、発泡酒――六本セット――をリビングで開けると、妻の痛々しい視線も気にせず、胃に流し込み始めた。
ちくしょう、魔法少女の父親やるのが、辛すぎて辛すぎて、酒が進む。
そんな感じで飲んだくれている僕に、心配した表情で妻が歩み寄って来た。
テーブルの正面に座って、彼女は膝の上に
「貴方、最近お酒が過ぎるわ。たっくんももう帰って来てるのよ、ちょっと控えて頂戴」
「煩い!! 君に僕の苦悩が分かるっていうのか!!」
全裸だぞ。
全裸になるんだぞ。
普通に仕事をしていたら、いきなり全裸になって、社会的な地位を一瞬にして失うかもしれない。そんな状況で、家族のために僕は働いているんだぞ。
まともな精神でやっていられるか。
握りしめた発泡酒の缶をテーブルにたたきつける。
飛沫が、妻の顔にかかると、彼女は信じられないという顔をして、僕の方を見てきた。
その顔色には、恐怖でもなく、嫌悪でもなく、憐れみがあった。
いけない。
僕は何をやっているのだ。
すぐさま、僕は発泡酒を手から離すと、その場から立ち上がり、彼女の方に回ってその肩を抱いた。
彼女は、それを優しく受け止めてくれた。
「……ごめんよ。こんなこと、するつもりはなかったんだ」
「分かってる、分かってるわ。貴方が、本当は優しい人だって、私分かっているから。ただ、辛かったんでしょう、あんなひどい目に合って」
「……あぁ」
言えない。
妻には、円香が全ての元凶だなんて、そんなことを言う事はできない。
もしそんなことを口にしてしまえば――。
白い目をして僕のことを軽蔑するに違いないだろう。
すまないX兵衛。ここでも君のことを犠牲にしてしまって。
「いいの、貴方。私たちはこうして、支えあうために家族になったんじゃないの」
「ごめんよ。情けない、そして不甲斐ない僕で本当にごめんよ」
妻の体を強く抱きしめる。
そうして、僕たちはしばしの間、お互いの体の温もりを感じあうのだった。
それから、僕たちは久しぶりに、三人目の子供を作ることに励んだ。
だって、全裸になっておけば、万が一にも円香が魔法少女になってしまっても、大丈夫だからね。
……ふぅ。
◇ ◇ ◇ ◇
日曜日。時刻は、午後三時四十五分。
僕はスーツを着て、窓牧商事の来賓室へと通されていた。
ガラス張りの膝くらいの高さのテーブルに、高級感あふれる革張りのソファ。その上座側――窓の見える方――に腰かけて、僕は、宇路内社長を待っていた。
既に、ここ数カ月、一緒に話を進めていた窓牧商事の営業部社員は席についている。
あとは社長が来るだけという状況だ。
しかし、待ち合わせの時間はもともと三十分。
ミーティング開始の時刻はとっくに過ぎていた。
それほどに、宇路内社長は忙しいということだろう。
弱ったな、と、営業部の社員さんが、青い顔をしてこちらを見てきた。
「社長がこんなに遅れるなんて。すみません、事前に送って貰った資料を見た段階では、かなり今回の話に乗り気だったんですけれど」
「いえ、まぁ、社長さんもお忙しい方でしょうし」
「そう言っていただけると。いや、本当に要さんのような方が、担当者でこちらとしても話がし易くて助かりますよ」
そう言って貰うと、なんだかむず痒いモノがあるな。
ふむ、と、客先の前だというのに、鼻先を掻こうと思ったその時だった――。
「すまない、遅れてしまった!!」
部屋の扉をバーンして入って来たのは、ストライプのラメが入ったスーツがよく似合う伊達男。宇路内社長であった。
なるほど、忙しさが滲み出たようなその顔色。
先ほどまで、違う打ち合わせにでも出ていたのだろう、手には、膨大な書類を抱えていた。できる男――そして、睨まれたなら業界内外でも生きていくことは出来ない敏腕社長と呼ばれるだけはある。
そんな彼は、僕の姿を見つけると、手にしていた書類をテーブルに置いて、爽やかにその手を差し伸べてきた。
「君が要くんか、いや、話は青木くんから聞いているよ」
「あ、はい、どうも」
名刺交換もそこそこに握手とは、随分と気の早い社長さんである。
しかし、その手に応えない訳にはいかない。
僕はその場に立ち上がると、宇路内社長の手を握り返した。
その手が、微妙に力強いのはどうしてか。
「金曜日、送って頂いた資料については見させていただいた」
「あぁ、はい。もう読んでいただいていたのですか?」
「文句のつけどころのない完璧な資料だった。うちの社員として君を迎え入れたいくらいだよ。やはり、最先端の技術を担っている、IT企業というのは伊達ではないな」
好感触。
まさか、プレゼンを始める前から、こんなべた褒めの言葉が社長の口から聞けるとは。
いけるぞ、この交渉は。
そんな期待が僕の中で高まる。
そして、そんなことを思った次の瞬間、更にそこに追い打ちをかけるような、驚くべきような言葉が、宇路内社長の口から飛び出してきた。
「もはや商談をするまでもない。是非とも、我が社の顧客管理システムとして、御社のシステムを導入したい」
「本当ですか!?」
「社長!!」
「青木くん、すぐに契約書を作成したまえ。せっかくこうして休日出勤までしてきてくれたのだ。要くんの誠意に、私は迅速な対応を持って応えたいと思う」
商談、成立である。
なんという迅速な判断力。そして、電撃的な決断力。
流石は音に聞こえし、流通業界の麒麟児である。
正直、休日ということで、いつ、円香が魔法少女に変身して、服がバリーンなるかと気が気でなかったのだ。けれど、その心配もない。
いやぁ、よかったよかった。
こんなにすんなりと事が運んで万々歳だ。
と、思ったその時。
バリーン!!
突然、この日のために急いで新調した、キメのスーツが爆発四散!!
ネクタイ、Yシャツ、パンツもろもろが、吹雪のように取引先の応接間に舞い上がる。
震えるぞハート、ついでにちん〇。
何故、このタイミング、この場でキャストオフ。
社長に会うと言うことで、腕に嵌めていた時計だけが、チックタックと、僕の乱れる心臓の鼓動と違う、正確なビートを刻んでいた。
おう、円香。
円香さぁん。
どうして休日にも魔法少女に変身しているの。
しかも、こんな間昼間なの。もうちょっと、違う時間でもよかったんじゃないのよ。
お父さん、いつ円香さんが変身してもいいように、スーツは二着用意していたのよ。
なのに……もうっ!! どうしてこんな取り返しのつかないタイミングで!!
「……か、要さん!?」
「なっ、君ぃ、これはいったい、どういうことなんだね!! いきなり全裸になるなんて!!」
「違うんです宇路内社長、これには、深い深い訳があるんです。そう話せば長くなる、深い訳が――」
話しても分かって貰えないだろうけど。
訳が分からないよ、と、真顔で返されるだけだ。
とにかく、今、一刻も早くやらなくていけないことは――決まっている。
「X兵衛も~~~~ん!!!!」
僕はもう、劇場版のスクリーンで助けを叫ぶ、のび〇の心境でX兵衛を呼んだ。
アイエエエ!!
気合の一声と共に、ビルの窓から、宇宙侍X兵衛が、宇宙刑事よろしく飛び込んできた。彼は例によって、ガラス片の上を転がると、そのまま、僕の前へと駆けて来る。
「天呼ぶ、地呼ぶ、友久が呼ぶ!! 俺、見参!!」
「なっ、なんだ、君は!!」
「いきなり人の会社の窓をぶち破って……というか、ここ三十階だぞ!? どうやって!?」
「細けえことはいいんだよ、それより、友久!!」
「頼むX兵衛!!」
言うが早いか、X兵衛は、腰に佩いていた刀をガラスのテーブルの上へと置くと、構えて、かっと、目を見開いた。
来る、柳生珍陰流である。
「見よ!! 宇路内!! これが柳生珍陰流奥義――
屈んだX兵衛が僕の股間に、尻側から突っ込んでくる。
そのまま、僕は、彼の頭に――パイルダーオン!!
飛ばすぜ鉄拳のノリで肩車、股間をちょんまげを結わえた頭で隠して、空に聳える男になったのだった。
うぅん。
ちょっと今、流行ってるからって、これはどうなんだろう。
ただの肩車じゃないか。
そして、股間を隠すのには成功したが、右乳首とか、左乳首とか、主に、乳首周りを隠すことが出来ていない。
いかがなものか。
そう思って、僕はさっと乳首を隠した。
「ちょっと、要くん!! これはいったいどういうことなのかね!! 説明してくれ!!」
「いや、説明してくれと言われましても。僕もいささか、この状況に辟易としているといいますか。なんと言っていいやら」
先ほどまでの友好的な態度はどこへやら、憤慨して、僕を睨みつける宇路内社長。
怒るのはもっともだ。僕だって怒る。誰だって、こんなことされたら怒る。
しかし、裸になってしまったものはしかたないじゃないか。
娘が魔法少女で――変身すると着ている服が爆発四散する。
そういう世界で生きることを――僕たちは強いられているんだ!!
「だいたい、なんだ、その、胸なんか隠して!!」
「……え?」
「男だったら、もっと堂々としていろ!! 我が身可愛さに、乳首を隠すなんて、そんなちっぽけな奴だとは思っていなかったよ、要友久!!」
「えぇ、ちょっと、待ってくださいよ!! なんでそんな所にひっかかるんですか!?」
気難しい、気難しいとは聞いていたが、斜め上を行く気難しさですよ、これは。
どうしてくれようか、と、僕が呆れかえる前で、宇路内社長が声を荒げる。
「とにかく、すぐにその手を除けたまえ!! 男なら、全裸になっても堂々としていろ!!」
「いや、そう言われましても」
「お前のパッションは、ブレストファイアーは、その程度なのか、要友久!!」
「意味が分からないよ!!」
もう何がなんだか。
けど、目の前の宇路内社長の目が血走っているから、これは、従うしかない気がする。
えぇい、ままよ。
僕は、もういっそ死んでしまえという心持ちで、胸の前から腕を外して、ブレストファイアーよろしく、力こぶを作って左右に開いたのだった。
ふむ。
「……薄っすら桜色か」
乳首の感想が、宇路内社長から告げられる。
なんだこれ、本当に、僕は何をしているっていうんだ。
そんなことを、まじまじと乳首を眺められながら、僕は、頬を熱い涙で流した。
熱光線は出ないけれど、熱い涙は、出るんだな、これが。
「とりあえず、全裸になったということで、この取引は一度考え直しということで」
そして、乳首を言う通り見せたのに、こういうオチになるんだな。
あぁもう分かってたよ。はいはい、そうですよね。
そりゃ、客先で全裸になれば、そうなりますわ。
やってられないよ!!
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