Bパート
その後、野獣X兵衛が、どうなったのかは知らない。
エントランスのガラスをぶち破り、血塗れで入って来たのだ。あの重症で会社の中をそう自在に動き回れるとは、とてもじゃないけれど思えない。
おそらく、警備員さんに捕まって、既に警察に送られてしまったことだろう。
春の陽気に当てられたとはいっても、エントランス壁を破っての大立ち回りだ。
幾らお病気だと申し開いても、それだけのことをしでかしてしまったら、社会的な制裁を受けるのは仕方のないことだろう。というか、うちの法務が黙っちゃいないだろう。
ほんと、酷い野良犬に噛まれてしまったものである。
煙草休憩を終えて、課長との打ち合わせに向けて、軽く資料をまとめる。内部資料のため、それほど凝ったものは作らなかった。これまでの経緯を、軽くエクセルシートにまとめると、僕は、少しのんびりとした気持ちで定時が過ぎるのを待った。
こんなことがあった日だ、ちょっとくらい、サボってもバチは当たらないだろうか。
僕はデスクでスマホを取り出すと、その電源ボタンを押下した。
待ち受け画面として表示されたのは、この春――家族で花見に出かけた際に撮影した、愛娘の写真である。
「あら、円香ちゃん。もうそんなに大きくなられたんですね」
隣に座っている女性社員――主任格で僕よりも五歳年上――が、僕が娘の写真を見ているのに気がついて声をかけてきた。
えぇ、まぁ、と、はにかんで答えてみせる。
するとその女主任は、ふふっ、と、柔和に笑って、ほんと親バカですねぇ、なんてことを言ってきたのだった。
親バカ結構。
娘が可愛くていったい何が悪いと言うのだろう。
この世に、娘のことを好きじゃない父親なんて、きっと存在しないに違いない。
僕は彼女のためだったら、たとえ火の中水の中、どんなことだってやってのけてみせる。そんな妙な自信があった。
その時。
ふと、あの春の陽気に当てられてしまった可哀想な男――野獣X兵衛が言っていた言葉を思い出した。
「九兵衛の奴が、お前の娘と契約しちまった!!」
契約って、いったいなんのことだろう。
確か魔法少女がどうこう、とか、あの侍は言っていた気がするけれど。
そもそも、魔法少女ってのがピンと来ない。
サリーちゃん、アッコちゃん、コメットさん、ミンキーモモ。
色んな魔法少女が過去には居たけれど、そんな、契約なんてするものだろうか。
あぁいうのは自然となっているものなのではないのか。
アニメなんかは、ガンダム以外はとんとみない僕である。
どうも、あの男が言っていることが分からないのは、その辺りにあるようだった。侍の格好をして出歩いているあたり、きっとヘビーなオタクには違いない。
それできっと、現実と妄想をごっちゃにしてしまったのだろうな。
おぉ、怖い怖い。
「うちの息子はそんなことにならないよう、ちゃんと育てよう」
スマートフォンを左にスワイプすると、今度は息子の写真に切り替わる。
妻も、娘も、息子も、僕にとってかけがえのないものだ。
絶対に、彼らを不幸になんてさせてたまるものか。
そのためにも、この仕事を絶対に成功させて、そして、課長になり――安定した収入と社会的な地位をてにいれるのだ。
そんなことを考えた時、頭の上で定時を告げるチャイムが鳴った。
午後十七時四十五分である。
まるでその瞬間を狙いすましたかのように、派遣・協力企業の社員たちが、席を立つとさっさとフロアから立ち去っていく。
それを横目に、僕は課長の方に目を向けた。
課長も、僕の視線に気が付いて、ディスプレイを睨んでいた視線をこちらに向ける。
「あぁ、すまない、打ち合わせだったね。このメールだけ先方に返信したら、すぐにでも会議室に向かうから――準備しておいてくれるかな?」
「はい、分かりました。お待ちしています」
ちょっと嫌味っぽく言って、僕は自分のノートパソコンを手に、デスクから立ち上がる。
どうせ一時間もかからない、簡単な打ち合わせになるだろう。電源はそのまま置いておくことにして、ノートパソコンだけを持つと、僕は会議室へと向かった。
◇ ◇ ◇ ◇
プロジェクターの電源を入れ、HDMIケーブルをノートパソコンに差し込む。
降ろしたプロジェクター投射用のカーテンに、台形補正をかけて、複製画面が綺麗に見えるように調整すると、僕は課長の到着を待った。
時刻は、午後六時五分。
先方にメールを送ってから、と、彼は言ったが、随分とかかっているようだ。
いや、別に文句がある訳ではない。
なんといっても課長職――うちの会社では役員――だ、会社の代表としての振る舞いが求められる立場なのだから、メール一つ送るのに慎重になるのは仕方ない。
それは分かっているつもりなのだけど。
「時間泥棒って奴だよなぁ。この時間で、宇路内社長向けのプレゼン資料でも作った方が有意義な気がする」
それでなくても、僕は娘や息子との時間を大切にしたいと考えている。
最近は、部活やら友達付き合いやらで、円香は帰って来るのが遅くなりがちだけれど、それでも、七時過ぎには家に帰って来てくれる。
そんな彼女との時間が、上司の都合で無為に減るというのはちょっと苛立たしい話だ。
ここから自宅まで帰るのには電車で一時間。
ちょうど定時で帰宅すれば、今日も円香と一緒の時間を過ごせたのに。
「……あぁ、円香。僕の可愛い娘。何をしたって、彼女の事を、僕は許せる気がするよ」
もちろん、犯罪なんかはダメだけれど。
けど、多少の悪戯ならば、本当に、僕は彼女のすることを笑って許すだろう。
それは父として娘に抱く当たり前の感情なんじゃないかな。
うん、やはり何度でも言う。
「娘が嫌いなお父さんなんて、この世に居ない」
そう、僕が口にした時だった。
バリーン!!
爆発四散!!
派手な音を立てたかと思うと、僕が着ていたグレースーツが、何をした訳でもないのに突然はじけとんだ。
いや、弾け飛んだのはスーツだけではない。
靴下、ネクタイ、Yシャツ、Tシャツ、股引にパンツと、身に着けている衣類のことごとくが、一瞬にして弾け飛んだのだった。
舞い散るスーツの布切れの中、僕は呆然として立ち尽くした。
いったい何が起こったのか。
何故、僕は全裸になってしまったのか。
天井のエアコンから風が吹きつけ、僕の股間にぶら下がっている、棒と二つの玉がそれに合わせてゆらめいていた。
訳がわからないよ。
なんだこの状況。
どうなっているんだ。
「だから言わんこっちゃんなァーイ!!」
ドアがバーンして会議室に、浅葱色の服を着た侍が闖入してきた。
あぁ、彼こそは、煙草休憩の際に、僕に涙ながらに話しかけてきた男。
野獣X兵衛であった。
いつの間にをの血を拭ったのだろう。彼の体は、すっかりとふき清められていて、浅葱色が鮮やかに映えている。
突然の全裸。
そして侍の闖入。
予想外の出来事の連続に、頭がどうにかなりそうである。
しかし、そんな僕に構うことなく、X兵衛は、僕の肩を再び抱きしめた。
今度は血の混じっていない、綺麗な涙がその隻眼から流れ出る。
「魔法少女が変身すると、その契約者のお父さんは社会的な制裁を受けるんだ!!」
「社会的な制裁!?」
「宇宙のエントロピーがなんちゃらで、詳しいことはよく分からんが、魔法少女が起こす奇跡の代価として、プラスマイナスゼロの帳尻を合わせるためにそういう力が働くようになっている!! まったく、こんなことってないぜ!! あんまりだ!!」
いや、そんなことを言われても。
魔法少女、宇宙のエントロピー、プラスマイナスゼロの帳尻。
うん。
やっぱりどれだけ考えても、訳が分からないよ。
もう頭の中が、いっぱいいっぱい、どうしたらいいのか分からなくなっている僕に、X兵衛が話を続ける。
「魔法少女が活動するのは主に放課後。夕方から夜七時までの時間が多い。働き盛りのお父さんたちにはきつい時間帯だぜ」
「待ってくれ、それじゃおちおち、通常業務も、残業も、電車通勤も、客先訪問もできないじゃないか!!」
「できないんだよ!! だからこその制裁なんじゃないか!!」
「どうしてそんな目に合わなくちゃいけないんだ!!」
「そういう宇宙のシステムなんだから仕方ないだろ!! 誰かが幸せになるためには、誰かが不幸せにならなくちゃならない!! とても分かりやすくてシンプルな話だ!!」
「そんなのって、そんなのってないよ……!! あんまりだぁ!!」
「あぁ、その通りだ!! だからこそ、俺がここに居る!!」
その時、会議室の入り口に再び動きがあった。
ドアノブがゆっくりと下がり、扉が部屋の内側に向かって押し込まれる。
課長だ。
瞬間、いけない、と、脳裏に危険信号が走った。
会議室で全裸になっているところを、課長に見られる。
そんなことになってしまったら――僕のこの会社での地位はお終いだ。
せっかく決まりかけている、窓牧商事へのシステム導入の手柄も吹き飛ぶ、大不祥事になってしまう。
社会的制裁、と、X兵衛が言った言葉が真実味を帯びてきた。
こういうことか、なんて残酷なのだ、と、僕は宇宙のシステムの残酷さに戦慄した。
しかし。
「任せろ!! 言っただろう、俺はお前の社会的な地位を守る為に、ここにやって来たってなぁ!!」
「――X兵衛!!」
「お前の股間と社会的な地位は、絶対にこの俺が守って見せる!!」
瞬間、X兵衛が刀を腰から外した。
まったく無駄のない所作で、それを会議室の――テーブルの上へと置いた彼は、前かがみになって、腰に手を当てると、僕の股間の前に尻を突き出した。
そして――。
「
目にも留まらぬ高速回転、彼は、あの有名な――某ダンスグループの動きにより、僕の股間と上半身を広域カバーする壁を作り上げたのだった。
なんということだ!!
これが、野獣珍陰流!!
まったく言葉の意味は分からんが、とにかく、凄い技なのは確かだ!!
「うぉおぉおぉおぉおぉおぉ!!!!」
「じゅ、X兵衛っ!!」
「俺が、俺が獣々機関車で、お前の姿を隠しているうちに、早く、局部だけでも隠すんだァアァアァアァ!!!!」
見ず知らずの僕のために、ここまで体を張ってくれる。
この男、なんという見上げた奴なのだろう。
春の陽気に頭をやられた、クルクルパーなどではない。
真の侍。
彼こそ、まさしくそう呼ぶにふさわしい、そんな男の中の漢であった。
「いやぁ、ごめんごめん。あの後、部長に捕まっちゃってさ、おくれちゃ――って、うわぁっ!?」
「さぁ、早く!! 早く股間を隠すんだァアァアァアァ!!!!」
「X兵衛!! しかし、しかしX兵衛!! あぁ、あんたの心意気は嬉しいが!!」
所詮、どれだけ人間が、高速回転してみせた所で、全裸になった人を隠せる訳がないのだ。そう、所詮、焼け石に水、という奴である。
いや、更に状況を悪化させていると言っていいだろう。
得体の知れない侍男を会議室に連れ込んで、全裸になり、更に股間の前で某ダンスグループの有名なあの動きをさせている。
「へ、変態だぁーーっ!!!!」
叫ばない方がどうかしてるぜ。
そら当然そうなりますがな、と、僕は乳首と股間をビーナスのように隠しながら、涙を流したのだった。
こんなのって、ないよ。
要友久。三十六歳。
勤続十五年目を節目に役員にとはりきる僕を襲った、それは晴天の霹靂であった。
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