父さんな、ときどき会社で全裸になるんだ

kattern

第1話 父さんな、上司への報告中に全裸になるんだ

Aパート

「……という訳で、窓牧商事への顧客管理システムの導入の件については、先方の営業部と担当者は好感触を示してくれています。問題は、昔気質の宇路内うろうち社長が、システムの導入に難色を示しているということです」


「なんとかなりそうなのかね、要くん」


「近々、宇路内社長とアポイントを取って、直接交渉することになっています。なにせ、窓牧商事の現場は、うちのシステムをすぐにでも導入したいと言っているんです。なんとかしてみせますよ」


 プレゼン資料を手にした右手を持ち上げると力こぶを作って見せる。

 部長に課長、更に大手商事会社との引き合いということもあって、同席していた常務取締役は、うぅん、と、感嘆の唸り声を見せた。


 上司たちの様子は好感触という所だろう。

 実際、この案件は、今の調子でいけば八割上手く行くだろうと僕は考えていた。

 宇路内社長は業界内でも頑固者でよく知られている。けれど、取りつく島のないほど偏屈という訳でもないし、時代の流れを読めない経営者でもない。


 話し合う場と機会さえ与えて貰えれば、口説き落として見せる自信はあった。


 大学卒業後、この会社の営業部に勤めて十四年。

 脂の乗った係長である僕は、自信に満ちた表情で、もう一度上司たちに視線を送った。

 任せてくれ、絶対にこの案件を成立させてみせる。


 僕の視線に応えるように、うん、と、直接の上長である課長が頷いた。

 その首肯により会議は早々に決着を迎えた。


「流石は要くんだ、よくあの窓牧商事を相手に、ここまで仕事を進めたものだ」


「これまで多くの営業部の社員たちが、何度となく出向いたが、門前払いにされてきたというのに。君の交渉能力は、いよいよ本物と言っていいかもしれないな」


「これは課長くんも、うかうかとしていると来期の席を奪われてしまうぞ」


「彼になら安心して席を譲れますよ。もちろん、その時には部長、貴方の席を頂きますがね」


 はっはっは、と、上機嫌に冗談を言う僕の上司たち。

 彼らは向かいの席から立ち上がると、それじゃ、今後ともよろしく頼むよ、と、言葉を残して会議室を後にしたのだった。


 プロジェクターの電源を切り、ノートパソコンからHDMIケーブルを引き抜く。

 天井から降りて来ていたプロジェクター照射用のカーテンを巻き上げて戻すと、僕は、ふぅと息を吐き出した。


 なんとか、上手く上司への報告はこなすことができた。


 あと一週間、もうひと踏ん張りというところだ。

 宇路内社長との交渉が成功すれば、この長くしんどかった仕事にも決着がつく。


 そうすれば、僕の社内での立場も確固たるものになるだろう。

 役員への登用もいよいよ間近と考えてもいいかもしれない。


 要友久、三十六歳。

 川崎住みの妻子持ち。

 妻は専業主婦。娘は中学二年生。息子は幼稚園児だ。


 勤続十五年目の節目を来期に控えて、いよいよと課長への道が見えてきた。


 同期で係長というのは割といる。

 だが、課長になった奴はまだいない。

 もしそうなれば、同期の中ではおそらく一番早い出世ではないだろうか。


 まさしく働き盛り、第二の青春と言っても良い季節である。

 そんな輝かしくも溌溂とした日々の只中にいる僕は、今回の仕事の出来栄えに、内心でガッツポーズをとっていた。


 ノートパソコンをたたみ、ケーブル類を会議室の所定の位置に戻す。会議室の電気を消すと、僕は自分のデスクに戻った。


 デスクへと戻る途中、ひそひそと、社員たちが僕を見て噂する声が耳に届く。


「要係長、とうとう窓牧商事へのシステム導入の件、成立目前までこぎつけたらしいぞ」


「マジかよ、あそこは出入りするだけ無駄だって、誰も近寄らなかった会社だろう」


「まとまりかけた話を急に梯子を外されて、病院送りにされた社員もいるって。よくそんな会社を相手に、商談を成立させたもんだ」


「流石は我が社のやり手係長だけはあるよな」


「あれで妻子持ちなんでしょ」


「でなきゃ女性社員が放っておかないっての。しかも学生結婚で、入社前から子持ちだったって話よ。できる男は、仕事もプライベートも違うわね」


 むず痒いような会話が聞こえてくる。

 社員たちの僕をほめそやす声に、誇らしさよりも恥ずかしさの方が先に来て、僕はデスクにパソコンを置くなり、すぐに煙草休憩へと立った。


 と、そんな僕に、先ほど会議室で一緒だった、課長が声をかける。


「要くん、さっきの窓牧商事との商談の件なんだけれど」


「はい」


「もう少し細かい所を詰めておきたい。定時後になってしまって申し訳ないが、後で、情報共有のための時間を作ってくれてもいいだろうか?」


「構いませんよ。では、十八時から会議室を押さえておきますね」


「すまない。そうしてくれると助かるよ」


 スマートフォンを取り出して自社用に調整したうちの稼ぎ頭――顧客管理システムへとアクセスする。そこから、社内資源予約機能により、先ほどと同じ会議室を押さえると、僕は、では十八時に、と、念を押して課長に背中を向けた。


 情報共有がしたい、と、彼は言っていたけれど、たぶん内心焦っているのだ。

 自分の部下が予想外の成果を上げようとしている。このまま、自分が関与しないままに仕事が上手く進んでしまうと、手柄を全部持っていかれる。

 そうなると、部長がからかって言ったように、自分の立場が危うくなる。


 もちろん、課長には花を持たせるつもりだ。

 係長という従業員の立場にも関わらず、割と自由な権限を与えてくれて、今回の件についても動かせて貰えたのは、素直に嬉しく思っている。


 ただまぁ、それと僕の役員への登用の話はまた別だ。

 ポストがないと言うのなら、今いる営業部第三営業課の席を譲ってもらうのはやぶさかではない。彼が次長あるいは部長になれるか、それとも他の課に動かされるかは、彼の日ごろの仕事ぶり次第だろう。


 仕事は仕事である。

 できる人間が上にのし上がっていくことのいったい何が悪いのだろう。


 そこは僕も当然と割り切っている部分だった。


 おっと、いけないいけない、ついつい出世のことに意識が行ってしまっていた。

 煙草休憩も度が過ぎればとやかく言われる昨今である。


 僕は急いで営業部のフロアを出ると、自社ビルの一階にある喫煙室へと向かった。

 エスカレーターで降りること八階。

 ガラス張りのエントランスになっているそこに降りると、僕は見目麗しい受付嬢が待機している横を通り過ぎた。


 彼女たちも、僕のことを知っているのだろうか。

 すれ違い様にあれが要係長よと、囁いているのが聞こえた。


 悪くない、悪くないぞ。

 そう思った時だ――。


「うぉおぉおぉおぉおぉ!!!!」


 バリン、と、ガラス張りのエントランスを突き破って、何かが自社ビルの中へと飛び込んできた。何事だ、と、僕も、そして受付嬢たちも、その音がした方を向く。


 ガラスの破片の上を、血塗れになりながら転がっているそれは明らかに人間。

 浅葱色した道着姿に、目には独眼竜正宗かという眼帯。

 頭には時代錯誤も甚だしいちょんまげが、これでもかとそそり立っていた。

 腰には大小刀を二本差している。


 まるで時代劇の中から飛び出してきたような、見事なまでの侍である。

 なんで、サムライ、なんで、と、思わず狼狽えてしまった。


 その侍は、血濡れた体のままふらりとその場に立ち上がると、何かを探すようにその隻眼で辺りを見渡した。


「くそっ、警備員共の分からず屋め、おかげで余計な時間を使うことになってしまったではないか!! そうこうしているうちにも――危機が迫っているというのに!!」


 何を言っているのだろう。

 誰に聞かせている訳でもないだろうに、大声を張り上げてそう独り言を放つ謎の侍。その格好についてもそうだけれど、彼が発したその言葉の意味を、とてもじゃないが僕は理解できそうになかった。


 春先には、陽気にやられて頭がハッピーになる人が多いという。

 彼もまたそんな人なのかな、と、思うことにした。


 と、そんな血塗れ侍と僕の視線が唐突に重なった。


 まずい。

 まずいまずい。

 まずいぞ目をつけられた。


 あの手の人間は、誰でもいいから、自分に構ってくれる人間――自分を認識した者――に対して、まとわりつく修正がある。

 ほら見たことか、血濡れの侍は、まるでいい獲物を見つけたとばかりに、僕に向かって猛然と駆け寄って来た。


 ちょっと、何やっているんだ警備員さん。さっさと出てきて捕まえてくれ。

 逃げよう、そう、思った時だった。


「要友久だな!?」


 突然、侍は僕の名前を発した。

 何故だ、何故彼が、僕の名前を知っているんだ。


 会社によっては、社員証を胸からぶら下げているところもあるが、うちの会社はそういう堅苦しいことはしていない。なので、外観から名前を知ることはできない。

 先ほどの受付嬢たちの会話を聞いていたのだろうか。

 いや、彼女たちの会話の後にこの男はエントランスへと、ガラスを破って飛び込んできた。その線はないだろう。


 ならば、僕は、社外にも名前が知られているほどの有名人なのだろうか。

 いやいや、それは流石に自意識過剰というものだろう。


 なんにしても、名前を呼ばれたことで、逃げ出そうとしていた僕の足は止まった。

 そんな僕に間合いを詰めた血濡れの侍は、逃がさんとばかりに僕の肩を握りしめると、その暑苦しい顔を近づけてきた。


 そして――。


「……ちくしょう!! すまねえ、俺の行動が遅かったばっかりに、大変なことになっちまったぜぇ!! すまねえ、友久ぁっ!!」


 なぜか隻眼の端から滝のように涙を溢れさせると、彼は嗚咽をあげはじめた。

 本当に心の底から申し訳ないとばかりに。


 謝られる理由も、こんな暑苦しい男に親切にされる心当たりもなかった僕は、ただただ現状に混乱するしかなかった。


「九兵衛の奴が、お前の娘と契約しちまった!!」


「えっ? 娘って……円香が?」


「あぁ!! あんたは娘のツケを――魔法少女の業という奴を、代わりに払わされることになる!! 未成年の契約に対して、親がそのケツを持つのは、当然の事だろう!!」


「いや、魔法少女に、契約って……言っている意味が分かりませよ。というか、契約だなんて、円香がそんなことを、僕や妻に黙ってするはずがない」


「しちまったんだよぉ!! 九兵衛の奴はそのあたり、言葉が巧みだからよぉ!! 騙されちまったんだ、あんたの娘さんはぁ!!」


 ちくしょう、すまねえ、と、瞼を瞑れば、血糊と一緒に涙が僕の頬に飛んだ。


 うぅん、まったく事情が呑み込めない。

 こいつはいったいなんなのか。

 娘がいったい何をしたのか。

 そして僕は今、何に巻き込まれようとしているのか。


 全部、目の前の男の妄想か何かであって欲しい、そんなことを思った時だ。


「こら、お前!! なんてことをするんだ!!」


「住居不法侵入に器物破損だぞ!! どういうつもりか知らないが、警察に突き出してやる!!」


「くそっ、警備員め!! もうこんな所まで――仕方ない!! ここは一旦退くぜ!!」


 そう言って、侍は僕の肩から手を離すと、こちらに向かってくる警備員に背中を向けて、非常階段の方へと駆けだしたのだった。

 最後に振り返って、僕の方に向かって声を彼は張り上げる。


「俺の名前は野獣X兵衛やじゅうじゅうべえ!! 要友久!! 安心してくれ、お前の股間と社会的な地位は、絶対にこの俺が守って見せる!! 絶対にだ!!」


「……はい?」


 訳が分からないよ。


 混乱する僕をほっぽり出して、その、野獣X兵衛と名乗った男は、非常階段の扉の向こうにその姿を消したのだった。

 いったい、これはなんの茶番だったのだろうか。


「……野良犬にでも噛まれたと思って忘れよう」


 そう思うことにして、僕は当初の目的だった、煙草休憩へと向かうことにした。

 その前に、頬に飛んだX兵衛の、涙と血が混じった汁をハンカチで拭って。


 あぁ、このハンカチ、お気に入りだったのになぁ。

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