第35話00100011 流布

 高田は三浦シオンが亡くなったあの日から毎日理科室に花を手向たむけることを日課としていた。

 

 花の種類は薊。

 毎日、学校の前の花壇から薊を一輪だけ摘んでくる。


 今日もきちんと花を摘んできた。

 ただ今日の花壇はいつもとは違っていた。

 昨日、雨なんて降っていないのにもかかわらずある一ヶ所の土ががやけに多く水を含んでいた。


 かが花壇に水をやったのかもしれない。

 そんな思いで理科室に向かって歩く。

 ただし花を飾る準備のために最初は理科準備室に入る。


 厳重な鍵を開けて理科準備室に入って花瓶を手にした。

 高田は薬品や劇薬があるために理科準備室の管理はいつも丁寧にしている。

 これをおろそかにして生徒になにかあったら困る。

 生徒は大事な宝物だ。

 

 最近、娘と上手くいっていないぶん同じ年頃の生徒にはいっそう気を配っている。

 昨日マヤは帰ってこなかった。

 もしかしたら帰ってくるかもしれないというすこしの期待もあった。

 

 それは一昨日、娘とすこしだけ距離が近づくことがあったからだ。

 きっかけはマヤが半月前に受けた校内の健康診断だった。


 最初の検査で異常が見つかった。

 そのあとにふたたび再検査を受けてその結果が一昨日出たのだった。


 【異常無し】

 

 高田は娘のマヤ以上に喜んだ。

 高田は一言だけ告げた――良かったね。

 

 マヤも一言、――うん。とだけ返した、ただの一言、一往復の会話だった。

 そんなに上手く親子関係が修復なんてしないか?とも思う。

 早くあの桜木ミサとの友人関係を切ってほしいと切実に願っていた。


 高田は花瓶の用意を終え理科準備室から理科室へと向かう。

 

 ――ガチャン。鍵が開いた。

 どこかひんやりとした部屋、視線の先にはいつもの真っ黒な机がある。

 ただしこの日はその黒のなかにほんのわずかな白いエリアが混ざっていた。

 薊を挿した花瓶をことんと机に置いて、それがなんなのか確認しに向かう。

 

 「写真?」


 高田は思わず息を飲んだ。


 写真には人間、それも体つきから推測すると女性だろうと推測できるアザミ高校の生徒・・が写っていた。

 単純だが胸のふくらみだけではなくスカートを穿いているということで女性だと結論付けた。


 なぜ生徒と判断できたのかそれはアザミ高校の制服をまとっているからだ。

 ただ中身がほかの誰かにすり替わっていることも否定できない。

 この人物はおそらくもう死んでいると高田は思った。

 

 なにせ体中に「ミサ」という切り傷があったからだ。

 顔を胸、腹、足、腕ありとあらゆるところに傷が存在している。


 この人物は顔がかすかに特定できるかもしれないというほど傷ついていた。

 しかもミサという傷の下には粘着テープがぐるぐると巻かれていて、やはり個人の特定は難しいだろう。


 そのズタズタの傷は制服の上からけられたようで容赦ない。

 どんな怨みがあればここまでできるのか、いやここまでするのか。

 そしてどんな凶器ならばこんな傷がつくのか? 拷問? 婦女暴行? 高田にそんな犯罪名が過る。


 「本物なの?」


 高田は確証はないがそれを行った犯人が誰なのか気づいている。

 写真の人物は間違いなく桜木ミサで誰かと入れ替わっているわけがない。

 

 それは写真を見たときからすでにわかっていたことだ。

 けれど心の底に押し殺した。

 高田がその写真を見ても取り乱さずに冷静なのはこの写真の人物がそうされる心当たりがあったからだ。


 女性だと結論づけた理由だってスカートでも胸でもない、逆算で写真の人物が桜木ミサだとわかっていたからだ。

 

 高田は傷跡の特徴が同じだと思った。

 一文字目の「ミ」が。

 

 あの日抱きしめた三浦シオンの頬にあった「ミ」の傷跡と桜木ミサの顔のど真ん中にある両目と鼻と口を切り裂く三本線が酷似している。


 とありえない話だ、でも、そうしか考えられない。

 これがいかに超常的なことでも、これをやったのは三浦シオンそうしか思えないのだ。

 そう結論づけることができたのはやはり凶器。

  

 粘着テープや衣類の上からあんな傷を刻むことは不可能だ。

 繊維の障害物がありながら文字の一画、一画を鮮明に切り裂いていく。

 

 ナイフや包丁ではまず無理だ。

 あんな傷のつけかたは超常的な方法でしか負わせられない。


 ――私の復讐はこれから。最初は三日後、つぎは一週間後、そのつぎは五ヶ月後、そして二年後……。


 ――私は必ず……。

  

 シオンがこと切れる間際に残した言葉だ。

 高田はシオンの残したその言葉がずっと心に引っかかっていた。

 だが今日はその日づけたちには当てはまらい。

 三日は過ぎている、一週間も経過した、五ヶ月はだいぶん先の話だ。

  


 シオンの事件以来、職員室はまだ重い空気のままだった。


 「桜木ミサさんは転校することになりました」

 

 職員会議の最後に朝間が告げた。

 職員たちからどよめきが起こるが、それについて誰もなにも訊き返すことはしない。


 「それと新しくうちにきてもらった神野くんには、いま全力で防犯カメラをとりつけてもらっています。あと神野くんはパソコン関係に詳しいのでそういう映像などもパソコンで管理してもらうことになりました」


 職員たちからは賛否の声もあがるが三浦シオンのことがあるためやがてみんな賛同した。

 あの状況を味わうのはもうゴメンだ。

 それが教師すべての総意だった。

 

 高田は朝間の話を聞いて桜木ミサはもうこの世にはいないと確信した。

 理事長がそれを知っているのかどうかはわからない。

 ただ本当に桜木ミサの両親からの意向を述べただけなのかもしれない。

 会議のあと高田は同僚の女教師にこう告げた。

 

 ――桜木ミサさん。じつはもう死んでるって話知ってる? 生徒の間で噂になってるんですって。


 「えっ、ほんとですか?」


 「ええ。これ見て。生徒の誰かが私に添付メールで送ってきたの」


 高田は携帯の画像を見せた。

 それは例の写真をあらかじめ携帯のカメラで遠くから撮影した画像だ。

 つまりミサの死体の写真を携帯で写しただけの荒い画像ということになる。

 

 「えっ、うそ。これ本物ですか? けど画質悪いですね」

 

 同僚教師の当然の反応だった。 


 「本物かどうかはわからないわ。学校ってこういうの流行るでしょ?」


 「そうですね。でも、警察にいったほうが」


 「あくまで噂よ。現に理事長がいま桜木さんは転校したっていっていたし。それに事件性がなければ警察も動かないから」


 「そ、そうですよね? でも高田先生は生徒からの信頼がありますからね」


 「けど、これが撮られた場所って理科室らしいのよ」


 「り、理科室。えっ、じゃあ?」


 「そう三浦さんのこともあるし。生徒はなるべく理科室には近づないようにさせないと」


 「そ、そうですね」

 

 同僚はそううなずいてから声をひそめる。


 「生徒のあいだで話題になってますけれど。三浦さんをいじめてたのって桜木さんだったんですよね?」


 「そうらしいわね」 


 「今回だってお父さんの力でいろいろもみ消したってですし」


 高田はひらめく。

 噂か。それはいい。生徒を守るために高田は初めて噂を流布した。


 【四時四十四分に理科室に入ったら死ぬ】


 噂は噂のまま広がっていく。

 やがて文節は増えていく、そういかにも・・・・な修飾語がついて。

 たとえば「ミサちゃんの怪死」なんか。


 「桜木さんのお友だちたちも休んでますよね? マヤちゃんも、あの、その」


 「ええ、娘も関与していたかもしれませんから、今、家で謹慎させています」


 高田が最後にマヤを見たのは健康診断の話をした日だ。

 それから本当に謹慎させようにも当の本人が見当たらない。

 高田はこれ以上、学校や周囲に迷惑をかけないために翌日、家にはいない娘の退学届けをの手で書き提出した。

 それが親としてできる最後のことだと思う。

 

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