第34話00100010 ジャッジメント ー罰ー

 ――同じく数年前。


 桜木ミサはいま自分がどこにいるのかまったくわからなかった。

 なぜ、こんな場所に? しかもこんなかっこうで。

 

 どうやってここにきたのか? いや連れてこられてたのかがまるでわからない。

 ミサは右耳から、左耳までを粘着テープで覆われていた。


 鼻の下、唇、アゴの三列に渡って粘着テープが貼られている。

 両手もうしろで組れたままで親指は結束バンドで括らていた。


 両足もぴったりと揃えられたまま足首と膝の二ヶ所もロープで縛られている。

 そんな状況だからなのか聴覚、視覚、嗅覚がやけに敏感になっていた。


 どこか埃っぽい臭いと工事用ボンドのような化学薬品の臭いがする。

 耳から聞こえてくるのは街の雑踏とかすかに聞こえる女子生徒たちの声。

 ミサの両目には映るのは目の前を歩いてくるひとりの男だ。


 男はミサの目線の高さにまで腰を屈めて粘着テープの右端をつまんで、なんの気づかいもなく途中までベリっとはがした。

 三列のテープは連結したひと塊のテープになっていて同時に剥がれた。

 テープはミサの左の唇の端でねじれて裏面を見せたままで垂れている。


 「あんたなんなのよ? これハズせよ!?」


 開口一番いい放った。

 ミサはこんな状況でも気が強い。

 生まれてこのかたミサはこんな危機的状況に身を置いたことはなかった。

 いつも誰かがその役割を引き受けていた。

 たとえば両親、たとえば名ばかりの友だち。


 「まさか家出を装って父親にかくまってもらってるとはね?」

 

 「なんのことよ?」

 

 「いつまでシラをきりつづけられるかな?」

 

 「うそなんてついてねーよ!!」

 

 「おまえは五月蠅うるさそうだ」


 神野はねじれている粘着テープをふたたび口に張り直して、唇の上から強く押した。

 ミサの頭がぐわんとうしろに反る。


 一度、剥がしたために口とテープの接着面にやや隙間ができていた。

 ミサはその状態でもまだ罵詈雑言をやめない。


 「おい。これ剥がせよ。剥がせっつってんだろ!?」


 神野はおもむろに立ち上がるとミサにクルっと背を向けた。

 

 「おい、てめー聞いてんのか?」


 粘着テープ越しからでもはっきりとミサの汚い言葉が聞こえた。

 神野はコンクリート製の土管が三本、二本、一本と三段に積み重なっている山に近づいていく。

 

 現代ではほぼ見られない土管の山だった。

 神野は土管の横に回り込んで自分の腹の位置の奥に置いてあった使いかけの粘着テープを掴んだ。

 神野はテープ本体のなかに腕を入れて、ブレスレットのようにして手首で回転させている。


 シオンが死亡した当時になぜ学校にこんな部屋があったのか? それは朝間が経営が傾きかけのときにイチかバチかの勝負で改築を挑んだ場所が残っていたからだ。

 もっとも支払いが滞りその工事もすぐに頓挫した。


 神野はふたたびミサのもとへと向かう。

 テープを持ちながら、歩きつつテープの先をめくる。

 粘着テープのいちばん上の接着面が剥がれた。


 「おい、てめー!!」

 

 神野はミサの前で屈むと無言でそれを口の真ん中に貼った。

 そこを支点にしてそのままテープを右側に伸ばしていった、すぐにミサの頬の位置までテープは伸びた。


 頬を通過して、さらに耳そのまま髪の毛の襟足をも巻き込んでいく。

 左耳、最後に口の中央まで戻ってきた。

 つまり粘着テープはミサの顔を一周したことになる。

 

 神野はそれを何重にも繰り返した。

 コトン。粘着テープ本体が床に転がる、そのまま壁に向かってコロコロと転がっていった。


 ――ん。ん。ん。ミサの言葉にならない声がする。

 何重にも巻かれたテープから出ている額がすこしずつ紅潮していく。

 

 「やっとおとなしくなったか」


 ミサは足をバタつかせている。

 といっても、足首も膝もがっちりと固定されているため足先だけの抵抗だ。

 

 粘着テープはパッと見るかぎりミサの顔を五周はしていた。

 そこまでキツめにテープを巻くと頬の肉が盛り上がりテープの上にはみだしている。

 大きな目もいまや頬肉に押されて細長になっていた。


 「シオン」


 神野は宙を見上げた。

 神野の呼んだ名前にミサは一瞬だけ動きを止めた。

 細い目の眼球なかが、どうなっているのかはわからないがミサも神野が見ている場所を見ている。


 その場に吸い込まれるようになにか気体のようなものが集まってきた。

 ただ、はっきりとしたシオンにはならなかった。


 出現の周期がずれているためだ、それでも忌まわしい桜木ミサのためにシオンはやってきた「0」と「1」から。

 言葉をだせないミサはほとんど動かすことのできない顔を小刻みに振っている。


 ――ん。ん。ん。


 なにかをいいたげだった。

 足先も尋常じゃないほどの速さでバタつかせている。

 ローファーの靴底が埃塗れのコンクリートにバタバタと当たる。


 「おまえなんで学校にきたの? あの日から三日間は登校したけどそこからずっと逃げてるよな?」


 ――ん。ん。ん。


 「そっか話せないんだっけ?」


 ミサは首を縦に大きく振ろうとするが、粘着テープで固定されているためわずかに顔が揺れただけだった。

 ミサの背筋に冷たいものが走る。


 「俺が代わりに答えてやるよ。パパの知り合い・・・・の朝間猛から電話があったからだよな?」


 ミサの動きが急に静まった。


 「――これからのことで相談があるから学校にきてください。ってな」


 ミサはまだ動かない。

 さっきまでの、――ん。ん。ん。とさえいわなかった。


 「おまえはそうして学校にきましたとさ。そして理事長室に入ってからの記憶はありません。ってこと。さあ、シオン」


 神野は気体のシオンに呼びかけた。


 ――桜木さん。もしもし朝間ですけど、あまりにお休みが多いと単位に関わるので一度学校を訪ねてください。理事長室でいいので。お父様にはもう了解をとってあります。よろしくお願いいたします――


 シオンの声は朝間の声そのものだった。

 ミサはすぐにわかった。

 あの電話は偽の電話でいま目の前にいるシオンと呼ばれたモノの声だと。

 

 ミサはまだ動かない、いや、こんかいは動けないのだった。

 恐怖、心の底から湧き上がる恐怖だ。

 全身寒気がする。


 寒い、体が寒い、違う皮膚の下が寒いんだ、いや、違う寒いのは骨の中。

 ミサはどっぷりと恐怖に浸かっていた。

 人の声色を真似ることのできる存在。

 人ではない物体、シオン。


 ミサにはその名に心当たりがあった。

 そう、自分がいじめていた同級生の三浦シオンだ。

 

 けれど自分がいじめていたあのときの面影はない。

 でも目の前の男はたしかにそう名前を呼んだ――シオンと。


 そして確信に変わる。

 十一日前にこの世を去った三浦シオン。

 死んだはずの三浦シオンが自分に復讐しにきたのだと。


 ――ん。ん。ん。


 こんどは弱弱しい声が粘着テープの裏からもれてきた。

 それは助けてと懇願しているようだった。

 だが、それはか細く消えていった。


 「おまえさ。何回シオンを傷つけたの? シオンの苦しむ姿を見てなにも思わなかったの?」


 ミサはテープ越しからでもなにもいえなくなった。


 「やられたらやりかえしていいよな? 俺さ、父親のことあんま尊敬してないんだけど。こういってたんだよ。――目には目を歯には歯を。だからわかるよなおまえがどうなるか?」


 ミサの粘着テープはミサがずっと首を振りつづけていたためすこしの緩みができていた。

 それを機にミサはおもいっきり頭を真横に振った。

 

 ――お願い。――お願い。――助けて。

 

 そんな言葉が振り回す頭から零れてきそうだ。

 ミサは神野のいった――目には目を歯には歯を。ということを理解したわけではない。


 ミサは意味合いがわからなくてもこの先に待っていることはわかる。

 最悪の結果しかない。

 神野は感情なく能面のようにまったくわない笑顔・・を浮かべた。


 ミサは――やめて。そういう意味で首をブンブン振っている。

 この絶望の表情からすると、そこには――ください。という丁寧語がついているのかもしれない。

 ――やめてください。ミサはそんな言葉を口にしたことはない。


 「あれ泣いてるの? シオンだって泣くほど辛い思いをしてきたんだけど」


 ミサの細まった目から透明な雫がこぼれる。


 ――ん。ん。ん。ん。ん。ん。


 「けど安心しろよ。俺はフェアだから。おまえの終わりはシオンに任せてある。じゃああとはふたりで」


 ――ん。ん。ん。ん。ん。ん。ん。ん。ん。


 声にならない声が粘着テープのなかに籠っている。

 ミサはいまだ脳震盪のうしんとうを起こしそうなほどに頭をふっていた。

 足先も壊れたゼンマイ人形のようにバタバタさせている。


 「じゃあな」


 神野はミサに背を向けた。


――――――――――――

――――――

―――

 

 神野はその部屋からでると両方の人差し指を立てて両耳に入れた。


 「あいつはあの状態でも五月蠅うるさそうだ」


 神野の耳には指を入れたときに鳴る――ぶおーんという音を聞いている。

 子どものころにもこんなふうに耳に指を入れて遊んだことがあったな、と思いながら、しばらく耳のなかに指をだし入れする行為を繰り返した。

 

 指を抜いたときだけ女の悲鳴と泣き叫ぶ声が聞こえる。


 「やっぱり。五月蠅うるさい。静かになったあとは良い場所に棄ててやる」


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