第32話00011111 防犯

 「俺はぜんぶ観てたから」

 

 「み、観てた?」


 地居は唇を震わせている。


 「ほら、防犯カメラ」

 

 「ど、どこにそんなものが」


 麻生はキョロキョロと辺りを見回した。

 ――覗きどころか盗撮? という言葉が口をつく。

 

 でも半面は口からでまかせなのかもとも思う。

 それらしきものは見当たらない。


 「俺は真剣に防犯目的でカメラを設置したんだ。理事長の要望でもあるしね」


 神野は冷たい笑みを浮かべてスローモーションのように体育館倉庫の天井を指さした。


 「そんなカメラなんてあるわけない」


 麻生は半信半疑でふたたび天井をくまなく目視した。

 カメラなんて存在しない、やっぱりうそだと思ったときその場所にあって当然のものがあった・・・


 「も、もしかして」

 

 「気づいたか?」


 神野もその物体を見上げていた。

 麻生は神野の指から架空の点線を伸ばした。

 点線の延長線上にとある物体があることに気づく。


 「なに。なに?」


 地居は麻生に答えを急かす。


 「あ、あれ」

 

 麻生が向けた指の方向、つまり神野の指先の合流地点には直径七センチほどの円く白い物体があった。

 

 円の中央はもう一段、円がせりだしていて上下左右の四本足がそれを支えている。

 せりだした円の真んなかに凹んだ黒い点がある。

 その脇からは地に向かって短い紐が垂れ下がっている。


 「か、火災報知器」


 麻生はその名前をいった。

 物体にもはっきりと製品名とメーカーそして【火災報知器】と書いてある。


 「火災報知器……じゃああのなかに隠しカメラが……?」


 地居は驚いて思わず声を上げた。

 驚くのも無理はない地居の思っていた隠しカメラは部屋の隅に設置してある認識だからだ。


 「そう。生徒をいじめ・・・から守ってあげないと、と思って。それには誰にも気づかれない場所にカメラを仕掛けないと意味がないだろ?」


 麻生と地居はたった一度だけ胸をドコっと叩かれたような鼓動が走った。

 それはまるで心臓が神野から逃げたがっているようだった。

 ふたりには思い当たることが多すぎた。


 神野は自分の口元に人差し指を上げた。

 静かに。そんな意味のジェスチャーだ。

 静まり返った体育館倉庫内に――ぶわーん。という換気扇の音が響いている。

 

 神野は壁に沿って歩き照明スイッチなどが並んでいるいちばん下のスイッチを押した。

 【換気扇】と簡易的なシールが貼ってある。

 ――ぶわん。っという音につづいて、――ぶわわわん。と羽の速度が減速していく音が数秒つづき換気扇は完全に止まった。

 

 神野はふたたび自分の口の中央に人差し指を当てる。

 さっきと同じ意味だ。

 ジジジジ、ジジジジという微音びおんがしている。

 音の出元はあの火災報知器だ。


 「これでわかっただろ? この小さな音がカメラの動いてる合図だ。それを掻き消すようにつねに換気扇は回ってる。換気扇の音に紛れてカメラが気づかれないようにな」


 麻生と地居の胸にいま去来していること、それはこのカメラがいつからどの場所に存在していたのかだ。

 校内のすべての火災報知器にカメラが仕込まれているのか? それが暴かれれば罪の上にさらにいくつもの罪が重なっていくことになる。


 ふたりはどうしてなのか高田を殺めたことはすぐに受け入れたのに、毎日のように三浦をいじめていたことはバレたくないと思った。


 理由はそんなに難しいことではなかった、ただの回数の問題だから。

 高田は麻生のたった一撃で絶命した。

 回数でカウントするなら、たった一度だけの攻撃だ。


 ところがどうだ三浦に対しては小さなものをふくめると、一日、数十に及ぶ攻撃を加えたことになる。

 一週間、一ヶ月、自分たちはいったいどれだけの攻撃を加えたのかそう思ったのだ。


 「大丈夫。大丈夫」


 神野は蒼褪める麻生と地居に優しく声をかけた。

 神野のいう大丈夫は高田の遺体の処理のことだ。

 

 ただ麻生と地居にとってその神野の大丈夫は殺人に比べればいじめなんて小さなことだという意味に補正された。


 「この娘を殴ったのも不可抗力だろ?」


 「えっ、ええ、そ、そうです」


 麻生の舌が絡まった。

 高田を殴ったことは不可抗力でもなんでもない瞬間の殺意によるものだ。

 麻生はすでに地居よりも深い場所で神野に取り込まれはじめていた。


 それはなぜか神野に秘密のすべてを暴かれてしまったことが理由だ。

 じっさいはただの思い込みなのだけれど。

 

 つまり麻生は思考を放棄して神野にすべてを委ねたのだった。

 麻生が援助交際している理由は金ではなく男への依存だ。

 ただしそれは誰でもいいわけではない自分よりも頼り甲斐があって知能の高い相手。

 

 「きみたちくらいの歳ならままあることだよ。友情決裂とかね。ふつう。ふつう。偽善とかって邪魔だよな?」

 

 「そ、そうなんですよ」

 

 「でもきみたちにはまだ良心が残ってる。親しい人を殺してしまった場合顔を隠くすことが多いらしいから。親しいと顔が見れないんだろうね逆に・・。きみたち優しいね?」

 

 「えっ?」

 

 麻生と地居のふたりは自分たちがさきほどした行動は人間の心理に基づくものだったのだと気づく。

 占いにはまる年頃の女子高校生らしく神野の言動に呑まれていった。


 「けどなんでその娘。突然寝返ったの?」

 

 「さあ。ただ小さいころお母・・さんに人の物は盗んじゃダメだっていわれたって」

 

 「へー。できたお母さんだこと」

 

 「けど、マヤだってミサに命令されてるとはいえ三浦の」


 地居が口をすべらしたとき麻生は地居に向かって声を荒げた。


 「バ、バカ」

 

 神野はすぐさま三浦という言葉に反応した。

 いま「三浦」っていったよな?

 神野は己の表情が一変しようとする手前で感情を殺した。

 

 その感情とは額に血管が浮かびあがるような起伏のあるものだ。

 顔がぐちゃぐちゃに崩れる怒りの表情を抑制した。

 神野は憤怒の集合体を圧縮して圧縮してなおも圧縮して頬の筋肉をたった一ミリ動かすだけにとどめた。

 

 「三浦ってあの十日前に亡くなった例の?」


 神野はなんの乱れもなく訊いた。


 「そ、そうです」


 麻生はもう隠し立てできないと思い薄情した。

 ただ麻生は三浦をいじめていた関係者だとバレてもよかった。

 麻生が恐れたのはミサからの復讐だ。

 

 それが思わず麻生の口をついた――バカ。だ。

 この話が発端でミサに話が伝ってしまうことが怖かった。

 神野は努めてふつうに振る舞う。


 「きみたちなにを知ってるの?」

 

 「それは……」


 麻生の頭にあることが浮かんだ――きみたちなにを知ってるの? 神野のこの質問に、あれっと思う。


 もし自分たちが三浦をいじめていたことを知っていたのならこんな質問はしないのではないのか、と。

 そうなると現状、神野に握られている秘密は高田マヤの殺人と万引きについてだけだ。


 いじめのことは知られていない……。

 麻生はおのずとカメラの設置時期がいつなのかを考える。

 おそらくだ、理事長は三浦の事件があったために監視役で神野を雇い入れ防犯カメラを設置させた。


 カメラの設置は早くても三浦の事件後でマスコミや警察がきていたあの日が最速、という答えになった。

 ただしその日の今日で注文して校内に防犯カメラの設置まではしないだろう。

 

 だったらカメラの設置はいちばん早くても今日から九日前くらい。

 どのみち三浦が死んだあとだ。

 麻生と地居にとって好都合なことに、そのあいだは誰もいじめていない時期。

 よって校内でいじめというものは存在しなかったことになる。

 すくなくとも麻生と地居には、だ。

 

 ただミサだけは違った、あんな事件のあとでも大人しい娘をいじめていた。

 それほど病みつきになっていたのだった。


 麻生にいま芽生えた感情がある。

 それは神野に対する殺意にほかならない。

 ここでこの男を殺せば情報の漏洩は防げるそれに金も払わなくていい。

 

 ただこの思いは刹那的なあまりに稚拙な感情だ。

 そう瞬間的に高田マヤを撲殺してしまったような一時の気の迷い。


 「まあ、いいや。それよりきみたちの名前は?」

 

 「私は麻生ヒメカ」

 

 麻生は、すこしずつあとずさる。


 「麻生ヒメカ」


 神野はそう反唱してから、――ヒメカちゃんね。といった。

 すぐに地居にも訊ねる。


 「キミは?」

 

 「私は地居サリナ……で……す」


 神野のなかで計算がはじまる。

 シオンのいっていたイニシャルと重なっていく。

 「A」「T」「G」「C」。

 こいつらはシオンのいじめのことを知っていた。

 

 「A」が麻生ヒメカ、か。

 そして「C」が地居サリナ。


 「そう地居サリナ。サリナちゃんね。あっ、ちなみにそこの彼女は?」


 神野は床で寝ている高田を指さした。


 「ああ。高田マヤです」


 神野のパズルが埋まっていく高田マヤ……「T」か。

 こいつもか。

 あと、残り「G」は誰だ?


 「高田マヤ、か。マヤちゃんは俺がきっちり処理しておくから。あのさ、あと同じクラスに“G”のつくイニシャルの娘っていないかな?」


 麻生は神野を見据えたまま、ある場所で膝を深く曲げてしゃがんだ。

 神野の言葉がふと麻生の動きを鈍らせた。

 どうして“G”のイニシャルなんて訊くのだろうか? 

 

 もしかしたら三浦の事件のときに蒲生がいたことを知っているんじゃないか。

 麻生はあらためて逡巡する。

 本当は私たちのいじめを知っている?


 「ジーですか。思い当たるなら。蒲生エリカですけど。けど蒲生は三浦。じゃなくて三浦さんが亡くなったのがショックでずっと休んでますけど」


 神野のパズルは完成した。

 「G」、見つけた蒲生エリカか。


 けどそいつは多少なりとも人の心があるみたいだなGは後回しにするか。

 まずはこいつらからだ。

 神野は麻生が高田マヤを殴った金属の棒を握りしめるところをはっきりと見ていた。


 「きみたちって桜木ミサさんと友達?」


 「ええ。はい。わたしたちのグールプのリーダーです」


 「そう。休んでるけどなんで?」


 「そのうちくると思いますよ。休んでる理由はちょっと……」


 地居はうそをついた。


 「あっ、桜木さんも三浦さんのことでショックを受けて……」


 地居のいった言葉を訂正するように言葉を変えた。

 地居はミサが休んでいる理由を知っている。

 三浦シオンの事件が沈静化するまでの時間稼ぎだと。

 

 神野にはミサが休む理由なんてどうだってよかった。

 自分が欲しかった言葉を聞けたのだから。

 

 ――わたしたちのグールプのリーダーです。それが神野にとっては宝の言葉だ。

 

 リーダーが桜木ミサであれば復讐すべき相手のATGCは間違いなく麻生ヒメカ、高田マヤ、蒲生エリカ、地居サリナということになる。


 シオンの記憶から欠落していた答えが完全に埋まった。


 地居サリナおまえがバカで良かったよ。

 そしてそのうしろバカはもっとバカ・・だ。

 本当にいきあたりばったりだな。

 ついでに俺も殺してしまえってか? 神野の現在の心境はそんなところだ。


 麻生は神野におもいっきり金属の棒を振り下ろしてきた。

 すべての体重をかけて剣道の振りのごとく殴りかかる。

 がこん。床をえぐるような一撃。

 神野はあらかじめその軌道を読んでいてなんなくかわした。

 しょせんは華奢な女子高生の攻撃、神野がそれを避けるのは造作もないことだった。


 「俺まで殺す気か?」


 地居はなにが起こったのかわけがわからないでいる。

 ぽかんと口を開けたままで麻生を止めることもしない。 

 神野は鍵をしまったのとは反対のポケットから小さなガラス製の瓶を素早くとりだした。

 ふたに親指をかけてポンと弾く。

 それは片手でも開閉ができる造りだ。

 

 麻生は床を擦る金属の棒をまた振り上げようとしている。

 そのモーションの最中で神野は無味無臭の液体を麻生に――バシャ。っとかけた。

 いまなお呆然としている地居の顔にも浴びせる。


 ――ごろん。麻生が握っていた金属の棒が数回コロコロと床を転がり棒の先端が高田の脇腹でバウンドして止まった。


 麻生の「ギャ」という第一声から始まって「ァァァ」という述語が延々とつづく。

 地獄の断末魔といえば適切な悲鳴だ。

 すこし遅れて地居の絶望と悲鳴も合わさった。


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