第31話00011111 神の救済

 ――助けてあげようか? その声は密閉されていたはずの鉄製扉の向こうから聞こえてきた。

 ふたりは急に背中を丸めて肩を竦めた。


 麻生と地居は互いに声をかけることもなく自然と寄り添うように近づいていた。

 地居はまるで子どもが母親の手を握るように麻生の腕の掴んでいる。

 

 「だ、誰?」


 麻生は扉にそう返してから扉側に一歩足を差しだした。

 地居もそれに従う。


 ふたりは結婚式でケーキにナイフを入れる夫婦のような態勢で扉に近づいていく。

 おそるおそる扉へと歩み寄る。


 「俺は神」


 若い男の声がした。


 「神?」


 麻生の足がここで止まった。

 だが地居が麻生の手を引っ張る形で二歩進んだ。

 

 着々と扉への距離が縮まっていく。

 扉からは――。ただそれだけの返答だった。


 「? 野ってなに?」


 麻生が代表者として応答していく。


 「俺は神野っていうんだ」


 「神野? ああ名字……か。ごめんなさい。えっと大丈夫です」


 「だから助けてあげようか?」


 「な、なんのことですか? 私たちなにも困ってることはないです」


 「本当に?」


 「ええ。すみません。いま、ちょっと取り込み中で」


 「取り込み中? 殺しちゃった友だちのことで……?」


 神野の核心をついた言葉に麻生も地居も固まった。

 バレてる? なんで? どうして?

 ふたりに疑問符だけが過る。

 

 頭が真っ白になってもうなにも返答することができなくなっていた。

 ふたりはただ黙ってお互いの体を密着させた。


 「……」


 「なあ、悪いようにはしないからここを開けてくれないかな?」


 「……」


 「聞いてる?」


 「……」


 「そっか。開けてくれないならこっちから開けるけど?」


 麻生と地居の目の前の扉の取っ手がグラグラと揺れた。

 扉の反対側でもがちゃがちゃと音がしている。

 

 それに加わって複数の鍵がじゃらじゃらとぶつかり合う音もする。

 明らかに開錠をしようとしている雰囲気が扉の向こうから伝わってくる。


 「……」


 地居は言葉を失っていた。


 「な、なにしてるの。な、なにが目的?」


 麻生がおそるおそる絞りだした言葉だった。


 「なにってキミたちを助けてあげる」


 神野がそういい終わったと同時にカチャっと開閉音がした。

 麻生と地居は身構えた。

 これでなにもかも終わりだ、と。

 

 鉄製の両開き扉の片方がゆっくりと開かれた。

 ゴクッ。ふたりは息を飲んだ。

 顔をのぞかせた人物があまりにきれいな男だったからだ。


 神野は自分が侵入できるだけのスペースを開くと、すこしだけ体をねじらせて体育館倉庫に入ってきた。

 これは神野の心遣いだ。


 あまり大きく扉を開くと後方からここの様子が丸見えになるかもしれない。

 そんな意図によるものだ。

 ただしその後方には誰もいないのだけれど。


 「イ、イケメンなのに覗き?」


 地居は神野のそんなさりげない仕草にどことなく心を許しはじめた。

 地居は紳士的な仕草を嗅ぎ分ける嗅覚を持っている。


 本当に自分たちのことを隠してくれている。

 すこしだけそう思った。

 それでもここにきた理由がわからないかぎりすべてを信じることはできない、とも思う。


 「まあね」


 神野は否定しない。


 「けど、ここ体育館倉庫だよ」


 麻生のこの言葉は神野にではなく地居に向けられたものだ。

 麻生は地居とは反対で神野のことをまったく信用していない。


 「そっか更衣室じゃないから。覗きなわけないか?」


 地居はひとり納得する。

 麻生は考える。

 ここで悲鳴を上げる……そんなことをしたらダメ。

 なにもかもバレてしまう。

 誰かに助けを求める……これもダメだ。

 いまはこの男に従うしかない。


 「あなた誰なの? ここ女子高の体育館倉庫だけど、それにその鍵どうやって手に入れたの? まさか盗み?」


 地居は神野の持っているじゃらじゃらした鍵の束を指さした。

 神野はそれを宙に浮かせる。


 円になった細い鉄にいくつもの鍵がぶら下がって揺れていた。

 その場で神野は鍵の束を自分の胸の高さまであげ――ああ、これね。とゆっくり上下運動させた。

 じゃらんじゃらんと鍵の束がさらに強く揺れる。


 「この鍵は理事長に借りたんだよ」


 「理事長?」


 「ああ。俺、アザミ高校で働くことになったんで」


 「働く?」


 「そう。俺ここの用務員で雇われたの。よく考えてみなよ? 俺がここを覗く目的で鍵を盗すんだとしたらこんな鍵の束は持ち歩かない。鍵一本だけ隠し持って体育館倉庫にくるかな」


 「そ、そうれもそうか」


 地居はすぐに納得した。

 どころか鍵の束を持って体育館倉庫にきたことで本当に自分たちを助けてくれるのではとさえ思いはじめている。


 「それにさ。鍵の束を持ってここにきてるってことは理事長にこの鍵を預かった証拠にならない?」


 「……」


 麻生は反対に押し黙ったままだ。


 「そうだね」


 地居はそれ以上頭が働かずすぐに同意した。

 神野はジャケットのポケットに鍵の束をしまいながら机の上で山積みになっている化粧品を見た。


 そこで初めてうしろに回した手で右、左と扉をがっちり閉めた。

 体育館倉庫に入ってすぐに扉を閉めたのでは警戒されるとう思いもあった。

 いまが頃合いだと神野は思う。


 神野は扉を閉めたことでふたつのことに成功していた。

 ひとつは密閉空間を作りあげること、そしてもうひとつは地居の心の隙間に入り込むこと。


 「あ~あ。これでモメたのか。これぜんぶ万引きだろ?」


 「……」


 地居も麻生もなにも答えない。

 返す言葉もなかった、けれど表情がすべてを自白していた。


 「隠したってわかるよ」

 

 神野は机の前までぽつぽつと歩く。

 山のなかから適当に商品を手にとって商品名やデザインを眺める。

 商品を持ったままふたたび化粧品の山に目を向けた。


 持っていた化粧品をポンと放る。

 また無造作にほかの化粧品を掴んでは品定めするようにして机の上に放り投げ、別の化粧品を眺めて手にとる。

 神野の眼はまるですべての商品をスキャンしているかのようだった。


 「まったく同じ商品が大量にある。……ふつうに使うとしてもさすがにこの量は買わないよな? これは全種類をかたっぱしから盗ってきた感じだ」


 「そ、それは……ちょっとストレスで」

 

 神野のいっていることがぜんぶ正解・・だという意味で地居がいい淀んだ。


 「そうよ。それぜんぶ私たちが盗ってきたの。でも突然マヤが正義感せいぎかんぶって店に謝りにいくなんていうから腹立って殴っちゃったのよ」


 麻生は初めて神野にのある話をした。

 麻生は神野を信用したわけではないかった。

 どちらかといえば自棄じきによる諦めそして開き直り。

 自分よりも知能が高いと察したゆえの告白だ。


 「警察にいくなり学校にいうなり好きにしてよ」


 麻生は投げやりだった。


 「行かないよ。だから俺はきみたちを助けにきたんだって」

 

 神野は心のなかでこう付け加える――こんかいだけだけど。


 「それ・・僕が処理してあげようか?」


 神野がそれ・・といったのは今もなお無慈悲に床に寝そべり顔をカーテンで覆われた高田のことだ。


 「えっ」


 地居も麻生もぎょっとした。

 どんな理由があってそんな発想になるのかと疑問に思う。

 麻生も地居も単純に思ったことはこの男が求めるのは「金」か「体」の二者択一だった。


 麻生は金なら無理だ、そう思った。

 体なら、まあいいか、なんせそこら中でってるんだからと。

 

 地居は思った。

 お金なら親に頼めば……十万円ぐらいにはなる、と。

 

 地居は殺人の隠蔽がそれくらい安く済むと思っている幼さがあった。

 ただし貞操からだだけは絶対にイヤ。

 いちばん最初はいちばん好きな人に捧げると決めていた。


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