第30話00011110 友だち
――数年前、アザミ高校、某所。
ぼこん。音で表現するならそんなふうな音だった。
それだけでなにかが凹んだあるいはもっと深くまで陥没したかもしれないと連想させる音だ。
麻生ヒメカと地居サリナはしばらく立ちつくしていた。
――ぶわーん。――ぶわーん。
部屋の換気扇は人為的にスイッチを押す以外目下でなにが起ころうとも止まることはない。
ふたりの目の前にはこめかみから血を流した高田マヤが横たわっている。
コメカミには大きな窪みがあり皮膚もめくれ骨がすこし露出している。
高田マヤの口と瞳孔は開いたままでその両目は怨めしそうに麻生と地居を見ていた。
高田マヤの――どうして。――許さない。が同居するような視線が麻生と地居をその場に縛りつける。
休み時間にやるように二脚の机がぴったりと合わさっている。
机のうえには流行りのリップグロス、コンシーラー、ファンデーション、マスカラなどの化粧品が節操なく山積みになっていた。
そのまま山崩しゲームでもできるほどの量だ。
山の大きさから推察すれば化粧品コーナーの棚の半分ほどの品数だとわかる。
どれもこれも値札はそのままで同じ種類のものが複数存在していた。
同種でまとまっているのはその束ごとごっそりと掴んだからだろう。
値札にはアザミ高校の近くにあるドラッグストアの名前が入っていた。
つまりはここにある
麻生は先の錆びた鉄の棒を握ったままだ。
もっともいまその腕に力はなくだらりと垂れ下がっている。
棒の先には血と皮膚片が残ってはいるが血が滴るほどの量ではない。
「ヒメカ……どうすんの?」
地居にそういわれた麻生は一瞬、苛立った。
「どうするたって……」
答えたあとにさらに強くいおうするところを冷静に押し殺した。
「が、蒲生のせいとかにできないかな?」
それは地居の発案だった。
いまここにいない人間への責任転嫁。
「どうやって? あれから学校きてないのに」
「だからよ」
地居はいまだにそれが名案だとでもいうふうに話をつづける。
「いない人間がどうやってマヤを……」
「学校にきてないからこそよ。三浦が死んで頭おかしくなった蒲生が学校に不法侵入してマヤを殴ったってどう?」
「そんなこと……ありそうな気もするけど。でもやっぱり無理よ。そんな上手くいくはずがない」
当然、麻生は地居の提案を受け入れることはできなかった。
それをいったところで警察が調べるまでのほんのわずかな時間稼ぎにしかならないからだ。
「じゃあミサに頼んでミサのパパになんとかしてもらおうよ?」
「ミサのパパだってさすがにこれは無理だよ。だってマヤ死んでるんだよ。いくら政治家だからってなんでもかんでもできるってわけじゃないよ」
「けど三浦のことはなんとかしたじゃない?」
「それは実の娘だからでしょ。娘のためならなんだってするわよ。それに直接ミサが三浦を殺したわけじゃないし。あいつは
麻生は角をとったオセロのように地居の言葉をひっくり返していった。
「そうだけど。じゃあ、あの日ミサがしたことを警察にいうっていえば」
「そんなことしたら私たちが三浦にしてたことがバレる」
「そっか……。でもさ元をただせばいっつもミサが無理難題を押しつけるからでしょ?」
地居は不機嫌そうにいった。
「だから私たちはストレス発散でこの化粧品を……」
つづけながら肩を落とす。
「とにかく。ミサが私たちになんてなにもしてくれるわけがない。期待なんてしないほうがいいよ」
麻生が遮る。
ミサを頂点とするスクールカースト。
校内だけで成立する上辺の関係がすぐにわかった。
「う、うん」
麻生の言葉があまりに的を射ていて地居はついに返す言葉もなくなった。
麻生はこの段階でなにを優先すればいいのかを必死に考えている。
高田のコメカミから滲みでた血が高田の両目を真っ赤に染めていた。
充血したような目はなおも麻生と地居をじっとり見ている。
――きゃ。地居は思わず声をあげた。
血が噴きだしたような高田の眼球に驚いたのだ。
高田の目には何本かの赤い液が流れ込んでいで、それがカラーコンタクトのデザインのように染まっている。
「サリナ。な、なによ急に?」
「だってほら」
地居は高田から目を背けておおよその感覚で高田の目元を指さした。
あってずっぽうの先に無言の高田がいる。
「……なに?」
――うわ。麻生も小さく悲鳴をあげた。
そんな目で見ないで。そんな思いで麻生も高田から目を逸らす。
一度だけちらりと見なおしてから自然と手ひらを向け物言わぬ高田を拒絶した。
麻生の首は高田を拒んで別の方向を向いている。
片手にはいまだ金属の棒を握ったままで体を動かした反動で金属がズルっと床に擦れた。
「マヤの顔を隠そう。ダメ、見てられない」
「どうやって」
ふたりは高田のいる場所を避けながらきょろきょろと周囲を見回した。
積み重なった体操マットがある。
横には白線の上などに置いて使うカラフルなコーンが五、六個重なっていた。
逆方向へと視線を移すとバスケットボールの入ったカゴとバレーボールの入ったカゴがある。
カゴの網目の奥に見えるのは得点ボードだ。
もう一台の得点ボードがあるがこちらの得点ボードは右側のパイプが外れていて点数をカウントする数字が右下に傾いていた。
つぎは部屋の中央に視線を走らせる。
跳び箱の裏から洩れている何本かの陽射しに気づく。
伸びた陽射しがちょうど高田の上靴の一部に陽だまりを作っていた。
不可抗力で高田を見てしまった麻生は、――うっ。と自分の口を塞いで声を押し殺した。
眉をひそめ、また顔の角度を変える。
「そ、そうだ。カーテン!!」
「カーテン?」
「そうレースのほう」
「まさかそれで顔を覆うの?」
「そうよ。だってマヤの顔怖いんだもん」
金縛りに遭っていたような麻生は――床に鉄の棒をごとんと置いてその場からやっと動きだした。
ふたりはレースカーテンを剥がすために高田を避けて跳び箱を手前に引いた。
跳び箱が――ズズズ。と床を擦る。
「ヒメカどう?」
「まだ。私がそこに入れるくらいまで隙間を作らないと」
「これでどう?」
跳び箱がまた前に出てきた。
「いいか……な。私がとってくる」
麻生は跳び箱の一段目の上に手を乗せた。
「わかった」
麻生は体を横向きにして跳び箱が約四十五度ずれたあいだにすり足で入っていった。
両手を跳び箱のいちばん上に置きそれを
麻生はカーテンを目の前に手を伸ばし初めて気づいた。
「あっ、ダメだ。届かない」
「えっ……もう。こんなときに」
地居は焦りの色を見せる。
「私こっちから押すからサリナはそっちから引っ張って」
麻生はその場で跳び箱を地居側に押した。
「わかったけどどうするの?」
「いいから。それは動かしたあとに話すから」
地居は麻生の対面で跳び箱を引く。
麻生の押す力と地居の引く力が合わさって――ズズズズ。跳び箱がスムーズに動いた。
「よし」
麻生の合図だ。
カーテンと跳び箱のあいだが鈍角になるほどに広がっている。
「これくらいでちょうどいいと思う」
麻生は跳び箱の持ち手に両手を入れて一段目を持ち上げた。
それをカーテンの前に置き踏み台代わりにして乗った。
カーテンをザッ、ザッ、ザッっとすこしずつ開いていく。
麻生はつぎにレースカーテンに手を伸ばした。
まだすこし高い場所にカーテンフックがあるために跳び箱の一段目で爪先を立てる。
爪先立ちのまま右端のフックをはずす。
順番にフックをはずしていくと五つめですべてのフックがはずれてレースカーテンがとれた。
足の裏を跳び箱に完全に密着させてから腕のなかでレースカーテンを丸める。
レースカーテンを丸めるたびにレースカーテンから放たれる埃が日の光で粒子状に見えた。
「うわ。埃すごっ。サリナこれ」
麻生は手で鼻と口を塞ぎながら、地居にレースカーテン差しだした。
「あっ。うん」
地居は跳び箱を挟んだ向かい側で両手を大きく広げて麻生からレースカーテンを受けとった。
膝を支点にいったんレースカーテンを真横に広げる。
それを細かな長方形になるようさらに折り畳んでいった。
「じゃあマヤの顔にかけとくね」
「うん。お願い」
地居は薄目で高田のところに歩み寄ると高田の顔面すべてを覆うようにかぶせた。
「……ごめん。マヤ」
地居の良心がすこし痛んだ。
麻生はレースカーテンをとりはずしたために前側にある布カーテンを閉める。
そして体を横に向け跳び箱のあいだを通ってまた高田のもとへとやってきた。
「マヤの顔隠せた?」
麻生は高田を一瞥した。
カーテンは死者の顔に被せる
「これで。いい?」
「OK」
「ヒメカ。それでこれからどうする?」
「どうするたって……。どうしよう」
当初の目的は達成したはいいが、つぎの一手が思いつかずに当方に暮れはじめる麻生。
地居もつられて肩を落とした。
「マヤを移動させようにもね。引きずっていくわけにもいかないし」
「ヒメカいっそ本当のことを警察に」
「サリナ。ダメよ。顔にカーテンかけた時点で死体を隠そうとしたって思われる。もう手遅れよ」
「こんなとき神様が助けてくれたりしないかな……」
地居はぽつりと呟く。
「こんな私たちを助けてくれる神様なんてどこにいるのよ? いるわけないよ」
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