第29話00011101 サバト

 神野、高田、黒木、三浦希は放射状に吹き飛ばされていった。

 人間、四人がそれぞれ――どすんどすん。と壁にぶつかる鈍い音がした。

 

 黒木と三浦希は気を失ったようでぴくりとも動かない。

 高田は血を拭きとったようなシミのある床でゆっくりと上半身を起こした。

 

 「神野くん。今回、根元愛美、工藤真理、三浦サツキをしたのはあなたよね?」


 「よく気づいたな? そいつらはいじめを主導している悪い娘だからな」


 神野は仰向けのままじっと無声映画でも鑑賞するように天のスクリーンを見つめている。

 その表情はなにもかもが終わったように晴れやかだった。

 

 「どういう理由であれあなたが勝手に手を下すことは許されないわ?」


 「そういう説教はいずれ聞くよ」


 「……三浦さんの事件以来、この学校の周辺では毎年行方不明者がでている。その噂の影響も相まって生徒が激減した」


 「……私がいた当時は生徒数も多かった。だから高田先生があの当時にいた先生だと気づかなかった……いえ、気づけなかった」

 

 薄っすらと意識をとり戻した黒木は片方の唇をぴくぴくと引きつらせながらいった。

 黒木が気づけなかったのはただ単に生徒数問題だけではなく高田の容姿の変化も大きな要因だった。

 あまりに大きく容姿が変わっていたために外見だけでの判断は難しく、それほどまでに呪いの影響があったのだと想像できる。


 「黒木先生。あんた元々記憶が飛んでるんだろ?」


 神野は視線を送るわけでもなく首に手を当てながら素っ気なく訊いた。


 「そうなんですけど……どうして……だろう?」

 

 黒木はまた茫然ぼうぜんとして、眠りに落ちるようにふたたび意識を失った。

 高田は両足だけで床を漕ぎ最後の力を振り絞って神野に掴みかかった。


 棒のように細い腕ながら精一杯の力を込めて神野の服の胸ぐらを握っている。

 ほつれていたインナーが破れると神野の胸元の肌が露わになった。

 

 高田の爪痕が神野の鎖骨の下にくっきりとついていた。

 高田の華奢な腕でつけられたその傷跡は高田の腕によほどの力が加わったのだとわかる。


 「今回前田さんと岬さんを殺したのは三浦シオン……。ミサの刻印があったからね。それ以外、根元愛美、工藤真理、三浦サツキをふくめてあなたはいったい何人の人をあやめたの?」


 「最初は高田マヤだったな。そして麻生ヒメカ、地居サリナ……」


 神野は一瞬の躊躇いもなく高田マヤの名前を遠慮することなく告げた。

 まさに殺されて当然そんな想いが込められていたのだろう。


 「マヤは真っ先に殺されるほどのことをしたってことね?」


 「さあな」


 神野は曖昧に答えた。


 「すぐに転校した蒲生エリカはあとにした。そのあとは別のクラス、別の学年……毎年毎年消していった」


 背徳の行為に良心の呵責を感じることはない。

 むしろそれどこか神野は校内に巣食う害虫を駆除したくらいにしか感じていなかった。

 神野にはもう人の心などない。

 理科室で三浦シオンに会ったときからすでに人ではなくなっていた。

 

 神野は悪霊と化した三浦シオンよりもよほど人間から遠い存在になっている。

 自分に仇なす者はすべて消す。

 自分のルールにそぐわないもの者も消す。


 いじめの加害者を殲滅し、いじめの被害者を救済する。

 神野はそのロジックからすでに逸脱していることに気づいてはいなかった。

 

 いや、本当は気づいていた。

 ただ封殺しただけだ。

 高官がよくいうセリフ「多少の犠牲」それを実践しただけだった。


 こんかい前田美沙緒と岬カンナにかぎってはいじめという論点で見た場合まったく無辜むこの生徒だ。

 ただシオンの反射的な殺意の生贄いけにえに選ばれただけ。


 「な、なんてことを!?」


 高田は悲鳴のような金切声を上げた。


 「本当にいじめを主導するやつってのはどこにでもいるんだよ。だから俺が何人も何人も消してやったよ。学校外・・・でもな。シオンはミサという名前の人間だけを反射的に襲う。まれに例外もあるが……」


 いったそばから前田美沙緒と岬カンナを巻き添えにした動機づけは皆無だった。

 神野とシオンにとってはやはり必要な犠牲という認識だ。


 「それでも納得できない。そんな大量の亡骸なきがらをどうしたの?」


 「さっきいっただろ? お花畑にいるって!?」


 「……天国……ってこと?」


 「バカか。あんなやつらが天国にいけるかよ? 薊の花壇に撒いたんだよ」


 「そんなわけないでしょ?」


 神野は腹部に手を当てながら震えを抑えている。

 弾き飛ばされたときに負った怪我のダメージかもしれない高田は込めていた手の力をすこしだけ緩めた。

 神野の笑いが漏れて腹筋が上へ下へと蠕動ぜんどうを繰り返す。


 「笑わせんなよ」

 

 神野はまだ笑いつづけていた。

 高田もついに体力の限界で両手の指のあいだから神野の服がするりと落ちた。

 高田自身もがくんと床に膝をつく。


 「心の汚れた人間ほどきれいな花が咲くんだよな~。汚物おぶつのほうが良い肥料になるのかもな~?」


 神野も重力に体を預け――どすん。と後方に倒れた。

 

 「散骨したということ?」


 「だから水にして花壇に撒いたんだよ」


 「……み、水……?」


 「焼却炉のうしろにある貯水槽に人間を放り込めば水になるんだよ。俺はあの設備すべてを焼却炉と呼んでるけどな」


 「人間が水になんてなるわけないじゃない?」


 高田は床に両手をつきそこから神野のほうを向いて横になった。

 その態勢のままで、神野の真実味のない答えに本心を探っている。

 つぎにどんな言葉がくるのかを考え、どんな返答がきてもそれを受け入れる覚悟をする。


 「高田先生って化学部の顧問もしてますよね?」


 神野はなにかのイベントの司会者のように急に態度を改めた。


 「人が水になる。さあ答えは?」


 高田は細い目をパチリと見開いた。

 顔中のしわが上に伸びていく。

 高田にはひとつだけ実在する物質に心当たりがあった。

 化学の知識が高田にそれを教える。

 

 だが校舎内でそんなものが作れるわけがない、そう自分にいい聞かせた。

 でも、それしかない、高田はなんどか自問自答を繰り返した。

 そしてそれはついに口をついてでた。

 

 「亜臨界水ありんかいすい? あなたなんてものを生成つくりだしたの?」


 神野はすこしあいだをあけてもったいつけている。


 「半分正解……。たしかにこの世に亜臨海水それは存在するがこんなちっぽけな校舎しせつじゃどうにもならない」


 「そ、そうよね?」


 高田はすこし安堵した。

 そんな代物を学校で個人が作ってしまえるようじゃこの世界は終わってしまう。

 それを払拭できたことによる一安心だ。


 「そんな簡単に作れる物じゃないわ……。じゃあ、いったいなにを?」


 高田はあらためて訊き返した。


 「……理科室でシオンに会ったときシオンは俺に謎の液体をくれたんだ。きっと科学でも化学でも解明できない物質なんだろう。シオンの怨みが生成した副産物だ。最初は一滴だった。それを注いだ水が原液になるから無限に増やせるんだよ」


 いって神野は、一息つき呼吸を整えててからまた話をつづける。

 その眼は真剣に天井を見つめている。


 「まあ元素記号だって日々発見されるんだ。ついに日本が百十三番の元素を発見しただろ。人を水にする物質があっても不思議じゃないと思わないか?」


 「……そ、そうね……」


 高田は納得しようとしたが納得はできなかった。

 だが死んだはずの三浦シオンが悪霊になった姿を目の当たりにもし、さらに自分の体に呪いを蓄積させるという行為を成功させた時点でやはり科学や化学では暴けないものがあるのだと思う。

 

 「あんた。これが親としての罪滅ぼしか?」


 神野の呼吸がまた乱れると同時に喉の奥、ちょうど気管あたりで口笛のようなヒューという音がした。

 神野はまだ天井の無声映画を観ている。

 エンドロールはもうそこまで迫っていた。


 「いいえ」


 高田は床に寝そべったまま首を横に振った。


 「マヤをふくめ桜木ミサのしてきた行為がそう簡単に許されるとは思っていないわ……。とはいえあなただって生徒たちが校内を行き交うなか平然と人を溶かして水を散水いてきたんでしょ?」


 「ああ、そうさ。生徒たちにも分け与えて理科室の薊にも注いでもらった……。あれはある種シオンへの供物くもつ。あの水はときどき靴や服のよごれを落とすのにも使った。それに朝間を懐柔してほぼ・・いじめの加害者のみを生贄にしてきた」


 「ほぼ? 曖昧ね。理事長もグルなの?」


 「いや、あいつはただの道具だ。なにも知らず理事長室の薊に水をやってたな」


 「そう。……それより最近、三浦シオン出現の周期がずれてきていたはずだけど?」


 「もとから二年目以降の周期なんてなかったんだよ。それにGである蒲生エリカにシンクロでもしたんじゃないか?」


 「……そう……なの……かしら」


 高田はいくら計算しても合わなかったために周期のずれについてはすんなりと受け入れた。


 「まったくあんたには敵わないな。真理しんりるのに視力っていらないのか?」


 神野のその言葉はある意味高田への賛辞だった。


 「えっ!?」


 高田は神野がこんどはなにをいうつもりなのかと脈絡ない問いかけに困惑した。

 

 「あんた両目視力ほとんどないんだろう?」


 「……気づいていたの?」


 「ああ、その目を細めながらものを見る所作しょさ。ここ最近は物との距離感もとれてなかった。職員玄関にぶつかるくらいだ。それも呪いの後遺症か?」


 「さあ、どうでしょうね?」


 「まあ、いいさ……」


 また、神野は深く息を整える。

 すると、もう一度、喘息のように喉の奥からヒューと音が抜けていった。

 無声映画はもう終幕を迎える。


 ――最近はダイオキシン問題でうるさいんで焼却炉をもっと改造したいんですよ?


 ――ま、またか?


 ――浄水もできる装置にしますから。ただ校内の工事も多少は必要ですけどね。もちろん理事長の発案ってことで。


 ――そうか。それなら……PTAなどに好印象を与えられるな?


 ――つぎの広報誌に大々的に掲載します。


 ――ああ、そうか。頼むよ。神野くん。


 ――ええ。僕にとっても理事長がこの学校のおさであってもらわないと困りますからね~?


 俺はこの理科室からなんど死屍累々ししるいるいの花壇を眺めただろう? 悪しき習慣いじめがあるかぎり生贄を捧げていく。

 冥府めいふが決壊するほど水を注ぎつづけてやる。


 神野がそんな過去を思いだしていると天井に三浦シオンの顔の輪郭がくっきりと浮かんできた。

 無声映画、登場人物のエンドロール。

 神野はシオンの視線と目を合わせ待ち合わせのように満面の笑みを浮かべた。

 

 二度目の呼吸音が神野がシオンを呼ぶ合図だった。

 

 高田が神野の謎の微笑みを不思議に思ったとき理科室にシオンの狂ったように甲高い声が響き渡った。


 ――きゃはははははははははは!!

 

 無声映画に女性キャストの奇声がアテレコされた。

 神野がまばたきでアイコンタクトをとると理科室の扉が二、三センチ開き冷たい夜気が理科室に流れてきた。


 高田と神野が背中にひやりとした隙間風を感じた瞬間、理科室はバッグドラフトのように破裂した。

 ぱん。それが部屋の放った第一声だ。

 つぎは時間差でガラスの割れる音がし圧縮されていた気圧がいっきに校外へと放たれていった。


――――――――――――

――――――

―――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る