第28話00011100 理科室の生成物 孤独とコドク

 三浦希の体が急にがくんと右によろけた。

 高田は三浦希を押し退けて停留していた三浦シオンに抱きついていた。


 弱弱しい体躯からだでありながらも、あの朝、三浦シオンを抱きかかえたように慈悲を持って力強く抱き寄せた。

 

 いまの三浦シオンは気体と固体の中間としてある。

 高田と三浦シオンふたりのあいだには呪いが具現化したような黒い気流が渦巻いている。

 やがてそれは周囲の空気をも巻き込みはじめた。


 「セイセイ…ワタシに触れられるのね?」


 「三浦さん、ごめんね。私と一緒に消えましょう?」


 「センセイどうして?」


 「あなたを救いたいの。それに高田マヤは私の娘だから私の責任でもあるの」


 「高田マ……ヤ……。桜木ミサの仲間……高田マヤ……」


 三浦シオンは当然のごとくその事実に激高した。

 自分をいじめていた人間が信頼する教師の娘だったのだから真っ当な反応だ。

 三浦シオンは条件反射ように高田の腕を強く振り払らう。

 

 高田の腕は関節が外れるのはないかという勢いでぐいんと斜めうしろに反り返った。

 三浦シオンは高田を許せなかった。

 その行為は一緒に歩いていて突然、刀で切りつけるようなものだ。

 高田もわかっていた何をいおうがもう手遅れなことを。


 娘のしたことは取り返しのつかない行為だ。

 血を分けた子どもがまさかそんな鬼の所業に手を染めているなんて最初は信じたくなかった。

 信じなかった。


 だが桜木ミサと連れだっていると知ったときなにか良くないことをしているのではないかと薄っすら嫌な予感を覚えたのも事実だ。

 

 高田はあるとき娘にいわれたことがある――親が同じ学校にいるって、ちょーハズいんだけど。

 高田マヤも最初は親に対してのささやかな抵抗だったのかもしれない。

 反抗期を超えたとはいえ思春期の真っただ中。


 ――なんでおまえの噂に私がびくびくしなきゃなんねーんだよ!?

 

 ――おまえと親子だってバレたら学校に居れねーだろ。マザコンだって思われたらどーすんだよ!?

 

 ――マジで私の足引っ張んなよ!!

 

 四六時中、親と一緒にいる。

 ときに親子同士の相違点や類似点を他教師に指摘される。


 似ていなくてもなにかをいわれて似ていてもなにかをいわれる。

 年頃の娘にはどうしょうもなく恥ずかしいことだったのだろう。

 耐えきられないほどの屈辱だったのだろう。

 

 ほかの生徒に親子関係ばれて、――親離れできてない。そんな一言をいわれれば、もう終わりだ。

 プライドはズタズタになる。

 だから反抗した。

 それでも高田マヤが三浦シオンを虐げる理由にはならない。

 

 荒れ狂う黒煙のような霧が高田を包んでいく。

 だが高田は水を弾く木の葉のようにか細い腕で霧を拡散させた。

 簡単にその攻撃にあらがうことができたのだった。


 「残念だけど私には効果はないわ。あの日からずっとむしべつづけたもの」


 「む……し……?」

 

 「蠱毒こどくよ。三浦さんが体外で呪いを受けたのなら……私は体内に呪いを蓄積したの」


 蠱毒とは器のなかに多数の昆虫などを入れて互いに喰い合わせ最後に生き残った一匹を呪術などに用いる呪いの方法だ。


 「それでそんな老化した姿になったのか?」


 神野はこれまでになく驚くと同時に焦りを露わにした。

 いつだって冷静沈着な神野がここまでになるのはめずらしいことだった。


 高田の実年齢と不相応な外見と呪いの量を照らし合わせると高田自身も相当な呪いを蓄積していると憶測できるからだ。

 それがどういうことなのか? 場合によっては三浦シオンになんらかの影響を与えるかもしれないという危惧。


 「ええ。そうよ。私は自分の噂を流布し理科準備室で毒を蓄えてきたの」

 

 高田は怪奇的な人物を装って自分の気味悪い噂を流すことで理科室周辺から生徒たちを遠ざけてきた。

 すこしでも生徒を守れるのならと己を奇異な存在として成立させた。

 「蜘蛛を食べる人物」「壁に話しかける人物」さまざまなな噂を流した。

 

 理科室になるべく人を近づけないように。

 極めつけが理科室で怪死した「ミサちゃん」の話だ。


 これは世間には公になっていない桜木ミサの事件のことだ。

 アザミ高校には三浦シオンの自殺事件の関係者が存在するため、その噂はどこか真実味を増し本当かもしれないという心理で拡散していった。


 噂に尾びれがつきひとり歩きした噂は短期間で校内に根づいた。

 こうして高田の情報扇動は成功を収めたかのように思えた。


 だがすべてが上手くいったわけではない。

 高田にも誤算があったそれはアザミ高校の習慣である薊への水やりだ。


 「桜木ミサの体に“ミサ”と刻み惨殺したのはあなたでしょ。三浦シオンさん? 桜木ミサ以外のミサ・・を殺さなくてもいいでしょ?」


 「ワタシの体が勝手にミサを殺すんだよ。嘔吐反射おうとはんしゃのようにな!!」


 三浦シオンの体に刻まれた「ミ」「ウ」「ラ」の傷痕が浮かび上がってきた。

 かすかだった輪郭が鮮明に形を成していく。


 「見ろ!? この傷痕を。これと同じことをしてなにが悪い?」

 

 高田と三浦シオンがそんな攻防を繰り広げている渦中に三浦希も飛び込んでいった。

 ――ヒューヒュー音たて黒い気流が増幅していった。

 三浦希も加わると理科室内にブラックホールのような渦が現れた。


 「なにが正しいかわからないけどシオンさんもう消えて!?」


 黒木も条件反射のように追随し三浦希の体に重なるように三浦シオンに抱きついた。

 高田、三浦希、黒木の三人が一固まりになってシオンを抑えている。


 「三浦さん。私もあのときあなたを助けたかったんだと思うの。いつもうしろで見ているだけの私だったから……たぶん私の性格だから見て見ぬふりしてたんだと思う。だから今回は!! 今回こそは!!」


 黒木の額付近に魔障が浮かび上がる断片的に黒木に記憶が甦ってきた。

 蒲生エリカ(現:黒木エリカ)もまた、あの朝、理科室の外でハレーションを受けていた。


 その頬を一筋の涙が伝う、それは懺悔ざんげという名の涙だ。

 それでもその懺悔を聞いたが黒木の犯した罪を赦すかはわからない。

 黒木は鼻をすすり顎をしゃくるようにして泣くのを堪えていた。


 「ここにいるみんながここにいる理由がある。もうぜんぶ終わらせましょう? 平穏なアザミ高校に戻して!?」


 黒木の懇願が部屋に響いた。

 シオンの怨念と高田、三浦希、黒木、三人の呪いが衝突する。

 

 呪いは理科室の中心で均衡を保って一点に留まっている。

 渦はその威力を強めて体積を増やしていく。


 「シオンの望み。それはこの世から弱者を虐げるものを消すことだ。ここで終わらせてたまるか!!」


 神野は身をていして妨害に入った。

 対流層のような呪塊じゅかいふきんでは高圧の衝撃波が停滞している。

 

 神野がいつも着ている黒いジャケットがしだいにほつれていく。

 徐々に繊維片が吹き飛ばされやがて赤いハーフジップのインナーが現れた。

 いくどとなく血を拭ってきた赤い服、いくどとなく血溜まりを歩いてきた赤い靴。

 

 神野は全身の力を靴底に込めて己の体躯を支えている。

 しばらくすると呪いの均衡が崩れた。

 

 収縮されたエネルギーがビッグバンのように破裂し空間が捻じ曲がった。

 三浦シオンは「嘆き」とも「歓喜」ともとれる奇声を上げて渦に吸い込まれていった。

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