第25話00011001 集結

 ――五月十日 午後五時四十五分 理科室。


 高田はもうなんどこの扉を開け閉めしたのかわからない。

 ここにくるのも最期になるだろうと思いながら理科室の内側から理科準備室の扉を閉めた。


 「……ァ……ミ……ツ……タカ……ダ……ァ……ミ……ツ……コォ……」


 声ともノイズともとれない「ガギグゲコ」に近い濁音の判別不能な音がした。

 高田の視界に黒い霧が立ち込める。

 それは怪異的な人影を象っていった。

 濃い黒が青褪めるとやがて白んだ。


 青白い揺らめきは見覚えのある輪郭を形成した。

 高田はその物体の顔である部分に自分の顔を寄せた。 


 あの日その腕で抱きしめた顔を忘れることはない。

 右頬にはしっかり「ミ」という傷跡が刻まれているから。


 「……三浦さん。本当に三浦さん?」


 高田は恐れ慄いて一歩、後退した。

 だがすぐに一歩、二歩と前に足を差しだした。


 高田があの日以来、三浦シオンと対面したのは初めてだった。

 とはいえ、もう現世に存在しないのだからそれは当然のことだ。


 ただ高田は三浦シオンがこの学校にまつわる怪奇事件に関与しているだろうことには自信を持っていた。


 「センセイ……タカダ……せんせい……高田先生」


 「三浦さん。ごめんなさい……あなたをそんな姿に変えてしまった」


 「センセイがどうして謝るんですか? ワタシは望んでこの姿を選んだんデス」


 「……えっ?」


 「ワタシは敢えてこの身で呪いを受けた……噂になっていた周期表の順番を間違えたわけじゃない」


 「だ、だからあなたはあの日、最期私に微笑みかけたの?」


 「そう。あれがワタシにとって願いが成就した証だったから……」

 

 三浦シオンはプロジェクションマッピングのように空間にある映像を投影させた。


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 『カース リバース メソッド』


 我々が最終的に編みだした禁忌の呪法をここに示す。


 ●CURSE(カース) 。意味、呪い


 ●古今東西 森羅万象 すべての呪術に応用可能。


 ●儀式の最後は、おのれの血を以て絶命すること。


 それにより、自身に呪いを受け、人で有らざる者になり得る。


 ※その後、二十四時間以内に強力なハレーションを起こす場合もある。


 ハレーションを受けた人間はさまざまな魔障(後遺症)を負う。

 症状は人それぞれによる。

 また実行者、本人におよぶこともある。 


                          以上

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 高田は数年のときを越えてあの朝の意味を悟った。

 はっ、とした表情が顔の上で固定している。


 「こ、これが本来の目的だったの?」

 

 高田がすこし真相に近づいたとき音もなく神野が理科室に姿を見せた。

 もうなにも恐れるものはない。

 だから毅然と高田の前に自分おのれを晒した。


 「シオン。どうしてそこまで話すんだ?」


 なにかが破裂する直前のような低い声だ。


 「あの朝センセイはワタシを抱きしめてくれた。……だから、お母さんを重ねてしまった」


 「そっか……だからずっと生かしておいたのか?」


 「そう。でも今日で終わりにする。サバキが邪魔だと思う人間は殺してもいいよ」


 いったあとから三浦シオンの声はあのノイズのような怪異的な声に変わっていった。

 

 「……つぎの被災者は……ァ……ミ……ツ……タカダァミツコ……タカダミツコ」


 高田は事態を把握することができずに戸惑っている。

 ありったけの記憶を呼び寄せて思考を巡らせる。

 そしてあの日を引っ張りだしてきた。

 

 血だまりのなかで独り命を落とした三浦シオンの姿はいつまでも鮮明なままだ。

 だが用務員でありアザミ高校の頭脳である神野がなぜ三浦シオンと知り合いなのかまではついにわからなかった。


 「悪性のDNAを殲滅せんめつするときだ」


 神野はまるで医者が病名を告知するように告げた。

 

 渦中、黒木がゴールテープでも切るように意気揚々と理科室へ飛び込んできた。

 さっきは逃げたしたけれど汚名は返上する。

 良い教師になるために、やっぱりこの事件ともう一度向き合いたい、そう思って理科室に戻ってきたのだった。


 「高田先生!!」


 黒木のひとり場違いなテンションが急激に冷めていく。


 「ぜ、全員の安否確認……とれ……ま……した。……なにこれ?」


 人生のなかでいまだかつて視たことのない物質、いや存在に腰を抜かす。

 黒木はマリオネットの糸が切れたようにがくんと腰から崩れ落ち、自分のうしろに両手をつきズズズと臀部でんぶからあとずさっていった。


 「な、な、なに……これ? ……ひ、人?」

 

 顔面を強張らせて三浦シオンを指差した黒木の指先が小刻みにプルプルと震えている。


 「あ~あ~大丈夫ですか。黒木先生」


 神野は黒木の腕を掴んでゲストに対するホストのように優しく抱き起こした。

 黒木の肩に手回したまま神野は紳士的に黒木の服の汚れをぱんぱんと払ってやった。

 埃やなにかの粉末それに生徒の髪の毛が飛んでいった。

 

 「あっ、神野さんすみません。あの」


 「黒木先生」

 

 神野はいいかけた黒木の言葉を遮った。


 「安否確認ってなんですか? “前田美沙緒”“岬カンナ”“根元愛美”“工藤真理”“三浦サツキ”の五人はもうこの世にはいませんよ」


 神野の表情の変化とともに神野の声質も変わっていった。

 まるで憎悪を声帯に宿したような禍々まがまがしい声だ。

 神野の穏やかで柔和だった声が消えていく。

 黒木は神野がなぜこんなふうに豹変したのかわからずにきょとんとしている。


 「神野さん。なにをおっしゃってるんですか? 私はきちんと親御さんと話しました。それに何人かは本人たちとも話しましたけど?」


 「相手は誰なんでしょうね?」


 神野は濁流のように濁った声を上げて嘲笑あざわらう。

 好青年で涼やかな顔が悪魔のように変わった。

 瞳の奥に秘めていた揺るぎない悪意がいま解き放たれた。


 「デジタル回線は“0”と“1”……どうにでもなるんですよ」


 「はっ!? 意味がわかりません」


 黒木は強く、返した。


 「二進法ですよ。あんた数学専攻でしょ?」


 「たしかに二進法は“0”と“1”を使用した計算方法ですが……それがなんなんですか?」


 「わからなくていいんですよ。俺とシオンが知っていれば。高田先生、黒木先生、全員揃ったところではじめましょうか? 最後の晩餐を?」


 神野がいうと、三浦シオンは空気清浄機の性能見本のように雲散霧消うんさんむしょうした。


 「わかってるわ……もう終わりにしましょう。でも神野くん、その前にいろいろと訊きたいの?」


 高田が神野を凝視する。

 高田の体のすべてが神野に質問したくて一日千秋の思いでいた。


 「あなたと三浦さんはどういう関係なの? まさか恋人とかそういう関係なの?」


 「ただの幼馴染ですよ」


 ――あっ!?。黒木は思いだしたように大声をあげた。

 パンと。一度、両手を叩く。


 「切っても切れない腐れ縁の婚約者って……もしかして……?」


 「ああ、そうだよ」


 神野はすぐに肯定した。


 「桜木ミサたちに追い詰められ死んだ。三浦シオン……それが俺の婚約者の名だ」


 高田は目を見開いたあと、なぜか胸をなでおろし安堵の表情を浮かべた。

 理解に苦しんだ数年を埋める悩みがいま氷解していく。


 高田の顔は積年の荷物を降ろしたように軽やかだった。

 そして――そう。そう。と小さくうなずきなんども自分にいい聞かせている。


 「そういうことならあなたにも復讐する権利はありそうね……。桜木ミサと一緒にいた高田マヤは私の娘だから。もう、生きては会えなさそうだけど……」


 「高田マヤ……高田マヤだと」


 神野が反唱した。


 「そうかおまえあいつの母親か~。ぜんぜん似てないな。心労でそんな顔にでもなったか?」


 神野は口角を上げ暗澹あんたんたる笑みを浮かべた。

 悪魔の面にさらに悪霊や魔物を集めたような表情だ。


 「私とマヤが親子だと知る人はすくない。あのころは生徒数も多く親が教師の場合、実子の授業をしてはならないという決まりもあった」


 「私も大学でそのルールは聞きました。親子関係があると他生徒の手前自分の子どもに教鞭きょうべんを執ることはないと」


 黒木は肩を小刻みに震わせながらいった。

 教育実習の朝、自分に優しく接してくれた神野はもういない。

 あれがわずか数日前のできごとだ。

 いまは急勾配きゅうこうばいの下り坂を転がっている。

 

 この人はいったいどんな思いで毎日を過ごしてきたのか? なにを考えながらこの高校で仕事をしてきたのか? そんなことを考えると黒木はおかしくなりそうだった。


 「ご想像通りもうこの世にいねーよ。シオンは塩基配列にヒントを残していた。俺は必死で探し当てた。シオンに危害を加えそうな人間でATGCのイニシャルを持つ者を……“A”は麻生ヒメカ。“T”は高田マヤ“。C”は地居サリナ”この三人はもうお花畑で咲いてるよ……」

 

 神野は鬼の形相、いや鬼神とでも呼ぶべき怒りを露わにしながら触れば暴発しそうな殺気を込め黒木に一歩、また一歩と近づいていった。

 神野は自分と壁のあいだに黒木を板挟みにした。


 「そして残りの“G”は旧姓蒲生エリカ……。現、黒木エリカ。黒木先生あんただよ」


 神野が声を荒げて、黒木の顔に接触するほど顔を使づけてきた。

 黒木は反射的に拳を握りボクサーの防御スタイルのように口元に両手を移動させて拒む。


 「う、うそ……私が……? 記憶が……ない」


 黒木は自分の拳の裏からいった。

 そして自分の手を左右に振って取り乱しひとり混乱している。


 「シオンのいじめに加担しておいて記憶がないだと?」


 「ほ、本当なの……」


 「自分だけが結婚して教師になって幸せのなかで不必要な過去は消去か?」


 「ほ、本当なん……です……」


 黒木はいまにも泣きそうな面持ちで頭を下げた。

 神野は自分の顎をサッと引く、そこに――神野くん。と高田が口を挟んできた。

 

 「黒木先生のいうことは本当かもしれないわ……。三浦さんが微笑んだあとに衝撃波が起こったの。もしかしたら黒木先生も呪詛返しを受けているかもしれない」


 高田は語尾を強めて憶測で黒木をかばった。

 高田にとっては黒木いや「蒲生」もまた救わなければならない生徒のひとりだから。

 すべての元凶が桜木ミサだと知っているから。


 「あの場所にいなかった人間がどうやって呪詛を受けるんだよ?」


 「あの朝、あの瞬間、理科室に誰かがくるのがわかったの」

 

 「それが黒木だっていうのか?」


 「確証はないけれど……たぶん……」


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