第17話00010001 覚悟

 高田はとてつもないミスにきづいていた。

 黒木を不安にさせたあのとき、高田にはあるひらめきがあった。

 違和感があったのは、そう……クラスの一覧表だ。


 (……三浦サツキ……この生徒は“ミウラサツキ”ではなく“ミツウラサツキ”)


 三浦サツキは周囲から「サツキ」と呼ばれていたため、その発覚を遅らせた。


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17、前田美紗緒

18、三浦 希

19、岬 カンナ

20、水木 葵

21、三浦 サツキ

22、武藤 千尋


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 あいうえお順で十九番が「岬カンナ」「ミサキ カンナ」だ。 

 高田は後悔を呼び起こした。

 「三浦サツキ」の出席番号がそのあとの二十一番の時点で気づくべきだった、と。


 高田は自分のタブレットをまじまじと眺め、そのあせりから何度も画面を連打した。

 小さな端末は焦燥よりも早く画面を展開した。


 (さすがは神野くん。こんな早く立ち上がるなんてありがたいわ)


 高田は顔の真ん前にタブレット寄せて、大急ぎで生徒のデータベースを開き確認する。

 

 【21、三浦 サツキ (ミツウラ サツキ)】


 (これで確定。だけど“ミ”ツウラ“サ”ツキには……“ミ”と“サ”が入っている……“ミサ”……これは関係あるのかしら? わからない。それに“りか”。こいってことよね? “りか室”……“理科”室へ)


 高田は覚悟を決めると理科室に隣接する理科準備室へ足を向けた。

 廊下はゆっくりゆっくりと高田の靴底を受け止める。


――――――――――――

――――――

―――


 ――理科準備室。


 部屋は劇薬類が保管されているため二重に鍵がかけられていた。

 高田は三桁のダイヤル錠を開錠すると、つぎに一般的な南京錠に鍵を入れて回した。


 かちゃ、という音が鳴る。

 それは部屋が誰かを招き入れる合図のようだった。


 高田は扉を開くとキョロキョロとあたりを見回して部屋のなかへと足を進めた。

 手元はすでに電気のスイッチに置かれている。


 指先に力をこめるとパチっと灯りがついた。


 理科準備室だけは昨今のLED照明ではなく、いまだに白熱電球の蛍光灯を使用している。

 時代に乗り遅れた四本の細い長い蛍光灯はノイズのようにチカチカし、何十秒かののち試験運転を終えたように体を暖めて正式に点灯した。


 (まだ弱いかもしれないけれど……早めに対処しないと)


 高田の右脇、ちょうど顔の位置に縁の錆びた丸い鏡が飾ってある。

 どこかの古墳からでも出土したような古代的なデザインで鏡の縁は病気の穀物ようにブツブツの突起物で覆われていた。


 (部屋の瘴気が濃い)


 高田は自分の表情を鏡に映した。

 そこから二歩、三歩と進んでいき鏡のギリギリのところで頬に手を当て美容師がスタイリングするような仕草をしてから自分を客観的に見た。


 (我ながらひどい顔……こんなに劣化するのね?)


 鏡のなかの自分が自分を見つめ返してきた。

 どこかで第三者を見ているそんな感覚だった。

 

 パサパサの白髪が口元に垂れてきた。

 高田は指先でそれを払い天井を仰ぐ。

 そして後悔を吐きだすような深い溜息をついた。


 つぎは薬品保管庫の前で腰を屈めて開錠する。

 ここの部屋に入ったときと同じ三桁のダイヤル錠だ。

 ぐるぐると番号を合わせていく、――がしゃん、という音と同時に扉が開いた。


 観音開きの扉を左右に開いて、上段にある金属製の器をそっと取りだした。

 かざした手のひらに銀色のボウルを乗せて時計回りにグルグル回す。


 大人、二、三人が食べられるサラダでも作れそうな器のなかで蜘蛛や昆虫、その足や触覚、さらには死骸までもが転がっていた。

 高田は強弱をつけてさらにボウルを回転させる。


 遠心力で動かないものつまり死骸だけが外へと追いやられていく。

 ボウルの中央にはこのバトルロワイヤルで生き残った小さく真っ黒なサソリが天井を見上げていた。


 自分が勝者だとでもいうように両手のハサミを高らかに掲げている。

 大きく開いたハサミは、まるで勝利のVサインのようだ。


 (ハサミの小さいサソリほど毒が強い。なぜならハサミで身を守る必要がないから……今回もまた強そうなのが残ったわね?)


 高田はサソリの尻尾を掴みそのまま持ち上げた。

 サソリは暴れることもなくただ黙っている。

 それはサソリが己の力を継承させる誰かを待っているようだった。

 

 無言の契約が成立すると高田はむあっと大きく口を開いてサソリをなかへと運んだ。

 だが目測を誤りサソリのハサミが高田の唇の端をかすめた。


 高田は二度、三度とまばたきを繰り返したあと親指を使って丁寧にハサミから尻尾までを自分の口のなかへ押し込んだ。

 

 高田はバリバリと音を立てハサミをかじりはじめる。

 サソリの頭部でいっそう強く上下の歯に力を込めた。


 がちっ!! がちっ!!っと上下の歯が接着と剥離を繰り返す。

 高田は食事でもするようにサソリを食べつづけた。

 最後はしっかりと奥歯で毒針をかみ砕いて唾液と撹拌かくはんさせごくりと飲み込んだ。

 口の横にははみでたクリームのようにサソリの残骸からがくっついていた。


 (これだけ蓄積させれば……。毒には毒を……)


 ボウルを薬品保管庫に戻して、ふたたび薬品保管庫を厳重に施錠するともう二度と理科準備室ここに戻れないことを覚悟し部屋の片づけを始めた。


 生前整理そんな意味合いがふくまれている。

 片づけるといっても、それほど物が散らかっているわけではないので、ほんのすこし備品を整えるていどだ。


 唇の横がソワソワする。

 高田は口元のかゆみに気づいて真っ黒に染まった舌をちろりとだしてから指先で殻の残骸を舌先に乗せた。


 (……もう十分)


 高田は古びた一畳ほどの木製テーブルにあるふだん使いの試験管、シャーレ、ビーカー、メスシリンダーをテーブルの一角に寄せてから懺悔のように机の上に両手をついた。

 それはランナーがゴールテープを切ったあとに自分の膝に手を置くような態勢と似ている。 


 (この部屋にながいことこもったわね……) 


 高田はのっそりと体の向きを変えて壁に備えつけられた大棚の扉をスライドさせた。

 ちょうど目線の高さにビーカーやフラスコなどのガラス類の実験器具が整理整頓されている。

 高田がゆっくりと手を伸ばすとごつんと鈍い音をたてて棚の段に指をぶつけた。


 「痛っ……」

 

 勢いよくぶつけた指はうっすらと赤みを帯びている。

 爪の先がいまもジンジンと痛む。

 ズキズキする手を口元に引き寄せ――ハァ~ハァ~。と息を吹きかけもう片方の手で包み痛みを和らげる。


 高田はまた深い溜息をつき今度はゆっくりと手をだした。

 指の痛みは持続的につづいている。


 アザミ高校では毎年、新学期が始まる四月に備品が納品される。

 棚のなかにはいまも所狭しと実験器具が並んでいた。

 高田は購入したばかりの真新しいフラスコを手に取り、まるでワインのラベルでも眺めるように感慨深くフラスコを見つめている。


 (こんな物から……)

 

 しばらく過去に思いを馳せてから返品するようにフラスコを元の位置に戻した。

 意を決し理科準備室と直結している理科室へと足を向ける。


 高田がフラスコを戻した位置は取りだした場所よりも随分とずれていた。

 正確に表現するなら元の位置とは違う場所に戻されている。


 (三日後、一週間後、五ヶ月後、二年後……周期的に繰り返し出現する。でも周期がずれてきている。三浦シオンは止められない。人間に他者を虐げる本能があるかぎり)


 理科室と隣接した場所のため理科準備室にも【理科室】というプレートが掲げられている。

 理科準備室からならば構造上いったん廊下にでることもなく理科室に行くことができる。

 高田はドアノブにそっと手をかけグッと力を込めた。


 (桜木ミサ。彼女とともにいじめに加担していたひとりは……私の娘なのだから。親としての責任を果たす……)


 高田の手首とともに理科室のドアノブがぐるりと右に回った。

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