第12話00001100 蠢(うごめ)く

 ――五月八日 夕方。


 黒木は高田に職員休憩室へ呼びだされた。

 そこで自分は一日中、平静を装っていたと告げられた。

 あえて騒がずに学校の様子を伺っていたということだった。


 「黒木先生。じつは今朝、私のところにもメールが届いていたんです」


 高田は物腰柔らかくいった話しのテンポに微塵の危機感もない。

 黒木と違い腰を据えている。


 その落ち着きようは長年の経験が物を言っているからだろう。

 長い教師人生で様々な困難もあったその華奢な体とは正反対でひとつひとつそれを越えてきた。


 「えっ、本当ですか? どうしてそのときにおっしゃってくれなかったんですか?」


 「……まだ内緒にしておいて。あのメールだけじゃなんの説得力もないでしょ? それに私が見たページもすでに削除されてしまってるの」


 「それで、これからどうなさるんですか?」


 黒木はふたたび底知れぬ不安に襲われた。

 この嫌な感覚、人の生死に関する重大な予感をかつても感じたことがある気がする。

 

 予感どころか最悪の結果に立ち会っていたような、でも、それはいつのことだろうか? 思いだそうとしても思いだせなかった。

 頭のなかに出来合いの記憶パーツが埋め込まれたようさえ思う。


 「黒木先生のメールは前田さんの画像だけ?」


 「えっと、そ、そうですけどなにか?」


 「私のところには前田さんと岬さんの遺体らしき画像が写っていたの」


 「ほ、本当ですか!? み、岬さんも……」


 「今日、一日、様子を見ていたけれど……やはり前田さんも岬さんも見当たらないの」


 「じゃあ……やっぱり」


 「けれど神野くんが見回りしてるみたいだし……。なにより親御さんからの連絡もないでしょ?」


 「あっ!? そ、そうですね!!」


 黒木は高田の鋭い言葉に驚かされた。

 それもそうだ。

 親御さんからの連絡がない時点でそんなに大きな事件には発展していないと安堵するが、その安堵は自分のためだけの安らぎだ。


 「だからまだしばらく様子を見ましょう」


 「はい!!」


 黒木はそんな高田の説得力ある話に惹かれいつか自分もこんな頼りになる先生になりたいと理想の教師像を描く。


――――――――――――

――――――

―――


 五月八日 理事長室 とき同じ夕方。


 奇妙なオブジェや高価な絵画の飾られた華美かびな部屋のなか所々

金属やコンクリートが剥きだしになっている。

 意味もなく飛びだした大小さまざまな柱にも雑さがある。

 たとえるなら中途半端に工事を中止したような未完成さだった。

 

 その歪な部屋に神野の姿がある。

 理事長の朝間は神野と机を挟んだ対面で大きな椅子にもたれている。

 いかにも権力の象徴が座するような艶のある革張りの椅子だ。


 朝間は大雑把な性格だが気弱で小心者な男だった。

 よれた白いYシャツにカップ麺の汁が点々としていても気にならないほどの無頓着。

 最近はよほどストレスを溜め込んでいるのか、額の生え際が急速に後退し頭頂部も薄くなってきていた。


 「黒木先生が前田の遺体画像を見たと騒いでますよ?」


 「……前田とはうちの生徒なのか?」


 「そうですよ」


 「神野くん止めてくれ。警察に通報されたらまずい」


 「大丈夫ですよ。遺体は発見されてないじゃないですか?」


 「そ、そうか」


 朝間は声をうわずらせながら、ゆっくりと息を吐き安堵の表情を浮かべた。


 「それに黒木先生の証言だけじゃどうにもなりませんよ?」


 「け、け、けど……が、画像があったんだ?」


 朝間は最後の「ろ」でふたたび声を裏返えらせた。


 「警察はいたずらだとでも思うんじゃないですか? 現にもうそのページは見れないそうですしね」


 「パ、パソコンの管理責任者はキミじゃないか。ワタシはそのたぐいのものがもっとも苦手なのは知ってるだろう?」


 朝間は座ったままで気持ちだけ右往左往させている。

 胸のなかがざわめき焦燥の気持ちが好き勝手に歩き回っていた。

 胃を掴まれて縛り上げられたようにキューと腹全体が痛む。

 顔面は焦りが立体化して飛びだしてきそうだ。


 神野はそんな朝間の意を介さずにたんたんと話をつづける。


 「た、頼む。なんとかしてくれ」


 朝間は神野に深々と頭を下げ両手をつくと前のめりで必死に懇願した。

 重心のずれた椅子がギシっときしむ。

 朝間の張りぼての肩書もギシギシと音を立てて揺らぎはじめている。


 「ええ。たしかに僕はIT管理者です。その立場で一言。画像が見れないの事実です。保証しますよ」


 「か、神野くん。頼むよ……もうこれ以上行方不明者なんてだせないんだ。お願いだ」


 額をこすりつけたデスクの冷たさが頭にのぼった血を冷まさせた。

 朝間が机の縁でしか頭を下げることができなかったのは、机の上が散乱した物で溢れかえっているからだ。


 「わかってますよ。この学校ってなぜか悪いは神隠しに遭遇

っちゃいますからね?」


 朝間は神野の手のひらで転がされまた肝を冷やす。

 額に手を当てると脂汗に塗れていた。

 朝間は薄汚れた黄色いカレーの染みがついたYシャツの胸ポケットから理事長という肩書とは釣り合いがとれるブランド物のハンカチを取りだして丁寧に汗を拭った。

 

 神野は視線を合わせるだけで猛獣でも後退していきそうな目をしている。

 朝間は顔の汗すべてを拭き終えてると神野にまたちらりと目線を移した。

 すぐにまた冷や汗が頬を伝っていく。


 「そ、そうなんだよ!!」


 朝間は獣が猛獣としての矜持きょうじを取り戻すようにめずらしく語気を強めた。

 ただし仮に朝間がライオンだとしても神野は世界最強のティラノサウルスに等しい。

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