第11話 00001011  ビギニング

 ――五月八日 午前七時四十五分 職員室。


 職員会議三十分前。

 黒木が大慌てで職員室に駆け込んできた。


 初日の整った身だしなみとは真反対で簡易的な服装がいかに急いで支度を済ませてきたのかがわかる。

 扉に手をかけたまま職員室の誰にというわけでもなく――大変です。前田さんが!!と声を荒げた。


 まだ――はぁはぁ。と肩で息をしている。

 黒木は意識的に一度、大きく空気を呑んで胸元に手を当てた。

 職員室にいる教師たちはその黒木のただならぬ様子に静まり返る。


 「黒木先生、落ち着いてください。どうしたんですか?」


 そんな声を皮切りにほかの教師たちからもつぎつぎと心配の声が上がった。

 

 ――とりあえず、座って。


 ――まずは水でも。

 

 すべて黒木を気づかう言葉ばかりだった。


 「ま、前田さんが、し、死んでるんです」

 

 職員室の視線を独り占めにしていた黒木のとうとつな一言にほんの一瞬、間が空いた。

 だがそれにつづいたのは笑い声だった。

 老若男女のさまざまな声が混ざり合っている。


 「黒木先生。初日の疲れがでたんじゃないですか?」


 黒木のすぐ目の前にいた教師がふたたび声をかけた。


 「いえ、違うんです。本当に……」

 

 黒木の声は消え入るように弱まっていく。

 そのあとは誰も取り合おうともせず、教師たちは和やかな雰囲気で世間話をしている。


 黒木は和気藹々わきあいあいとした教師たちに温度差を感じる。

 まるで異国のなかに独り放り込まれたように、場違いな空気に黒木はなにも発せない。


 黒木は過去にもこんな孤独と深い寂しさを感じた気がした。

 それがいつのことだったのかはわからない。


 職員室には疎外感のなかにいる黒木とはまた別のエリアが存在している。

 職員室の片隅に特別に用意された大きめのデスクと黒い皮張りのPCチェア。

 そのPCチェアはPCで長時間作業をする人にとって首、背中、腰の負担を減らす効果がある。

 ひじ掛けからそこに座わる人物の手元だけが見えている。


 カチャカチャとキーボードから放たれる音がギターの早弾きのように高速になっていった。

 床にはBTOのハードディスク、机上には三画面のマルチディスプレイ。


 ハーディスクは全規格の無線LANに対応していて内蔵しているバッテリーは停電時でも半日は動かすことができる。

 そのハードディスクとディスプレイを繋ぐHDMI端子が一本ある。


 増設したUSBボードもプリンタや外付けHDDなどさまざまな機器に接続されていた。

 デスクから手を伸ばせばすぐに手が届く距離に、家電量販店で販売されているような簡易的な書籍専用のスチール棚がある。


 パソコン・プログラミングの関連書籍、権利・法律に関する書籍、経理事務に関する書籍、会社経営に関する書籍、心理学・人心掌握術・自己啓発類の書籍。

 すこしだけジャンルが変わり科学・化学・農学類の書籍、建築学に関する書籍などありとあらゆるジャンルの本がきれいに整頓されていた。


 学校生活で必要な知識を得る努力なのだろう。

 書籍は左からいちばん大きなサイズで始まり右に行くほど小さくなるように並んでいる。

 それ以外はとくに変わったところもなく非常に整ったデスクだった。


 キーボードの連弾が止まるとPCチェアが右に六十度ほど回転した。

 座りながらキーボードを叩いていた人物はゆっくりと黒木の元におもむきポンと優しく肩を叩いた。


 「黒木先生。前田はどこで死んでるんですか?」

 

 「えっ、あっ、神野さん。えっーと、り、り、理科室です」


 黒木は言葉に詰まりながらも慌てて返した。

 それは思っていたことが口からすぐにでなかったこともあるが、突然、神野に声をかけられた驚きでもあった。


 黒木はふたたび胸に手をあてて、水の代わりに空気を呑んだ。

 こんどはすぐに返答できるようにと神野のつぎの言葉に備えている。


 「校内の巡回も僕の仕事なんですけれど。朝、理科室に変化はなかったですよ」

 

  神野は昨日のように柔和な口調で答えた。

  神野の人を落ち着かせる穏やかさに黒木はすくなからず安堵する。


 「えっ、本当ですか?」


 疑問符はスムーズに口から飛び出した。


 「ええ。ところでその情報はどこで?」


 「け、今朝、私のタブレットにメールが送られてきて……」


 「見せてもらってもいいですか?」


 「あっ、はい」

 

 黒木は昨日とは真逆で黒のリクルートバッグのファスナーを開こうとしたが途中で生地を噛んだ。


 「あっ!! す、すみません」


 黒木は謝りながら力を込めて強めにファスナーを左右に引く。

 いまだにファスナーは生地を噛んだままで止まっている。


 神野は優し気に――大丈夫ですよ。落ち着いて。と返した。

 黒木はふたたびファスナーを勢いよく右に左にと引くとファスナーを堰き止めていた用紙かみの障害物が取り除かれいっきに開いた。


 黒木は両膝でバッグをはさんで中身をガサゴソと物色する――あった。とタブレット取りだして神野のほうへと向けた。

 今朝の混乱で黒木のバッグのなかも片付けを忘れた部屋のように荒れていた。


 「こ、これです」


 朝、反射的に放り投げてしまったためにタブレットの縁にかすり傷がある。

 神野がタブレット操作をはじめるとすぐに画面が起動した。


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送信者:divine judgement


件名:前田美沙緒 死亡


本文:http://www.azami-ghs.jp/17.html/







============================


神野はURLをトンとタップする。


============================


Not Found


404エラー



ページが見つかりません。


このページは移動したか削除されました。




============================


 「黒木先生。この“404エラー”がでるってことは、もう、そのページは存在しないってことですよ」


 「でも私、本当に見たんです。前田さんが死んでる画像を!!」


 神野は黒木の懸命な訴えを吸収するように真顔になった。


 「……画像を見たというだけでは前田が死んでる証拠にはならないですよね?」


 神野は困り顔まで水が滴る。

 黒木はドキリとした、自分でもどんな感情なのかはわからない。

 いわゆる吊り橋効果なのかもしれない。

 好意なのか? でも敵意を感じる瞬間にもこのドキリを感じる気がした。 

 心のなかでなにかとなにかが混同している。

 

 「ええ、まあ……そ、そうなんですけれど……」


 「なにかのいたずらでしょう。黒木先生。前田が死んだとか縁起でもないのでもうやめましょうよ?」


 「えっ、ええ、は、はい、そうですね。……すみません」


 黒木はすこし悪びれた様子でこくんとうなずくがまだ腑に落ちないでいる。

 これがいたずらなら誰がこんなに手の込んだ悪趣味なことをするんだろう。


 ときどき教師に対する生徒のいやがらせがあるという話も聞くけれど、こんなふうに人の精神を削るようなことをする人がいるのだろうかと。

 黒木は人の悪意をあまり知らなかった、いや知っていたはずだけれど忘れていた。


 「黒木先生。それにもしその出来事が本当だったとして遺体が発見されないのは不自然じゃないですか?」


 「あっ、そ、それもそうですね!? 私のタブレットウィルスとかに感染しちゃったのかな~?」


 「そんなウィルスはありませんよ」


 「そうなんですか?」


――――――――――――

――――――

―――


 ふたりのやりとりを横目にしながら高田は誰の話にも参加していなかった。

 やがて理事長兼、校長の朝間猛あさまたけしがここ職員室に姿を見せた。

 朝から満面の笑みで職員会議を開始する。


 「え~と。神野くんの作成した『ガーディアン』シリーズの最新作がまたまた大手IT会社から販売されます。いつものように著作権を我が高に譲渡してくれているため、当然収益もうちに入ります。先生がた夏のボーナスを楽しみにしていてください!!」


 朝から朝間のそんな景気の良い話で黒木の戯言ざれごとは吹き飛ばされていった。

 教師たちは、お通夜が夏祭りにでも変わったように拍手喝采で神野を讃えている。

 神野は照れくさそうに周囲すべてにちょこちょこと頭を下げてまわった。


 「本当に我々の誰ひとり神野くんには頭があがりません」

 

 朝間は両手を高らかに掲げて、いっそう大きく手を叩いた。

 ほかの教師も呼応して歓声をあげる。

 

 勢いの削がれた拍手は息を吹き返し始まりよりも過熱していった。

 神野はさきほどよりも一段、低く腰を屈めるとそれぞれの教師たちに向かってさらに深く礼をした。


 黒木は低姿勢で謙虚な神野の姿に自己嫌悪を募らせる。

 まだ、拍手が鳴り響いている。

 黒木は誰かが手のひらと手のひらをパチパチ合わせるほど自分の居場所が失くなっていくのを感じた。


 (私って……)

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