第10話00001010 出席番号十九番 岬カンナ

 ――五月七日 放課後。 


 教卓を中心に大声ではしゃぐ生徒が数人いた。

 授業を終えた解放感からはしたなく制服を着崩している。


 スカートから下着が見えても恥じらう素振りはない。

 なにせここは女子高だから誰かに気兼ねすることも同性でなにかを隠す必要もない。

 ただ神野が近くにいるときだけは例外だ。

 

 その生徒たちは今、学校指定のバッグを振り回し、ブレザーを肌蹴けさせ自由気ままに振る舞っている。

 アザミ高校はスクールバッグも有名ブランドのファーストラインの物を採用していてすべて高校側が無償で支給していた。


 他校が不思議がるほどに潤沢な資金を持つアザミ高校はこの地域の謎としてときどき話題にあがるほどだ。

 だがその答えは単純で理事長が祖父母の代からの名家で資産家ということに尽きる。

 

 「サツキ~今日カラオケ行こうよ?」


 「いいよ!!」


 「あっ、私も行く」


 「サツキ~真理も一緒に行くって。いい?」


 「いいよ~。あっ、じゃあ手帳に貼るプリ撮ってからカラオケね?」


 「いいね。私影すごい飛ばすから」


 「愛美はプリとじっさいの目の大きさが違いすぎるんだよ?」


 「ねえ、サツキぃ~」


 「サツキ、サツキ。うるせーって!!」


 「だってサツキと一緒に遊びたいんだも~ん!!」


――――――――――――

――――――

―――

 

 女子だらけの学校生活。

 平凡な日常に大きな変化など望めない。

 そんな毎日でも密かな楽しみを持つ者がいた。

 彼女たちはいったいなにに希望を見いだしているのか? それは神野を観察することだった。


 この学校ではそんな生徒は多い。

 ある生徒は神野が登校するよりも早く学校にきて教室の窓から薊の花壇を眺めている。

 放課後にいたってもそれは例外ではない。


 岬カンナと親友の斉藤セイラもそんなひとりだった。

 「好き」の恋愛感情ではなくただ興味があるからそれが岬の神野を眺める理由だ。


 斉藤は岬とは違い神野に恋心を抱いている。

 女子高では当然のことなのかもしれない。

 ふたりは窓際でいつものように立ち話をしていた。

 この場所は神野を見るには最高の特等席だった。


 「神野さんってイケメンだよね?」


 斉藤はいつもそう岬に話題を振る。

 ふたりのあいだではお決まりのやりとりだ。

 斉藤が完全に恋に落ちている証拠だろう。


 「だね~。セイラ嬉しそうだね?」


 「私の楽しみだもん!! 今日も花壇に水を撒いてるね~?」


 「だね~!!」


 岬が――だね~。を繰り返しても斉藤はツッコミもせずに神野を目で追っている。

 神野はリズミカルに花壇に水をまいていた。

 まるで子を思う親のように薊、一輪、一輪にまんべんなく水を降りかけているる。

 ホースの先に虹が現れるとミストのなかに神野の影が揺らめいた。


 「ジャケット姿がかっこいいな~。でも、あの一見、子どもっぽい腕時計でハズしてるのがいいんだよね。あれが高級時計ならキメすぎとか思うけど」


 斉藤は窓枠に頬杖をつき霧の晴れ間に神野を見た。

 岬が斉藤の背後から窓枠含めて見ても恋心だとわかるほどで背中でさえ笑っているように見えた。


 「あっ、理科室の薊に水をあげてなかった」


 岬はすっかり忘れていた水やりの当番を思いだした。

 と同時に、この学校のシンボルが薊だからといわれればそれまでだが理科室の薊に誰かが必ず水を与える習慣になんの意味があるんだろう、と思う。

 

 「えっ、カンナ。今日、薊、当番なの?」


 斉藤は大袈裟に驚いて岬を見た。

 いままでは神野を観察するという夢のなかに居た斉藤は岬の顔で現実に引き戻された。


 「そうだよ。私、ちょっと行ってくる!!」


 「もうすこしで四時四十四分だよ。大丈夫?」


 岬を気にかける斉藤。

 そう、この学校には妙な都市伝説があるからだ。

 斉藤はそれを思い、岬を気づかって眉をさげた。


 「大丈夫、大丈夫。あんなの都市伝説……でも一応、四時四十四分を過ぎてから理科室に入ろうかな。へへ。念のためにね」


 都市伝説とはいえなんとなく気味悪い、岬がそう思うのは当然だ。

 たとえ都市伝説の影響で本当に警察や救急車がきたことはなくてもやはり良い気分はしない。

 それはどんな人でも同じじゃないかなと岬は思う。


 四時四十四分に行くと死ぬといわれればその時間は避けたくなるのが人の心理。

 六曜ろくようのなかで仏滅を避けるのと同じ理由だ。 


 「あっ、カンナ。私、今日は塾だから先に帰る。ごめ~ん!!」


 斉藤は両手を合わせると岬にぺこっと頭をさげた。

 神野に夢中で私用を忘れていたようだった。

 斉藤は岬に神野を眺めるのはライブと同じだといっていたことがある。

 

 それだけ熱中してしまうものなのだろう。

 斉藤は慌てて通学バッグを手にした。

 岬も好きなことに打ちこむ時間と現実とでは気分的に違いがあることは経験上、充分に理解している。


 ――しょうがないよね。と理解を示す。


 「うん、わかったよ」


 それでも岬は心のどこかで――こんなときなのに私を置いて行くの? とも思いながら親友だからと手を振り返す。

 

 斉藤が教室のドアレールをまたいだとき、なんとなく背中が遠くに見えた。

 目で見る距離じゃないよくわからない境界線。

 なぜか感傷的になる。


 (どうしてだろう……?)


 斉藤はもう一回振り向くと、小さく手を振ってから人差し指でちょんちょんと理科室のほうを指さした。


 (もう、四時四十四分は過ぎたって合図か)


――――――――――――

――――――

―――


 理科室 四時五十分。


 「失礼しま~す」


 岬はスライド式の扉を開き、おそるおそる理科室へと入っていった。

 日中は授業で使用される部屋も誰も居ないととても静かだった。


 街中から聞こえてくる人の生活音だけが無断で窓を通り抜けて入ってくる。

 いまもまさに救急車のサイレンが入室してすぐに帰っていった。

 どこかで事故でもあったのだろうか? それとも誰かが急病で運ばれたのだろうか? 岬の心はすこしナーバスになっていた。


 「早いとこ、水をあげて帰ろっ!!」


 岬はひとり声をだして自分を奮い立たたせる。

 理科室にあるたたみ一畳ほどの黒い机に回り込んだときだった。

 上靴の先が柔らかいなにかに当たった。

 爪先にぐにゅりとたわんだような感触が伝わってきた。

 岬は見えない紐が顔についていて急にそれに引っぱられたようにスーっとその物体を見た。


 (な、なに……?)


 一瞬、息を飲む。

 ごくっ、と喉がなった。


 「……ひ、人?」


 同じの学校の制服だとすぐに気づく、それ以外にこんな青い制服なんてめったにない色だから。

 岬は横たわる人を発見すると確認のために顔をのぞき込む。

 恐々こわごわその人物の顔を見るとそれは前田美沙緒だった。


 「ま、前田……さん……」


 岬が前田と判断したのは顔ではなく口のなかに押し込まれたネームプレートが理由だ。

 あくまで「前田美沙緒」という漢字だけで人物を特定したことになる。

 本当にそこにいる人が前田美沙緒本人なのかどうかはわからない。

 

 顔を見たけれど血の気がなくもう生きている感じはしなかった。

 なにせ体中にミサという傷が無数にあって岬自身が仮に医者ならば治療することを諦めるくらいひどい有様だったからだ。


 反射的に放つ悲鳴の第一声が遮られた。

 岬の口は「あ」という形のまま大きく開かれている。


 己の真横でなにかの声が聞こえた。

 ホラー映画などで聞くのっぺりと伸びた気味の悪い声。

 

 瞬時の驚きが岬が叫ぶのを留めている。

 口のなかが乾燥していく開けっ放しの口元になにかが触れた。

 それは岬の頬まで移動した。

 冷たいゴムのようなものが顔に貼りついている。

 それは死人のように冷たい人らしきものの頬だ。


 「岬カンナ……ミサ・・・き・・・カンナ・・・ミサ見~つけた!!」


 背後からまた粘りつくような声がした。

 なにかは瞬間的に背後に移動したことになる。

 絶対に人間じゃない。

 岬はそう思いながら得体の知れない動物のような気配と息使いを感じる。


 「ミサぁぁぁ」


 しかも女性独特の話しかただ。

 岬は声をだす間もなく黒板に叩きつけられた。

 自分の体が木の板にぶつかる音が鼓膜に響いてきた。

 

 すぐにどすん。という重い音がした。

 床に落ちた音と衝撃だ。

 岬は背中から落ちたために一瞬、呼吸が止まった。

 内臓がぜんぶ鈍い痛みと入れ替わったみたいだ。


 (い、息が、い、息が……さ、さっき感じたセイラとの距離は……きっと“生”と“死”の分かれ目)


 岬の意識はしだいに薄れていく。


 「つぎの被災者は……ァ……ミ……ツ……」


 小さくくぐもった声が五時ちょうどのチャイムに掻き消された。

 夕刻、前田美沙緒の遺体からすこし離れた場所に体中に“ミサ”と刻まれ岬カンナというネームプレートを口にした女子生徒の遺体があった。


 「ふぅ~ふたりか……なかなか大変だ」


 そう発した人物が前田美沙緒の足に手を伸ばした。

 ジャイアントスイングをするように両脇に前田美沙緒の両足を挟んで手前に引き寄せる。

 前田美沙緒は白雪姫のように白く、まったく血の気がない。

 その人物の手首に巻かれたシンプルな腕時計が時を刻んでいく。


 秒針のカチっという音と人の引きずられるズルっという音がときどき重なってリズムになった。

 その人物が前田美沙緒を引きずると固まりかけていた血が靴底を汚した。


 本物・・血糊ちのりがスーっと伸びていく。

 その人物は靴底を床に擦りつけて粘り気をこそぎ落とす。


 「これだから……上履きも赤っぽいのしか履けないんだよな。水まだあったかな」


 ジャケットの腕をまくり中に着ている赤い服で靴の横に付着している血を拭った。

 すぐにズルズルと人と床が擦れる音が二往復分つづいた。


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