第8話00001000 二日目

 ――五月八日 早朝。


 六畳の寝室のベッド脇にあるガラステーブルに朝日が反射している。

 雑誌やリモコン類などがきれいに整列されていて黒木の几帳面な性格をそのまま現しているようだ。


 すこし傾いてはいるが無造作に置かれた真新しいタブレットは陽の光を受けて斜線を隔てて明と暗に分かれている。


 つねに整理整頓を心がける黒木でも初日の疲れに負け担当である数学資料の片付さえせずに眠りに落ちてしまっていた。

 教育実習でそうとう気が疲れたのかいまも熟睡している。

 カーテンの隙間から射す木洩れ日が黒木の頬を叩いた。


 同時に自然光よりも強いLEDの照明がピカピカと瞬いている。

 黒木はメール受信の明滅と太陽光の熱を顔に受けて薄目を開く。


 黒木は布団のなかからリモコン類の置いてある場所にもそっと手を伸ばした。

 指先の接着面でそれが目的の物かどうかの判別をする。


 冷たくツルっとした感触が指先に当たった。

 このなかに液晶があるとすればそれはタブレットだけだ。

 さらに七インチという大きさもタブレットだと確定にいたる判断材料になった。

 

 黒木はまばたきをしながらタブレットを布団のなかに引きこみ横向きから、うつ伏せへと態勢を変えて画面をタップした。


 顎と首のあいだに白と水色の水玉模様の枕をはさんで顔の真ん前でディスプレイを眺める。

 寝起きの目にLED照明がきつく刺さった。


 (ま、眩しい……う~ん。なんのメールだろ。これ?)


 黒木はタブレットの右下にある地図記号の工場のようなマークを数回タップした。

 触れるごとに明るさが段階的に変化していく。


 ぱっ、ぱっ、ぱっとタブレットのバックライトが変化する。

 一巡、二巡、三巡したところでようやく自分に合った明るさを見つけてその明度をキープした。


 黒木は目に優しくなったタブレットにふたたび向かう。

 一度、目をこすってから口元を枕に埋めているとあることに気づいた。

 黒木がいくらITの知識に乏しくても黒木にもクラウドを利用するくらいの簡易知識はある。

 だからサーバー上で共有されているというファイルのことくらいは理解できた。


 きっとそれ関係のメールだろうと、とくに不思議には思わない。

 なにせこのタブレットは昨日、神野に渡されたもので私用メールがくるわけがないからだ。


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送信者:divine judgement


件名:前田美沙緒 死亡


本文:http://www.azami-ghs.jp/17.html/







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 (えっ、前田さんが亡くなったって? ……なに……いたずら?)

 

 黒木はまだどこか現実味がないまま本文のURLをタップした。

 すぐにリンク先のページは新しいページに切り替わった。

 

 人差し指で勢いよく画面をスクロールさせると、そこには前田美沙緒の画像が貼られていた。

 前田美沙緒は学校の設備でも特徴ある黒い机の下で横たわっている。


 先ほどまでの黒木の能天気な考えが一変する。

 いたずらなどではない……と、自分の心臓が語りかけてきた。

 これはそんな生易しいものではないとすぐに理解した。

 黒木の胸がドクドクと脈打ちはじめる、まるで暗殺者が忍び寄ってくるように脈が早まっていった。


 黒木の半分ほどしか開いていなかった瞼が誰かに持ち上げられたように吊り上がる。

 体中にミサと傷つけられ口内にネームプレートが押し込まれた前田美沙緒の画像が黒木の眼球に焼きついた。


 血塗れで無残な前田がただただタブレットの内に存在している。

 充血した前田美沙緒の目と黒木の目が合う。


 黒木の胸が早鐘を撞く。

 もうドクドクではなくドドドドと休符がないくらいに心臓が血液を送りだしていた。

 前者が一般道の速度なら、いまのこの鼓動は高速走路の最大速度だ。

 

 黒木では名付けることが不可能な感情がマグマのように湧き上がってきた。

 前田の凄惨な画像に目が冴える。

 顔にいきなり氷水をかけられたように眠りの世界からはっきりと現実に戻ってきた。


 黒木は太陽に届きそうなほど大きな悲鳴を上げそのままタブレットを放り投げた。

 タブレットはリモコンと激しく衝突しガランゴロンと床を転がっていった。

 直後に跳ね上がった布団が黒木の寝ていたベッドに着地する。

 太陽に照らし出された埃がダイヤモンドダストのようだ。

 

 黒木は硬直したまま呆然として動けなくなった。

 いや自分の体にはもう体を動かす神経なんてないのではないかとさえ思えた。


 ふだんの自分がどうやって手を動かして食べ物を食べ歩いていたのかを誰かに教えてもらいたいくらいだった。

 それでも時計の針は何事もなかったように進んでいく。

 時計の針たちは電気といくつかの歯車によって動いていることを自覚しているようだ。

 黒木は固まったまま時間に置き去りされた。

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