第7話00000111 出席番号十七番 前田 美沙緒

 「知ってる。理科室のみうらさん?」


 「あの、四時四十四分に理科室に入ったら死ぬってやつでしょ?」


 「そうそう」


 「ちょ~怖いよね?」


  前田はこの学校の都市伝説を思いだした。

 何年か前に理科室で「みうらさん」という人が自殺してその直後に「ミサちゃん」という女生徒が怪死したという事件だ。

 じっさいにテレビや新聞でもその事件を取りあげていたので当然、前田もその話は知っている。


 (みうらさん。たしか漢字は数字のさんに浦島太郎のうら。よく目にする漢字の三浦さん)


 三浦が自殺したのは本当のことだ、自殺の理由は進路の悩みということが記載されていた。


 私立高校ながら有名大学への合格率も高い私立アザミ女子高等学校、未来に悲観してそういう気を起こす生徒もいるだろう。

 前田は誰かの噂話に納得しながら廊下を歩く。

 

 けれど前田は三浦の自殺意外あくまで噂話だけでミサの怪死なんてたしかなソースを見たことはなかった。

 誰かが面白がって創りだした学校特有の都市伝説だろう。

 前田はそんな三流ゴシップを信じてはいなかった。


 なぜなら話の整合性がとれないからだ。

 時間指定で人が死んでいたら毎年どれだけの犠牲者がでるのか? 四時四十四分ちょうどとは? 時計の針がズレていたら? 時計の電池が切れていたら? どこを基準にした時間なのか。世界標準時? 前田のなかで反論の疑問は止めどなく溢れていた。


 ――本当にくだらない。だから今日、任命された生物係も怖くない。

 そう思い理科室の扉を開いた。

 ただその事件があって以来、私立アザミ高校への入学志望者の数も入学者数も減少し生徒数がピーク時の半分以下になったのは事実だった。

 

 ※


 ――五月七日 理科室。


 「ァノォ?」


 前田の背後から、か細い声がした。

 母音ぼいんが遅れて聞こえてくる違和感ですぐに発音がおかしいと思った。

 とても生身の人間が発するとは思えない。

 高音と低音が何重いくえにも重なった声質だ。

 

 前田はおそるおそる振り返る。

 ほんのすこしだけ都市伝説の話が頭をよぎる。

 迷信のはずなのに、それを思いだしたのはこの状況がどこかその噂と合致していたからだ。

 共通点といっても理科室のなかで奇妙な体験をしているていどだけれど。


 (なにこの人。下着……? 顔とお腹とスネに傷が……)


 「ワタ・・・シ・・・ね・・・ワタ・・・死・・・ね」


 突然その物体の頭部が転げ落ち床を転がっていった。

 そのままさらに頭がゴロゴロと二回転、三回転する。

 理科室のなかで人らしきもの・・・・・・の頭が床を転がっていく。

 こんな光景が日常に存在するわけがない。

 前田はどこか冷静にこの事態を分析していた。

 

 胴体に「ウ」という傷痕、スネに「ラ」という傷痕、足元に転がる頭部の右頬には「ミ」という傷痕。

 傷痕の並び順が入れ替わって「ウラミ」という単語が前田の視界に飛び込んできた。

 これは偶然のアナグラムなのか、それともそれほどまでの憎しみを抱えているということなのか。


 (“ウラミ”……“怨み”……怨恨ということ?)


 「おまえの名前をいえ?」


 前田は床を転がっていった頭のまったく艶ない髪のあいだからこちらを見ているギョロリとした目と視線を合わせた。

 瞳孔が紅く染まっていて血の色かと思うほどに真っ赤だった。

 血走った目玉ににらまれると、さすがの前田にも恐怖心が湧いてきた。


 (医学的にみても頭部だけで声を出せるわけがない……この物体は人間ではない……)


 「わ、私は……ま、前田……み、美沙緒」


 恐怖におののきながらもなんとか返答をした。

 どうして自分は答えてしまったのだろうとじょじょに後悔する。

 逃げようとするにも足が動かない。

 

 こんな得体の知れない物体ものと会話をしてしまい背筋がぞくりとするのを感じた。

 ようやく人間本来の五感が戻ってきたようだった。


 だがすでにときは遅く人の感覚は戻ってきても体はまったく動かせない。

 なにかの外的要因により動けないわけではなく、本当に体が動ないのだった。

 

 きっと脳からの指令がどこかで遮断されているのだろう。

 前田は、恐怖に囚われながらもやはり冷静に自分を見ていた、たしか――昆虫は自分の死を悟ったときに痛覚を遮断することができる。

 

 いつかこの理科室で授業の雑談で聞いた話だ。

 それに近い感覚がいままさに自分の体に起こっているのではないかと感じる。

 

 もう背中の冷感は消え失せていた。

 ただYシャツのなかで背筋に沿ってなにかの液体が流れたことは感触でわかった。

 こんな状態でも汗はまだ流れるんだ。

 冷たいのか温かいのかもわからない汗が。

 

 前田は自分の体のどこかで警告音が鳴っていることに気づく。

 ただそれは本当に聴覚で聞くことのできるサイレンではない。

 早く逃げなければ死ぬ。

 昆虫むしのように殺される。

 そんな警告放送が頭のなかで流れているようだった。


 「マエダミサオ・・・マエダ・・・ミサオ・・・“MAEDA MISA・・・O”・・・オ・・・マエダ・・・ミサ・・・オマエダ・・・ミサ“OMAEDA MISA”・・・お前だ。ミサぁぁ――!!」


 前田はもう悲鳴さえ発っせない。

 代わりに体のなかで無言サイレンが警告音としてボリュームを上げていく。


 鬼の形相と例えるしかない床を転がっていたおぞましい顔が迫ってきた。

 前田はその頭部から目を逸らして黒板の左に置かれているカラーボックスに目を向けた。

 

 今日はまだ如雨露じょうろは置かれてないんだ。

 非日常に日常を求めた、つぎは壁時計を見る。

 前田はこの期に及んでなお利口だった。


 (四時二十七分……なんだデタラメじゃない。でも四・二・七……シ・ニ・ナ……死にな、か……。オカルトにはぴったりね)


 「っ――」


 サイレンはミュートされた。


 ※


 太陽が地平線に顔を半分沈めたころ。

 体中にミサという傷を刻まれた前田美沙緒の遺体があった。

 聡明な彼女には酷く不釣り合いな色合いで制服あおが赤にまみれていた。

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