第4話00000100 教育実習生 黒木エリカ

 私立アザミ女子高等学校  五月七日。


 四月それは始まりの季節。

 ただ黒木は一ヶ月遅れてこの地に立つことになった。


 なぜなら母校への教育実習は五月か十月の二者択一だからだ。

 校舎の外観はロココ調で近隣住民からも馴染みの場所でとくにアザミ高校の理科室はどこかの海外の有名の展望台にならった造りで生徒たちからも親しまれている。


 ただ近年の治安悪化や女子高という事情もあり一般の高校よりは数多くの防犯カメラが設置されている。

 それが少しだけアンバランスでどこか校内の調和を乱していた。


 黒木がさらっと見渡しただけも、もうすでに六台の防犯カメラが目に入った。

 レンズの横にある小さな点が赤く光っている。

 それは現在も校内を録画しているということだ。

 黒木もそれになんとなく気づいた。


 カメラ本体には洗練されたスタイリッシュな図形ロゴがある。

 備え付けられているすべての防犯カメラが日本の有名家電メーカーでカメラはすべてそのロゴのメーカーで統一されているようだった。

 

 高画質を売りにしていて芸能人泣かせといわれるほど解像度にこだわりのある機種だ。

 校内はすべてそんな放送業界のプロが使用する機材で固められている。

 これだけのカメラならば侵入してきた不審者の顔もはっきと録画されるだろう。


 (防犯意識高いな~?)


 黒木は自分の身長とさほど変わらない校門の柵を開いてさっそく校舎へと足を進めた。

 一台のカメラは黒木の進む一歩一歩に合わせ自動で焦点を合わせてくる。


 ――ジジジ、ジジジ、ジジジ、ジジジ。これはカメラから発せられている音だ。

 ほかのカメラは死角を打ち消そうとそれぞれが別の方向、また別の角度へと自動的に動き校内を徹底的に守っている。


 まるでカメラ同士が会議のすえに自分はこちらをカバーするから、おまえはあっちを見てくれというようなやりとりだ。


 最初、黒木もカメラ自身が意識を持っているような防犯カメラに戸惑ったが、女子高という防犯カメラのある理由も理解できるし撮られたところで自分にはなんのうしろめたいこともないからすんなり受け入れた。


 黒木はこれも校風なのだと初めの一歩を踏みだす。

 足が自然に軽やかに動く。

 花の香りを乗せた心地よい微風が黒木を歓迎するように吹いてきた。

 

 香水のような風が黒木の髪をなびかせる。

 トリートメント直後のように毛先がなめらかに流れていく、それはヘアケア商品のCMのようだった。

 小柄で華奢きゃしゃな黒木は生徒のなかに紛れても違和感はない。

 童顔ということもあり、現在でも制服を着て高校生と自称すれば誰も疑わないだろう。


 ここアザミ高校の制服は新進気鋭のブランドと提携していてオーダーメイドの数パターンの制服を生徒たちに無料で支給している。

 その年の流行色やデザインなど生徒たちの意見を取り入れていて生徒からの満足度は非常に高い。

 

 春夏秋冬、年に四回、制服を新調するシステムもファッションに敏感な年頃の生徒には好評を博していた。

 そんな優遇された生徒たちは自分たちだけがその制服を着ることができるという優越感に浸ることも多い。


 他人とは違う、他人よりも優れているそんなおごりはときに人を惑わせる。

 だが悪いことばかりではなく勇気づけることもある。


 現在、生徒たちは「青」を基調とした春服を着ている。

 スカートには白の二本線が横に走っていて袖にも白の二本ラインが入っている。

 襟元は濃紺と薄い緑のタータチェック、それを際立たせる胸元の赤い蝶型リボン。


 青ベースの制服は近郊には存在せず他校の憧れの対象にもなっていた。

 おしゃれな私立校の代表格として挙げられる私立アザミ女子高等学校。


 制服を一目見たいと近隣の女子高から人が集まるほどだった。

 ただ、そんな校風かつ女子高のために不審者の目撃情報も多数寄せられる。

 

 怪しい男の目撃情報は日常茶飯事だ。

 そんなこともあり校内のカメラは必然的に増えていった。

 カメラの数は多いにこしたことはない、それがアザミ高校を運営する責任者がくだした判断だ。


 ※


 黒木は初日ということもあり無難に紺色のリクルートスーツで登校してきた。

 それでも右肩にかけているブルー系のトートバッグがアクセントになっている。

 ただ生徒たちの鮮やかな制服あおに紛れてしまえばいとも簡単に埋もれてしまうことは否めない。

 職員玄関前には学校のシンボルであるあざみの花壇が鮮やかに広がっている。

 

 茶色のレンガが指先にチクチクと刺さりそうな赤い絨毯じゅうたんをぐるりと囲んでいた。

 洗剤や香水にでもなりそうな香が辺りに広がっている。

 レンガの片隅にある日向ひなたと相まってまるでリラクゼ―ション施設のようだ。


 「ふぅ~」


 黒木は深呼吸ひとつ心を落ち着かせた。

 花の匂いが口と鼻から入って体の隅々へと染み渡っていった。

 アロマのような香りで体を落ち着けていると、――あの。と黒木の背中で誰かの声がした。

 黒木はそっと振り返り、目をぱちぱちとしばたたかせた。


 「すみません。黒木先生でいらっしゃいますよね?」


 「えっ、あっ、はい。今日から二週間ここでお世話になる黒木です」


 深々とお辞儀をする黒木はいったいどこまで頭をさげるのかというほどにこうべを垂れた。

 初日の緊張でついつい力が入ってしまったのだろうかふたたび体を強張こわばらせた。


 黒木は三十度、四十五度、六十度と段階的に姿勢を戻していった。

 顔を上げた先には見知らぬひとりの男性がいた。

 黒木にはまったく見覚えのない男でどこかで会ったことがあるだろうかとさえ思わなかった。


 「これ、どうぞ」


 同年代と思われる男性に【私立アザミ女子高等学校】とシールの貼られたタブレットを手渡され「あっ」と声をだし反射的に受けとった。


 このタブレットも防犯カメラと同じ日本製のメーカーで軽いスチールボディの高級品だ。

 黒木は気づいてはいないがタブレットのHDDの容量は二テラもあり、十六ギガのメモリまで搭載されていた。

 いったいなんためのスペックなのか黒木には知るよしもない。


 「えっと、これはなんですか?」


 黒木はタブレットを裏表、また裏表と往復させて眺めている。


 「アザミ高校うちはこれでいろいろと管理していますので各職員に一台ずつ配布しています。それにファイル類をサーバー上で共有してますから」


 (あっ、なにかのときには家からでもログインできるのか。ラッキー!!)


 「はい、わかりました。……あの……えっと、あの……」


 黒木は正体不明の男性にいまだ困惑した表情を浮かべていた。

 それもそのはずだ、校内で声をかけられたのだから学校の職員なのは間違いないだろう。

 ただ、あまりにも校内に相応しい身形みなりの人物ではなかった。

 

 黒木はそれが気になった、もっともそれはきれいすぎるという意味でだが。

 男はそれを察し自己紹介を始めた。


 カラーリングを拒むほどの漆黒の髪はこの世界の闇を練り込んだようだった。

 だが、それを中和させるように髪質はサラサラでまつ毛が長く目も大きい。

 

 一見すると女性と見間違える者もいるかもしれない、だが、その目の奥になにか秘めているようにも見える。

 何重いくえにも閉ざした扉を開いてもまた扉、そんな神秘的な瞳をしていた。


 鼻筋もスッと通っていて唇はいままさにリップを塗ったように潤っている。

 一言で形容するなら美男子、身長も百八十センチ以上はあり遠目からでも目立つ高身長だ。


 喪服のように全身が黒く、教育現場にはあまり似つかわしくない黒づくめの格好だった。

 インナーにはワインレッドのハーフジップカットソーを着ていてそれに合わせるように靴も赤系のスニーカーを履いている。

 さすがに毎日の仕事で靴は汚れるのか泥はねのようなシミが点々とついていた。


 「僕はここの用務員の神野。二十二歳。神様の神に野原の野と書いて神野です」


 「えっ~!? 私と同い年です。若いのに用務員さんなんですか?」


 黒木は自分よりも先に社会にでて務めを果たす神野にすくなからず尊敬の念を抱いた。

 反対に自分が余りに子ども染みていることを恥ずかしく思う。

 最近の用務員はこんなにカジュアルな格好で仕事をするのか?と情報の乏しさに苦笑いする。


 黒木はアザミ高校がわずか数年でここまで風通しの良い校風に変わったことを知らなかった。

 あのころ用務員がいたのかいなかったのかさえ思いだすことができない。


 じつをいうと黒木は高校時代のことをあまり覚えてはいない。

 地味に生活していたせいでそれほど良い思い出がなかったのだ。


 「僕は高校中退で用務員採用されましたので」


 神野は少し照れくさそうに頬を緩めた。

 黒木はその笑顔にも異性を惹きつける要素は多いだろうとすぐに思った。

 こんなふうに笑われたら年頃の生徒はやっぱり魅入みいってしまうだろう。


 「へ~そうなんですか~?」


 「ええ。焼却炉でのゴミ処理あとは花壇で水やりなどをしています。設備のことならなんでも訊いてくださいね?」


 「あっ、はい。わかりました」


 神野はタブレットを手にしたままの黒木の隣に並び立ち慣れた手つきで視力検査の上を示すようなマークと縦線が合わさったボタンを押した。


 画面が一瞬光るとバックライトが点灯しほんの数秒でさまざまなアイコンが解き放たれた。

 どれもがカラフルでほぼすべてのアイコンは四つ角が丸まった正方形の形をしている。

 神野はリズミカルに画面をタップするタブレットはミュート設定のため無音で指先を受け止めた。


 「え~こんなにすぐ画面がつくんですね?」


 「はい、そうです。これは起動しやすいように僕がカスタマイズしていますので。パソコンのSSDの要領で……ってわかりませんよね?」


 「……すみません。人並みていどの知識しかありませんので……えっと、エ、エスエスディーというのは?」


 「あっ、気にしないでください。ふつうの人にはそんな知識は必要ないですから。性能が良くなる部品とでも思ってください」


 神野は申し訳なさそうに眉を掻きふたたび画面をタップした。


 「これ、生徒管理アプリになっていますから」


 四つ角が丸まった正方形のなかに「Class」と書かれたアイコンがある。

 黒木は神野に促されるままパネルに触れた。

 びっくり箱が開くように一年生から三年生までのクラス別のアイコンが浮かび上がってきた。


 ひとつひとつのアイコンは自分の存在を誇示しながら画面のなかでGIFアニメのようにフワフワと揺れている。

 神野は左右にぷるぷると振るえているアイコンを選択した。

 黒木はそれが自分の担当クラスだとすぐに把握する。


 (あっ、このクラスか~)


 すこしの待機時間もなく生徒の「出席番号」「名前」「顔写真」が並列した一覧に切り替わった。

 

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