第2話00000010 実行

 三浦は床に手を当てて自分の腕をほうきとちりとりのようにしてガラスの破片を手前に寄せる。

 つくばった態勢のまま抱き抱えるようにしてジャリジャリとガラスの破片を集めた。

 なかには綿ゴミや砂埃、何かの粉末や大小さまざまな女性の髪も混ざっている。


 この節操のない物質の集合体はひとつのクラスに似ていた。

 キラキラと輝くガラスとただのゴミ。

 明確に必要と不必要を表している。

 三浦は細く尖ったものから大きく歪な様々なガラスの中からいちばん平行四辺形に近いガラスの破片を選んで手のひらに乗せた。

 強く口を結ぶ。


 ――くっ。


 手を拳型に変えゆっくりと時間をかけて手の内側に力を込めていく、さらに一段と力を加えた。

 透き通るように白い手の甲の表面に青くて樹氷のような細血管が浮かんでいる。

 三浦はもう二度と引き返せない揺るぎない決意をする。

 

 握力によってガラス破片が手のひらに食い込んでいく、それでも三浦はその痛みを途中で投げだすことはしない。

 まだ。まだ。と念をこめて手のひらに力を加えると、ざくっと皮膚を裂く感触に達した。


 瞬間的に痛覚が反応して体がぴくっと動く。

 自然と両目も吊り上がる。

 やがて手の中から温かな血液が流れだしてきた。

 そんな小さな傷も全身の痛みで気にならなくなっている。


 この場の雰囲気によって体内から放出されているアドレナリンで恐怖や痛みがシャットアウトされているからだ。


 三浦は体のどこかで痛みを感じていても、そこが痛いと思う瞬間にもうそこは痛くなかった。

 痛みはつぎつぎと住処すみかを変えていく。

 やがて体はなんの痛みも感じなくなっていた。


 (今日こそ、やるしかない……)


 全身骨折し内臓破裂した人体模型が無残に横たわり憐憫れんびんな姿をさらしている。

 三浦はすこしだけ笑みを浮かべた。

 内臓をまき散らした人体模型のその滑稽こっけいさがあまりに自分に似ていたからかもしれない。


 あるいはもう目の前に迫っている終わりを重ねたからなのかもしれない。

 人体模型が穿いている扇状おうぎじょうにはだけたスカートのポケットに手を潜り込ませてがさごそと漁り一枚の写真を取りだした。


 あらかじめ入れてあった携帯画像をプリントアウトしただけのチープなものだ。

 三浦は床を下敷きにして写真のしわを引き伸ばした。

 

 裸で極寒の地にいるようにガタガタと体が震えはじめる。

 ふたたび体が周囲の環境に適応してきたからだ。

 寒さはもとより恐怖と憎悪が震えをさらに増大させた。

 上下の歯がカチカチと規則的なリズムで噛み合っている。


 アドレナリン量も減少してきたようだった。

 引力によってスネから縦一直線に流れ落ちた一筋の血はそのまま足の甲まで流れていた。


 ベタっと足の裏をわずかに濡らしたスネを水源地とした「ラ」の傷はまだ鮮明に残っている。

 三浦は持てるだけのガラスを握り、おぼつかない足取りのまま部屋のうしろを目指す。

 思いのほか頭へのダメージが強く残っていて途中でよろめいて転倒した。

 

 (止まるわけにはいかない)


 三浦は匍匐前進ほふくぜんしんのような態勢でチラっとうしろを振り向いた。

 ペンキを伸ばしたような赤い足跡が不規則に残っている。


 くっきりとした跡ではなく軌跡にすぎない五本指の形。

 それでもそのまま理科室の床を這い教室のうしろまでなんとか辿りついた。

 理科室と繋がっている理科準備室が視界に入る。


 (理科準備室は外の世界。ここは隔離部屋)

 

 三浦はすがるように壁に腕の伸ばして、ところどころ赤黒いシミの滲んだ『元素周期表』に手のひらを添えた。

 待ち望んでいた商品を手にしたようにがっしりと壁に指を吸いつけ、しわを伸ばした写真をかざす。

 

 写っているのはミサだ。

 二次元のミサはすぐにでも殺したいくらいの笑顔だった。

 三浦はミサの息の根を止めるように写真をガラス片とともに周期表に突き刺した。

 壁は画鋲を簡単に刺すことのできる材質でいとも簡単にガラスの進入を許す。


 「ネ、ネオン……ここから……」


 三浦はそうつぶやき、ふたたび小さなガラス片をつぎつぎと壁に突き刺していった。

 最期の仕上げとでもいうように己の手首にぴたりとガラスを当てグッと力を込めていく。

 

 食い込んだ肌の上でガラスをゆっくりゆっくりと真横にすべらせた。

 あるところでボーダーを越えるとぶわっと赤い液体が溢れてきた。

 石油掘削に成功したように深紅の原油が手首を染めていく。

 

 三浦は空気を殴るようにしてその場で血を撒き散らした。

 散布するという行為がつづく。

 泥はねのようなシミが『周期表』に不釣りあいに重なっていく。

 重力に引かれた鮮血がゾンビ映画のタイトルようだった。


 (これで……成就かなえられる……)


 三浦は満面の笑みで天を仰いだ。

 ドクドクと脈打つ首の血管にガラスの破片のなかでもいちばん大きい破片を押し当てた。

  

 三浦が見上げた天井は乱雑な鱗模様うろこもようでもわもわとしている。

 三浦は自分が黒く大きな入道雲にでも飲み込まれるような感覚に陥っていた。


 (痛みもなにも感じない)


 それは三浦が本当に見たものなのか、薄ゆく意識が見せたものなのかはわからない。


 (ああ、なんて冷たい床……朝には私のほうが冷たくなっているはず)


 流れる温かな血液が首と腕を中心にじわじわと広がっていく。

 対照的に体温は容赦なく奪われていった。

 瞳から零れ落ちた一滴の涙。

 

 それは憎悪を含んだ液体にしてはあまりにも透明できれいだった。

 赤く染まりゆくなかで、いくばくかの”透明”が流れ落ちる。

 どれくらいかの時間が流れると三浦の近くで足音が反響した。


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