夜が明けて②

 頭に猫と思われる耳が付いているちょっと不思議な姿をした女の子モラは、掃除用の竹ぼうきをギュッと握りしめて瞳いっぱいに涙を浮かべている。


「借りたもんはきっちり返すのが人間の筋ってもんだろうが!」


 こじんまりとした工房に響き渡る男の低い声。定型文のような脅し文句を叫ばれて、モラの背筋と耳がピンとまっすぐ天井を向く。


「あああ、あの、あの、モラはそのモラなので、モラにはわからなくて、ああう」

「何言ってるか全然わかんねーぞ! コラ!」


 恐怖と緊張で今にも倒れそうなモラはなんとか答えようとするのだが、上手く口が回らなくて余計に男を怒らせてしまう。


「これ以上はウチのボスも待っていられねえってご立腹なんだよ! 今日の夜までに、きっちり金貨10枚! 耳揃えて返してもらうからな!」

 男は小綺麗な格好をしていたが、金髪の頭はオールバックになっていて、眉毛が非常に細く、近寄りがたい雰囲気が漂っている。何よりその威圧的な鋭い目つきはモラでなくても目をそらしたくなるだろう。

 彼はいわゆる取り立て屋で、盗賊ギルドに所属しているチンピラだった。


「金貨10枚だなんてぇ……そんなお金、ウチにはありませんよぉ」

「知ったことか。返せないってんなら、手っ取り早い方法があるから心配すんな、くくく」


 取り立て屋はモラのつま先から頭の先までゆっくり舐め回すように視線を浴びせる。それがモラの身体を売り飛ばす、というわかりやすい脅しの代わりなのだが、モラは不思議そうに首をかしげるだけで、どうにも伝わっていないようだった。


「と、とにかく! 今日の夜、もう一回来るからな! 逃げたら殺す!」

 凄んでみせた脅しが空振りに終わったことに恥ずかしさを覚えたのか、男は早口でそうまくし立てると、勢いよく工房の扉を開けて出ていってしまった。


 開きっぱなしの工房の扉を見やりながら、モラはヘナヘナと床に座り込んだ。

「こここ怖かったぁ……」

「はいはい、上出来上出来」

 すると今まで影も形も見せなかった工房の主人であるカーミラが奥の部屋から悠々と登場した。


「カーミラ様ぁ! なんで助けてくれないんですかぁ!」

 腰が抜けて立つことができないモラは上半身をひねって、なんとかカーミラの方へと向き直る。涙を流して非難するものの、カーミラは他人事のような涼しい顔をしている。


「だって私が出たら借金取りアイツ、帰りそうにないんだもの」

「それより、金貨10枚ってホントですかぁ!? どうやって返すつもりなんです!」


 モラは金額まで知らなかったがカーミラには借金がある。屈指の技術を持つ創製者クリエイターだというのに商品は売れないし、依頼も来ないしで日々の生活を送ることすら困難な状況になっていたのだ。


「返すアテはないわね。どうしましょっか」

「どうしましょっかじゃないですぅー!」


 脳天気なカーミラの言葉にモラはわんわんと泣き出してしまった。


「あーもう、うっさいわね……あ、そうだ。フーちゃんに立て替えてもらうってのはどう? あの子お金持ちのとこのお坊ちゃんみたいだし」

 蒼い剣を持ち込んだフレンのことを思い出し、カーミラは表情を明るくさせた。使用人を連れたフレンなら金持ちであると安易に決めつけている。

「でも、確かフレンさまは銀貨10枚くらいしか出せないって……」

 解呪薬を売買する際に、そんなやり取りがあったことをモラは思い出した。そのために東の村への“おつかい”を頼んだはずだった。


「あれはフーちゃんが使えるお金が少ないってことでしょ? 家の財産なら腐るほどあるはずよ。あとは私がフーちゃんを誘惑すれば……」


「――やっぱり好きになれそうにないわね」

「!?」


 そのとき。開いたままの工房の扉から女の声が聞こえてきた。

 見ればそこには、プリーストと思われるローブを着た女性と、見覚えのある可愛らしい顔をした少年が立っていた。





 お世辞にも綺麗とは言えない小屋には、座り込んだ猫の耳を持った少女と露出度の高い黒いドレスを着た女性が言い合いをしていた。その言葉の端にフレンを騙す、というような内容が聞こえてきて、アリシアは我慢できずに声を出した。

「やっぱり好きになれそうにないわね」

「……誰よ、アンタ……って、フーちゃんじゃない」

 黒いドレスを着た女性は一瞬ムッと不機嫌そうに眉をひそめたが、隣のフレンを見て笑顔になった。

「おつかいは行ってきてくれた? ……って聞くまでもないわね」

「カーミラさん、それってどういう、意味ですか……?」

 カーミラの言葉には何か大きな意味が含まれていると悟ったフレンは険しい表情で詰め寄る。きっとナルハの村が全滅したことを知っているのだろう。

「そうね、話しが長くなりそうだから……モラ!」

「はいっ!」

「お茶を入れてきてちょうだい。ゆっくり話しましょう」

 言われるがままにモラはぱたぱたと小走りで店の奥へと引っ込んでいった。カーミラはカウンターの席に座ると、懐からひとつの小瓶を取り出した。以前“おつかい”で渡されたものとは違う、細長い形をしていた。

「それは……」

「解呪薬」

「!」

 カーミラの人差し指の長さにも満たない小さな瓶。それがフレンが追い求め、そして今必ず手に入れなくてはならなくなった解呪薬そのものだった。

「まずは渡しておくわ。おつかい、ご苦労様」

 腕を伸ばしてフレンの方へと小瓶を差し出す。フレンは促されるままにカーミラに近づくと、その小瓶を受け取るためにゆっくりと手を伸ばしたのだが――

「答えなさいッ! ナルハの村に何をしたの!」

 アリシアが怒りの形相を持って、その動きを制止した。

「あら、やっぱり知っていたのね。最近の騎士団の働きには目を見張るものがあるわね」

「つべこべ言ってないで答えなさい!」

「ナルハの村を壊滅させたのは貴方たちよ」

「――え?」


 ごく自然にカーミラの口から飛び出した言葉を理解するまでにフレンとアリシアは数秒の時が止まったかのように微動だにできなかった。


「う、嘘だ……! 僕たちは何もしてない!」

「そうよ! アンタに言われて薬を届けただけじゃない」

「その通りよ。フーちゃんたちは私の言う通りに薬を届けてくれた。あの村人たちにとっての毒薬をね」

「な、に、なにを、何を言ってるんだカーミラさんッ!」

 ライラに渡した赤い液体の入った小瓶。それが毒薬だった? フレンにはカーミラが何を言っているのかちっとも理解できない。


「我は神の代弁者。彼の者に神の裁きを下さんッ――ホーリィライトニング!」

 

 突然、アリシアの掌からまばゆく光る球体が放たれカーミラを襲った。


「うわぁっ!?」

 轟音に驚くフレンの眼前には砂埃が舞っている。


「私たちを利用して村人を皆殺しにしたって言うの!?」

 がらがらと音を立てて崩れる店のカウンター。舞い散る埃のせいでカーミラの姿が見えなくなっていたが、アリシアはかまわずに言葉を続ける。


「何の罪もない人々をこんな酷いやり方で……! アンタを国家騎士団に突き出してやるわ!」


 アリシアが思い返すのはナルハの村の光景だった。魚が釣れずに苦笑する釣り人やボールを巡ってケンカをする子ども、透き通った川のせせらぎ。それらを一瞬の内に破壊したカーミラを許せない。


「……大人びて見えて意外に子どもなのね、アナタ。あの使用人よりは可愛げがあるわ」

「!」


 しかし、意外なことに砂埃の中からは無傷のままのカーミラが現れた。不意打ちで放ったはずの雷球は彼女に命中したように見えたのだが、当の本人はピンピンしていた。


「悪いわね。私のドレスは特別製でね。弱い魔法は自動的に無効化しちゃうのよ。手加減してくれてありがと」

「くっ、創製者クリエイターっていうのは嘘じゃないみたいね……!」


 無傷の彼女の姿を見てアリシアは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。


「ま、待ってよアリシア! カーミラさんの話をちゃんと聞こうよ!」

「フレンくん……?」


 対峙する二人の間にフレンが割って入る。


「カーミラさんが本当に村を壊滅させるだけに僕たちを利用したんなら、毒薬のことなんて僕たちに教えたりしない! それにこの剣だって……」


 フレンは懐からひび割れた赤い短剣を取り出した。お守り代わりにと手渡されたこの短剣のおかげで最悪の事態から免れたことをフレンは忘れない。


「ひびが入ってるわね……フーちゃん、この短剣使った?」

「え、はい……すみません、せっかく貰ったのに壊しちゃって……」

「それはいいんだけど……どうやら役に立ったみたいね……」


 ひび割れた短剣を見てカーミラは困ったような安心したような複雑な表情を浮かべた。その顔からは敵意らしいものを感じず、アリシアはスッと十字架を握りしめた手を下ろした。


「……わかったわ、とにかく説明してちょうだい。何が起こっているのか」

 鋭い目つきはそのままだったが、アリシアはカーミラの話を聞こうと心に決めた。

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