サニア=アヤツジ

 なんとか屋敷にたどり着くと、二人の惨状を目にした使用人たちが大騒ぎとなった。ブラーシュ家の子息であるフレンは勿論として、いつも優雅な立ち振舞をするサニアがボロボロの様相で帰ってきたものだから、使用人たちの困惑ぶりは想像に難くないだろう。やがてサニアは使用人によって介抱され、今は自室でゆっくりと休んでいた。


「……フレン、大丈夫か?」

「姉様!」


 同じく自室で休んでいたフレンの元にマールが訪ねてきた。最近、フレンの部屋にマールが訪れることは稀だったため、フレンは驚いて座っていた椅子から思わず立ち上がる。


「サニアの容態は聞いた。命に別状はないそうだな。お前は軽傷だったと聞くが、本当に大丈夫なのか?」

「サニアさんに比べれば大したことありません」

「そうか、ならいいんだ」


 マールはあからさまに安堵した表情を浮かべるとベッドの端に腰をかけた。それを合図にフレンももともと座っていた椅子に腰かける。


「すみません、姉様。僕はサニアさんを守ることができなかった……」

「お前がサニアを……? ふふふっ」


 うなだれるフレンは自分がサニアを置いて逃げたことで彼女をあんな目に合わせてしまったのだと後悔していた。しかし、マールはそんなフレンの言葉に対して目を丸くすると、つい吹き出してしまった。


「な、なんで笑うんですか! 僕は真剣に言っているのに」

「すまん、すまん。バカにしたつもりではないのだ。ただ、サニアがフレンに守られるなど想像ができなかったのでな」

 真面目な話をしているのに笑われたフレンはつい語気を荒げてしまう。対してマールは謝りつつも、我慢できないのか声が震えている。


「そういえば、フレンはサニアが我が家に来る前のことを知らなかったな」

「はい……物心ついたころにはもうサニアさんにお世話してもらっていたので」

 サニアはフレンが生まれた頃からブラーシュ家に仕えているのである。フレンがその前のことを知る由もなかった。


「少し昔話をしてやろう。あれは私が10歳くらいのころだ――」





 ブラーシュ家当主であるフレンとマールの両親は旅行が好きだった。

 暇を見つけてはいろいろな国に赴き、彼の地の文化や歴史を調べ、その知識を増やしていったという。

 特にお気に入りだったのは東の国。

 名前が無いその国は他の国とは違う特殊な文化を持っており、両親は大層気に入ったそうだ。


 そんなある日。

 旅行に出かけた両親は一人の女の子を連れて帰ってきた。

 その少女は野良猫のような鋭い目つきと、ボロボロの風貌をしており、誰に対しても警戒心を解こうとしなかった。


 彼女は自分のことを「沙莉那さりな」と呼んでいたのだが、フレンたちの両親は彼女の声の小ささからか、言語の違いによるものか、「サニア」と聞き違えてしまう。


 サニアと呼ばれるようになった少女はしばらく屋敷で預かることになった。

 使用人として色々な人から、家事のやり方などを教わったのだが、興味がないのかまるで仕事をする気配がない。

 日がな一日、屋敷の屋根に昇ってボーっとするのが日課だった。


「きさま、それでもブラーシュ家につかえる、使用人か!」


 サニアよりも少しだけ歳が幼かったマールは彼女の唯我独尊振りが気に食わなかった。あるとき、庭の掃除をサボって木登りをしていたサニアにマールはストレートに言い放ったのだ。

「使用人……私は使用人」

「そうだ。父様と母様は笑って許しているが、私は許さないぞ! きさまを今から私のお目付け役に任命する!」


 それからサニアはマールと行動を共にすることになった。

 マールはおてんばで、礼儀作法の勉強をするよりも剣術の訓練をするのが好きだというほどのやんちゃな娘だった。そのためいつも生傷が絶えず、サニアの仕事はだいたいマールの手当だった。


「サニアは手なれているな。どこかで医者でもやっていたのか?」

「別に……これくらい誰でもできる」

 無愛想なサニアは、当時マールだろうが当主だろうがこの調子の喋り方をしていて、他の使用人からは呆れられていた。

 だがマールは不思議と嫌な感じがしなかった。はじめこそ生意気な少女の性根を叩き直してやろうくらいに考えていたのだが、長く接していく内に、サニアは感情の表現が苦手なだけの普通の女の子だと思い始めていた。


 ある事件に出くわすまでは。


 それはフレンが生まれて少したったころである。

 真夜中のブラーシュ家に忍び込んだ賊がフレンを連れ去ってしまったのだ。


 気づいたのは明朝。

 母親は隣で寝ていたはずのフレンがいないことに気づき、ブラーシュ家は大わらわとなった。使用人たちは屋敷の中をくまなく探し、国家騎士にも要請し、国中を捜索することになった。


「フレン……」

 屋敷で留守番を言いつけられたマールは不安で心がいっぱいだった。歳の離れた可愛い弟を連れ去られ、弟が無事かどうかわからないのだ。

 自室のベッドで枕を抱えながら泣いていたマールにサニアが近づいて口を開いた。

「フレン……様は、私が助け出す……だから」

 そう言ってマールの頭を何度か撫でると、サニアはマールの部屋から出ていった。頭を撫でられたマールはサニアらしくない行動に驚いたのだが、それ以上に去り際に見せた顔が優しい微笑みだった気がして唖然とした。


 サニアがフレンを抱きかかえて帰ってきたのはそれから3日経ってからだった。衰弱していたものの、命に別状がなかったフレンはすぐに使用人たちに介抱され、母親の元へと戻された。

 一方のサニアは全身に切り傷や打撲などを負ったボロボロの状態だった。

「きさまはっ、何をしているのだ! 心配したではないか!」

「マール、様が悲しんでたから……フレン様が心配だった、から……」

「!」

 サニアは包帯の巻かれた腕を伸ばすと、またマールの頭を撫でた。

「大丈夫、二人とも私が守るから……」

 そういってにっこりと笑ったのだった。


 父親から聞いた話しである。

 サニアは東の国で暗殺を生業としている一族の末裔だったという。本来ならば国王に近い存在である権力者に雇われ、敵国の要人を暗殺する命を受けていたのだが、敵の反撃に合い、命からがら逃げ出したところをブラーシュ家当主であるフレンたちの両親に拾われたらしい。


 両親に助けられてから数ヶ月後、仕えていた国は滅んでしまい、行く宛がなくなったサニアをブラーシュ家で引き取ることにしたのが事の経緯だった。


「サニア、今日からは貴様はフレンのお目付け役だ、いいな」

「はい、マール様。謹んでお受けします」

「よろしくね、さにあさん!」

 やがて自分で歩けるようにも喋れるようにもなったフレンのお目付け役として、マールはサニアを選んだ。サニアがフレンを見守る視線がまるで母親や姉のソレのようだと、マールは感じていたからだ。


 それはフレンたちの両親が亡くなる、数週間前ほどのことだった。





 やがて話しは終わりだと言わんばかりにマールはベッドから立ち上がる。


「母国が滅んだサニアにとって、私やお前を守ることが生きる糧、そのものなんだ。特に今はフレンを守ることに人生を捧げていると言ってもいい」

「僕は……」


「……サニアを守れなかったことをフレンが悔いていると知れば、ヤツは泣いて喜ぶだろうな。だが、まだお前はサニアより弱い。守るなどおこがましいことを言えるほどにお前は強くないのだ。お前が傷つけばサニアも傷つく。それが例え、サニアを守るための傷だとしても、サニアが悲しむということを肝に銘じておくのだな」


 それだけ言うとマールはさっさとフレンの部屋を出ていってしまった。


 残されたフレンは自分の掌を見つめた。

 小さくて白くて可愛らしい手をしていた。


「僕は強くならなくちゃいけない」


 それは冒険者としての強さではない。大切な人を守るための強さ。この先、後悔することがないように、大切なものを失くさないように強くならなくてはいけない、とフレンは心に固く誓うのだった。

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